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真冬の闘争  作者: 小夜
第二章 女の戦い
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女の戦い …11


 国家の元首とその伴侶は、畏怖の念をもって、大広間に迎え入れられた。


 従兄妹同士の国王夫妻は、同じような色調の金の髪と水色の瞳を持っている。今夜の二人は意識して夜会服の色目まであわせていたから、並び立つ夫婦の姿には完成された美しさがあった。


 宮廷人たちは、喜びのあまりどよめいた。


 ここ何代かローザニア王国の元首には、政治的に精彩を欠く王が続いていた。開国から300年の伝統をもつ大国に育った王国は、停滞にあえいでいたのだ。


 大きな改革がないまま、その場しのぎの政策が続いたおかげで、勝手にうごめく怪物と化した国の経済は、さまざまな分野で行き詰っている。貧富の差は拡大する一方で、農村は荒れ、地代収入で生活する貴族の中には経済的に困窮する者も増えてきた。


 ほんの数年前までは、現国王バリオス3世も、そんな国家のありようをあがきながら傍観するしかない影の薄い王の一人だった。


 しかし、バリオス3世は、世間からかくし育てて成人させた次男ローレリアン王子を施政の片腕に得てから、めきめきと頭角をあらわしてきている。


 貴族に納税させる政策を打ち出そうとしたりするような、宮廷人たちの立場からはこまった一面を持つにせよ、いまの王は指導力を持つ強い王だった。


 国王は宮廷に集う貴族たちの歓喜の声に手を振ってこたえ、隣国の王女や大使たちは、今後、ローザニア王国の国民は国王バリオス3世のもとで結束を固めていくだろうと確信した。


 その背後で暗躍するのは、もちろんローザニアの聖王子、ローレリアンである。漆黒の聖衣で身をつつんだ王子は、国王夫妻から少し離れた場所で、おだやかに微笑んでいる。


 見るものが見れば、王子のおだやかに笑う瞳の奥には、得体のしれない光がかくされていることに気づいただろう。


 だが、いまはまだ王子の熱い思いは雌伏したまま、深い地の底にある水のように、存在すら知られずに流れゆくのみ。


 ふたたび華やかな音楽が鳴り響き、五人の王女とローザニア王国屈指の家柄を誇る名家の当主たちのダンスが始まった。


 軽く手をつないだ男女のペアが縦一列に並んでゆったり動く宮廷舞踊は、一区切りごとに相手を変えて踊りつないでゆく華麗な舞いだ。男女が体を密着させて踊るワルツが舞踏の主流になるまでは、この宮廷舞踏が男女交際の仲立ちをするダンスだった。古い伝承歌には、お目当ての姫君の手を取る瞬間を、舞踏の列に並んで踊りながらいまかいまかと待つ、騎士の高揚する気持ちを歌った歌なども残されている。


 雅に踊る男女の列をながめながら、ローレリアン王子は背後に控える近衛護衛隊長にむかって本音をもらす。アレンは、ローレリアンが安心して愚痴を聞かせられる数少ない人物の一人だ。


「モナとの婚約が決まっていなければ、わたしもあの行列に並んで踊らなければならなかったのか。考えただけでも、ぞっとするな」


 アレンは無表情を崩さないまま、ぼそぼそと答えた。何も知らない宮廷人たちに、王子と警備上の打ち合わせでもしているように見せかけるためだ。


「なにを言いだすかと思えば。

 もともとこの茶番劇は、おまえのために宰相がお膳立てしてくれた見合いだっていうのに」


「王族というのは、つくづく不幸だ。過去の王や王子たちは、みなこの程度の見合いで、一生の問題である結婚相手を決めてきたんだぞ」


「選択の余地が残されている王子は、かなり恵まれているほうじゃないのか? 5人の王女の中から結婚相手を選べるなんて、ローザニアの国力がたいしたもんだという、証明のようなものだ。喜ばしいことだろう。

 もっとも、おまえさんは、そのお膳立てを容赦なく蹴り飛ばして宰相の面子をつぶす、とんでもない王子だけどな」


「権力者に媚びない強さをほめてもらえて、わたしは嬉しい」


「喜ぶなよ。モナ様に甘えさせてもらっただけで、自分じゃなにもしてないだろっ。ぐずぐず迷うだけのおまえに振りまわされ続けた俺たち側近は、気のもみすぎで疲労困憊したぞ」


 ローレリアンは、すまして笑った。


「わたしのぐだぐだぶりなど、まだ可愛いほうだと思うがな」


「だれと比較して言ってる?」


 涼やかなローレリアンの水色の瞳から、すいっと視線が王女方と踊る王太子へむけられた。


「兄上へ国賓をもてなす役を振ったのは、失敗だったかもしれない。

 たまには王太子として、国家的な仕事もしていただこうかと思っただけなのだが。

 王太子付き侍従長のジョシュア・サンズという男は、宰相のところへ逐一報告を持ってくる律儀者なんだ。その男によると、兄上はすっかりノールディンのファニア王女に夢中で、義姉上と離縁してでも王女と結婚したいとお望みだそうだ。なんでも、昨日の王室主催狩猟会で、急速に親しくなられたとか」


 アレンの鉄壁の無表情から、見る間に力が抜けていく。ぱっくり開いた口からは、魂の叫びとも言うべきつぶやきが出た。


「マジかよ……!」


 ひとまえで親友の無表情を崩せたもので、ローレリアンは大喜びだ。


「驚くだろう?

 この国の王子は兄弟そろって、ぐだぐだのろくでなしだ」


 アレンはぶつぶつと。


「信じられん。おまえのバカ兄には、もの事を考える脳みそがないのか?

 海のむこうの大国イストニアの王女であるアディージャ姫を気鬱の病に追い込んだうえ、離縁して別の国の王女と結婚なんかしようとしたら、国際問題になるじゃないか。

 下手したら、海を挟んでの戦争になるぞ」


「まったくだ。パトリックに、遠洋での艦隊戦に耐えられる戦艦の建造を命じておいたほうがいいだろうか。イストニアと海戦となれば、艦隊の基地になる港はラカンだろうから」


「悪い冗談はよせ!」


 叱られて、ローレリアンは肩をすくめた。


「一国の王子が色ボケすると、国を滅ぼすこともあるという、たとえ話だよ。

 兄上だって、そこまで馬鹿ではあるまい。

 それに、国王陛下がお元気でおいでになるうちは、兄上に暴挙など起こさせるはずがない」


 くっと、アレンは鼻で笑う。


「おまえが目を光らせているうちは――の、まちがいじゃないのか」


 素知らぬ顔で「まあな」と答えたあと、ローレリアンは話をつづけた。


「だがな、世の中には思いのほか愚か者が多い。

 身内の馬鹿は見張っていられるが、それ以外となるとお手上げだ」


 王子のまなざしに、暗い影がさす。


「アレン、王太子妃の護衛隊長は誰だ?」


「バイヤール卿だが」


「卿と話す機会はあるか?」


「バイヤール卿はもともと、宰相派子飼いの士官だからな。近衛護衛部隊の連絡会議ではかならず顔をあわせるが、俺とは事務的な会話しかしたことがない」


「おまえは出世が早すぎて、同僚から妬まれているからな」


 アレンは、むっとして言い返した。


「俺の働きに不満があるなら、降格してくれても、いっこうにかまわんぞ」


「不満などないさ。

 おまえの同僚たちも、おまえが自分の3倍は働く男だとわかっているから、しぶしぶ同輩として認めているんじゃないか。

 わたしの言葉尻を捕まえて、すねてやさぐれるなんて、子供じみた反応をするな」


「はいはい。殿下に3倍の働きという高評価をいただきまして、感謝申し上げますよ。

 で? 俺は立派な大人として、バイヤール卿に何を伝えればいいんですか?」


「アディージャ姫の身辺の警護を、それとなく増強させろ」


 たちまち護衛隊長の表情は『氷鉄のアレン』そのものとなる。


「理由はどう説明すれば?」


「宮廷貴族たちの勢力図は、日々塗り替えられていくものだ。

 今夜の舞踏会で、おそらく母上は王妃として、権勢を誇ってきた連中に大きな打撃を食らわせるおつもりだ。女たちの争いごとを王妃の力でおさめて、国王陛下を後方から支援なさりたいのだろう。

 わたしの母は儚い外見を持っているが、芯は強い方でね。そうでなければ、20年以上も王の寵妃ではいられまいが。

 王都へもどられてからも、母上はつぶさに宮廷人たちの動向を観察なさっておられた。何度も興味深い報告を受けて、わたしもずいぶんと助けていただいたよ。

 しかし、打撃を受けた連中も、おとなしくしてはいないだろう。

 それが、権力闘争というものだ。

 いまの王室で、おのれに帰属する権力を望むものが狙える弱点といえば、王太子妃のアディージャ姫だろうと思う。

 暗殺も心配だが、自死も心配だ。気鬱の病に侵された人は、よく衝動的に自殺を図ろうとするそうだから。

 義姉上の身にもしものことあらば、喜ぶのは国内の貴族だけではすまないぞ。近隣の国々も、空席となった王太子妃の地位に自国の王女を送りこもうとして、やっきになるだろう。

 案外、ノールディンのファニア王女も、そのあたりが狙いで兄上に急接近されたのかもしれない。真冬になっても凍結しない国土の獲得は、かの国の宿願だ。

 とにかく、これ以上身内に爆弾をかかえるのは、ごめんこうむりたい。

 暗殺と自死、両方の面から義姉上の身辺の警戒を怠るなと、バイヤール卿には活を入れておけ」


「承知いたしました」


 うなずいたローレリアンは、冷たい目で少し離れた場所を見る。


 王子の視線の先には、大広間の入り口付近に陣取っていた国王の妹サンジュリ伯爵夫人と、その取り巻きたちがいた。


 王女たちとローザニア王国5公家の当主のダンスは、ローレリアンとアレンが会話しているあいだにいつのまにか終わってしまっており、舞踏会に集う人々は会場内を移動しはじめている。


 いままさに、サンジュリ伯爵夫人は目の前を通り抜けるエレーナ王妃にむかって、深々とした臣下の礼をするところであった。エレーナ王妃の周辺には、枢密院議長パヌラ公爵の夫人や、ローレリアン王子の腹心であるラカン公爵の夫人らが、つきしたがっている。


 音曲の切れ目であたりは静かであり、王妃とサンジュリ伯爵夫人がかわす会話は、ローレリアンとアレンのもとまで聞こえてきた。


「まあ、リュシエンヌ様。わたくしたちは従姉妹同士ですわ。そんな堅苦しい挨拶はおやめになって」


「いいえ、王妃陛下。これも、けじめかと存じます。わたくしは臣下のもとへ降嫁した身でございます。これからは夫サンジュリ伯爵と共に、真心をこめて王妃陛下へお仕えいたします」


「心強いお言葉をありがとう。頼りに思っておりますわ」


「もったいないお言葉をちょうだいし、恐縮でございます」


 女同士のやり取りは、鈴の音のように耳に心地よかった。


 しかし、ローレリアンは失笑する。


「知っているか、アレン。

 母上がわたしを身ごもっておられた当時、宮廷内で先頭に立って母上をいじめていらしたのが国王の妹モローズ侯爵夫人とサンジュリ伯爵夫人だそうだ。宰相が元気なうちは、絶対に母上が王妃になることはないと踏んで、それはもう陰険ななさりようだったとか。

 おそらく、若くて美しくて自分達より生まれが高貴とされる母上が、ただ一人の寵妃として国王に寵愛されているのが、我慢ならなかったのだろうな。

 そういう経緯を知っていると、あのありふれたやり取りも、とんでもない謀略劇の一場面に見えてくる。

 母上のほうは、従姉妹たちと立場が逆転したことで溜飲を下げて、仕返しに走るような方ではないのだがね。

 伯爵夫人たちのほうは、そうは思っていまい。

 過去の自分の所業を覚えていれば、母上からどんなに優しい言葉をかけてもらっても、嫌味にしか聞こえないだろうからな」


 ローレリアンが肩をすくめた瞬間、サンジュリ伯爵夫人は遠ざかる王妃の背中に、鬼神が宿りでもしたような恐ろしい顔をむけた。


「うわっ、わかりやすすぎる!」と、アレンは思わず感嘆をもらす。


 そのとなりで、ローレリアンは鬱々と言った。


「赤子のわたしを殺そうとしたのが、あの二人の叔母上のうちのお一人ではないようにと、わたしは心から願っているよ。

 血が繋がっている者に命を狙われたのではないかと疑わねばならないのが、王族というものだ。

 この世で、これ以上の不幸な星まわりのもとに生まれる一族など、他にはないな」


「リアン……」


 アレンは、ダンスフロアからこちらへもどってくる王女方を出迎えるべく、前へ進みはじめたローレリアンの背中を見つめた。


 王子の背中には、大きな醜い傷跡がある。


 アレンの眼には、漆黒の聖衣のむこうにある、その傷跡が見えていた。王子としてこの世に生を受けたローレリアンの宿命を肉体に刻みつける、醜くひきつれた生々しい傷跡が。


 どうして王子の宿命を背負わされたのが自分であったのかと呪いながら、ローレリアンは生涯、その宿命と戦い続けるのだろう。


 何百万といるローザニアの民を守れるのは、王子のローレリアンだけなのだ。


 ローレリアンは、ごく普通の感覚で人を愛する男だ。


 勤勉を主義とし、日々の成果に笑みを浮かべ、またささやかに努力をくりかえす。


 本来の彼は、そういう人間だ。


 ただ王子の宿命が、彼に平凡であることを許さないだけで。


 血を吐く思いで宿命と闘い続けるローレリアンを見守っていると、アレンは時々、大声で神々をののしりたくなる。


 アレンに課せられた役割もまた、呪わしいものだったのだ。


 苦しむ友の背中を、いつも見ているのが彼の使命なのだから。


 投げ出せるものなら、使命など、いますぐ投げ出してしまいたい。


 けれども、大切な友人を見捨てることなど、できるわけがないではないか。


 正しいと信じる道を選んで歩み続けるのは、とても苦しいことだった。


 だから人は欲望への誘惑に負けて、富や権力を求めに走ってしまうのかもしれないと、アレンは思った。

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