女の戦い … 9
大広間の上座に近い位置に集まっていたローレリアン王子と側近たちは、みな苦々しい思いで舞踏会の会場をながめていた。
予想していたこととはいえ、宮廷人たちがローレリアン王子の婚約者に対して起こした反応は、あまりにひどい。
いつも陽気なラカン公爵でさえ、口髭の下の口を山形に結んで、憤っているほどだ。
「モナシェイラ様に対する宮廷人たち仕打ちは、あんまりです!
よってたかって、たった一人のうら若き女性を攻撃して。
女たちは嫉妬に狂い、男たちは興味本位で傍観者を気取っている。
とくに派閥とは関係がない、ただのおべっか使いどもでさえ、会場の空気にのまれて、こそこそ陰口を言いあう始末です!
やはり宮廷とは、魑魅魍魎が跋扈する魔人の巣窟なのだ!
王子殿下。どうか、わたくしめに、令嬢をお救い申し上げよとお命じ下さい。お命じいただければ舞踏会が終わるまで、このパトリック・アンブランテが令嬢のそばに侍り、お守りいたします!」
腹心の側近から切々と訴えられても、ローレリアン王子は落ち着きはらった態度を崩さなかった。彼は自分が怒っていることを、舞踏会の出席者たちに悟らせるわけにはいかないのだ。
「おのれの特権にしがみついていたい者に、変化を受け入れさせるのは大変なことだ。
わたしも王都へ帰還したばかりのころは、ずいぶんと苦労した。
初めて出席した夜会で、わたしに話しかけてきた者の数は、片手に余ったぞ」
ラカン公爵は、露骨に顔をしかめた。
「モナシェイラ様は、か弱い女性なのですぞ。殿下のように、しぶとく丈夫な心臓など、お持ちではないでしょうに」
ふん、と王子は鼻で笑った。
「パトリック殿には、まだ、わたしの婚約者がどのような人なのかを理解していただいていないようだ。
いい機会だから、窮地におちいった彼女が何をどうするか、そこで見ているがいい」
そして、王子は背後にいる首席秘書官へ、低くささやいた。
「カール。宮廷の女主人を気取っている、あのお三方と同調している御婦人方の名前は、もれなく記録しておくのだぞ。
わたしの妻を侮辱した愚か者のリストとして、永久保存あつかいにしておけ。そのうちきっと、役立ててやるからな」
一瞬、大広間を煌びやかに照らすシャンデリアの明かりが、暗くなったような錯覚が起こる。側近たちは自分の身体のまわりに、吹きぬけていく寒風を感じた。
漆黒の聖衣を身にまとい、ローレリアン王子は聖職者らしい慈愛に満ちた微笑を口元に浮かべながら、あいさつにやって来る大貴族や異国の大使たちと穏やかな会話をかわし続けている。
しかし、優しげな笑みの下で、王子はこれ以上ないくらいに激しく、怒っているのである。
ローレリアンは煮えくり返る腹の底で、ののしり声をあげていた。
パトリックに言われなくとも、いますぐ最愛の人を助けに行きたいのは、このわたしだと。
だが、宮廷の慣習を無視して、王子や王子の側近が令嬢を保護しに出ていけば、令嬢を攻撃する材料を探している連中に、いい口実を与えてしまうだけになる。
そもそも、ここまで宮廷の女たちがモナに対して過激な反応を示すのは、自分がぐずぐずと迷い、モナの強力な行動力に背中を押される形で婚約に至ったのが最大の原因だということくらい、ローレリアンにもわかっている。順当な手順通りに結婚の手続きが進んでいれば、女たちのやっかみは、もう少しおだやかなもので済んだだろう。
王太子妃のアディージャ姫は、意地悪な宮廷人たちの悪意にさらされ続けて、とうとう心を病むところまで追い込まれた。その二の舞を、モナに演じさせるわけにはいかない。
大切な人を、宮廷人たちの陰険な暇つぶしの餌食になどさせるものかと思うのに、彼女を守るためには直接手出しできないのが、どうにももどかしい。
ひたすらモナに申し訳なくて、宮廷人たちだけでなく、自分への怒りのやり場にもこまる、ローレリアンなのである。
おかげで王子の側近たちは、はらはらしながら、にこやかなローレリアンを見守るはめになった。
彼らは、王子が我慢の限界に達すると、とんでもない行動に出たりすることを熟知している。
ローレリアン王子は冷静なようでいて、じつは、いつも激情を身の内にかくしている男だ。そうでなければ大国の覇権を手にして、世界を変えようとする野心など持てはしない。
側近の中で一番の地位と身分を誇るラカン公爵は、王子の護衛隊長アレン・デュカレット卿に、そっと耳打ちした。
「おい、卿よ。殿下がキレたら、ひとつ自慢の腕っぷしで、あて身を食らわせてくれんか?
それでもって、具合が悪くなられたと周囲に言いわけして、殿下をここから連れ出そう。
もちろん、貴卿に命じたのはわたしだと申し上げて、のちほど殿下からのお叱りは、わたしが引き受けるゆえ」
とんでもない提案を持ちかけられたアレンは、苦笑して公爵をたしなめた。
「主を昏倒させる相談になんか、わたしは応じませんよ。
それに、ご心配にはおよびません。
殿下はたいそう怒っておいでですが、お怒りのほとんどは、御自分に対するいら立ちであるようですから」
ラカン公爵はむっとして、アレンに冷ややかな目をむけた。
「なんだ、そのやたらと確信があるような言い方は」
アレンは、さらに苦笑を深めた。
ローレリアン王子の大親友を自称してはばからないラカン公爵は、少年期から王子の友人であるアレンに対して、最近では軽い嫉妬のような感情を持っているようなのだ。
そこまでローレリアンのことを好ましいと思ってくれる側近が増えるのはよいことだが、側近同士が王子の寵を争うような事態にはならないようにしなければなるまい。
そう思うと、ますます『氷鉄』と呼ばれるアレンの無表情は硬く凍りつくのだ。
「殿下はモナ様に信頼をよせておいでだと、申し上げただけです」
そう言ったあと、アレンは遠方へ視線をむける。
「ほら、動きが出てきましたよ」と。




