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真冬の闘争  作者: 小夜
第二章 女の戦い
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女の戦い … 8


 モナが約束の時間に大広間の入り口まで行くと、夜会用の礼服に身をつつんだ父親は、すでにそこにいて彼女を待っていてくれた。


 ヴィダリア侯爵の髪色はモナの物心がついたころにはすでに白かったが、最近は毛髪自体が細くなってきてしまったようだ。顔の輪郭の周辺には地肌の色が透けて見えており、深くなったしわとともに、侯爵が生きてきた年月の長さや重ねてきた苦労を物語る要素となっている。


 兄たちと昔語りをしたせいか、モナは父親の年老いた容貌を、とても愛しいと思った。


 近々、兄夫婦のもとへ、赤子が生まれることがわかったせいかもしれない。


 自分もまた、この父から命を受け継いで、きっと愛する人とのあいだに新しい命の絆を紡ぐのだ。


 さしだされた父親の腕に自分の手をからめながら、モナは言った。


「お父さま、もうファシエルお兄様から、報告はお聞きになった?」


 父も、感慨深げにうなずく。


「うむ。我が家には、このところ、めでたいことが続くのう」


「エドウィンお兄様にも、よい奥様が見つかればいいのに」


「エドウィンは冷静な男だ。まだしばらくは、結婚しないかもしれぬな。

 次男のエドウィンは、ファシエルのように跡継ぎをなす義務に背を押されることもない。おまえが王子殿下のもとへ嫁ぎ、宮廷の勢力図がある程度書き換えられるのを待ってから、結婚相手を決めるのではないかと、わしは見ておるが」


「やっぱり、エドウィンお兄様がなかなか結婚なさらないのは、わたしのせいなの?」


「そうとも言えるし、そうではないとも言える。

 政治の中枢に近い位置にいる大家に生まれると、そうそう自由には生きられぬよ。

 エドウィン自身にも、せっかく侯爵家の男に生まれたのだから、世になにがしかの足跡を残したいという野心はある。

 貴族の結婚が、時には野心をかなえる道具になりうるのは、否定できない事実だ。

 そのうえ、おまえが王子殿下のもとへ嫁ぐせいで、エドウィンに大きなチャンスが巡ってきたということも、また厳然たる事実でな。

 それをどうとらえて、どう生きるかは、エドウィン自身の人生ゆえ、わしも口出しするつもりはない」


 このころ、ある程度の地位や財産をもつ家の次男や三男たちの結婚年齢は、遅くなる一方だった。


 ローザニア王国の慣習法では、親の財産や地位は長男の一子相続と定められている。代が変わるごとに子供が財産を分けあってしまうと、たちまちすべての国民が貧しくなってしまうからだ。


 そんな規則があっても王国建国当時には、まだ他国との戦争が日常だったので、次男以下の息子たちにも、戦で手柄を立てて地位や財産を築くチャンスがあった。


 しかし、世の中が平和になってしまうと、相続からあぶれる次男以下の息子たちにとっては、結婚自体が難しくなってしまう。


 とくに貴族の次男坊や三男坊は、親から資金援助を受けて事業を起こしたり、官僚や軍人になったりして、生まれた家の体面を崩さない程度の地位や財産を築くことに成功しなければ、女性に求婚すらできない状況だ。


 ところが、不遇と思われがちな次男坊や三男坊にも、意外なところからチャンスが舞い込むことがある。彼らの姉や妹が、有力者と結婚した場合である。


 自分が王子と婚約したせいで、きっと、まだ未婚のエドウィンやロワールのもとには、名誉を欲しがる金満家や、政治的な同盟をもくろむ宮廷貴族の令嬢との縁談が、さばききれないほどの勢いで大量に押し寄せるのだろうと、モナは思った。


 ―― わたしの恋は、お兄様たちの人生まで変えてしまうのね。でも、わたしには、あの人のいない人生なんて考えられないの。

 ごめんなさい、お兄様たち ――


 モナは表情を曇らせて、足元を見た。


 父親は、そんなモナの手を軽くゆする。


「心配はいらぬ。

 我が家の息子たちも、おまえと同様、わしの自慢になる者ばかりだ。

 それぞれが、それぞれの力で、おのれの人生を切り開いていく。

 おまえも、精一杯、望む通りの生き方を貫けばよいのだ」


 親子のあいだの話がすんだと見て取った宮廷の侍従が、うやうやしく一礼し、大広間の扉を開いた。


 まばゆい光と大きな音が激しい渦となって、モナと侯爵が立つ廊下に流れこんでくる。


 扉のそばに控えていた典礼官が、歌うような調子で会場へ入る者の名を告げた。


「内務省長官ヴィダリア侯爵閣下、ならびに、ご令嬢」


 その場で出会った異性にダンスを申し込める舞踏会は、王宮で行われる宴の中で、もっとも砕けた雰囲気の宴だ。典礼官がダンスを楽しむ人々の邪魔にならないように、独特のリズムをつけて入室者の名前を告げるのは、あくまでも会場にいる友人知人へ待っている人が来ましたよと知らせるためだとされていた。


 しかし、モナとヴィダリア侯爵の名が告げられると、会場中の人々の注目が入り口に集まる。


 すでに舞踏会の出席者のあいだには、モナが女性後見人なしで宴席へ出ていかなければならなくなったことが、知れ渡っているのだ。


 社交界へデビューしたばかりの若い貴族の令嬢が、母親や後見人に付き添われることなく舞踏会へ出席するのは、はしたないことだとされている。若い娘は慎み深く、男性からダンスを申し込まれたときには付き添いの年長者に許可を求め、許しを得てから承諾の返事をしなければならないのだ。未婚の男女のダンスは、ときに結婚相手との出会いであったり、あらかじめ演出された見合いであったりもするので。


 一見自由に見える舞踏会にさえも、厳然たる秩序がある。それが、宮廷貴族たちの世界の在り方だ。


 そんな場所へ、年長の女性の付き添いなしに若い貴族の令嬢が出ていかなければならないとなれば、普通なら、恥ずかしさのあまり顔も上げられないという状態におちいる。


 ところが、ヴィダリア侯爵令嬢は、堂々としたものだった。父親にエスコートされながら薄紫色のドレスを軽やかにさばき、あたりに鳴り響く音楽を心から楽しんでいる様子で、踊る人々の外側を優雅に歩いていく。


 彼女の哀れな顔を拝んでやろうと、早い時間から会場に詰めかけていた意地の悪い貴族たちは、一瞬、典礼官が入場してくる人の名前を呼びまちがったのかと思ったほどだ。


 父親の腕につかまりながら、モナはくすくすと、悪戯っぽく笑う。


 ヴィダリア侯爵はしわの奥の眼を細めて、思わず天井を仰いだ。


 大広間の天井には、何代か前の王が作らせた蔓薔薇の透かし彫りの文様が、みごとに広がっている。透かし彫りはシャンデリアの明かりに照らされて、微妙な陰影を背後に投げかける。その奥行き深い天井の眺めは、まるでローザニア王国の宮廷が、いかに古い伝統と財力を誇るのかを証明しているようだった。


 転じて、視線をおろしてとなりを見ると、娘は若さに輝く華やかな容姿で、みずから光を発しているように見えた。新しい時代を生きる若者の姿には、陰りなど微塵もない。


「そなた、また何か、たくらんでおるな?」


 嘆息する父親にむかって、モナはささやいた。


「たくらむなんて、人聞きが悪いですわ。

 ただ、皆さまの意気込みが、おもしろいなと思ったのです」


 ほらと、モナは目で壁際を次々に指し示す。彼女が目くばせした方向には、それぞれ贅を尽くした衣装で身を飾った貴婦人たちの群れがいた。


「王太子妃殿下を担ぐアントレーデ伯爵夫人のお仲間、それに国王陛下の妹君のモローズ侯爵夫人と、サンジュリ伯爵夫人のお仲間。

 お三方がお三方とも、みごとな距離の取り方ですこと。きれいな三角形を作られて」


 ぱちりと、モナの扇が開かれ、その陰で彼女は笑う。


「まるで、子供の喧嘩?」


「モナシェイラ」


 侯爵のため息は、ますます大きくなった。


 娘の口は、それに躊躇することなく辛辣に動く。


「下町のちいさな広場で、よく同じような光景を見かけますのよ。

 ガキ大将に率いられた子供たちのグループが、『やーい、やーい!』と、おたがいに野次を飛ばしあいますの。

 でも、実際に暴力沙汰になりますと大人から叱られますので、集団での喧嘩はほとんどの場合、にらみ合いだけで終わるのですわ。

 大人は道理を説いて、子供たちをたしなめます。

 宮廷における道理を説く大人とは、絶対権力の持ち主のことかしら。

 にらみ合いも、やりすぎれば国王陛下から、処分をちょうだいいたしますものね」


 しゃべっているうちに侯爵とモナは、会場の中ほどにあたる壁際にたどり着いた。そこでは、会場に先回りしていたローレリアン王子の小姓ラッティ少年が、かしこまって待っていた。


 侯爵がたずねる。


「わしは、本当におまえをここにおいて、立ち去ってよいのか?」


 モナは澄まして答えた。


「ええ、よろしいのよ。

 お父さまは、どうぞいつもの通り、男性同士の会話を楽しみにお出かけになって。

 わたしはここで、おとなしくしていますから」


 男性同士の会話とは、政治的な根回しや、腹の探り合いなどをさして言う。宮廷貴族たちにとって宴席は、大切な駆け引きの場でもある。だから、大家の当主たちは、自分の娘を妻や後見人に預けて世話をさせるのである。


 父親がいつまでも娘と共にいると、それも物笑いの種になる。ヴィダリア侯爵は最後のため息を盛大にはいたあと、その場から離れていった。


「さあ、わたしはここで、心ゆくまで壁の花でいることを楽しんでやるわ!」


 モナは陽気に、ラッティへ話しかけた。


 ラッティはあきれて、言い返す。


「舞踏会の会場中から注目を浴びているというのに、よくそんなことが言えますね」


「うーん。皆さまからの視線がちくちくと全身に刺さって、まるでハリネズミになった気分よ。

 寄り集まってしゃべっている貴婦人たちの、心の声が聞こえてくるようだわ。

 あの方たち、扇の影で、わたしのことを『恥知らず』とか『厚顔な女』だとか、言っているのよね」


「今夜、モナ様に後見人がいらっしゃらないのは、不可抗力なのに!」


「怒らないのよ、ラッティ。

 それこそ労力の無駄遣いというものだわ。

 それより、わたしは今夜の舞踏会で、しっかりと宮廷の人間関係を頭にたたきこむつもりなの。

 アンナお義姉様がそばにいないのは、この際、幸運だったと思うのよ。お義姉様はきっと、そつなく役目をこなしてくださって、わたしを無難な男性と踊らせたり、話し相手をしてくださったりしたと思うのだけれど。でも、それって時間の無駄とも思えるのよね。

 仲介者になる後見人がいなければ、面識がない男性から話しかけられることもないし。

 わたしは、しっかり壁際から、人間観察できるというわけよ」


「でも、モナ様。ぼくは悔しいです!

 あの人たちに馬鹿にされる理由なんて、モナ様にはひとつもないじゃないですか!」


 モナは嬉しそうに笑った。


「ありがとう、ラッティ。

 頼りにしているから、しっかりとわたしに、あなたが知っている宮廷人たちのプロフィールを教えてちょうだいね。

 ローレリアンも言っていたでしょう?

 今夜は、大きな戦の前の小さな前哨戦よ。

 戦はね、結局のところ情報を制したものが勝つの」


 まだ納得がいかない様子のラッティをなだめつつ、モナは「まず、省庁の長官クラスの男性と、その夫人がどの人かを、教えてちょうだい」とやりはじめた。






     **     **






 いっぽう、ヴィダリア侯爵令嬢の様子を遠目に群れてながめていた女たちは、たがいに大憤慨だった。


 とくに、王太子妃を担ぐアントレーデ伯爵夫人とその仲間たちは、憤懣やるかたないと言った様子で、侯爵令嬢の悪口を言いあっている。


「まあ、どうでしょう!

 まだ正式に婚約が発表になったわけでもないのに、自分のそばにローレリアン王子殿下のお気に入りの小姓をはべらせたりして!」


「驚きますわよね!

 普通の感覚の持ち主でしたら、後見人が宴席に出られなくなったところで、舞踏会への出席は見あわせますわ!」


「ええ、ええ!

 やはり、あの方は母君様から、きちんとした淑女教育を受けてこられなかった女性なのよ!

 だから、女だてらに商売をしたり、男性に意見したりするような、がさつなことがおできになるんだわ!」


「庶民に人気があるからって、なにか勘違いをなさっておいでになるのかもしれませんわね!」


「貧乏人は施しをしてくれる人間なら、誰にでもなつきますもの!」


「あんな方を王子妃殿下として認めるなんて、わたくしには、絶対にできません!」


「そうですわ! 無理ってものですわよ!」


 そうやって口汚く侯爵令嬢をののしる女の集団のそばでは、男たちが苦笑していた。


 彼らは御婦人方のように、毎日をおしゃべりなどで無為に過ごしているわけではない。仕事を持つ男なら、誰もがみなヴィダリア侯爵令嬢の商才や行動力に、一目置かずにはいられないのだ。


 しかし、この場では間違っても、ヴィダリア侯爵令嬢は優秀な方だとは言えない。そんなことをすれば、彼らはたちまちご婦人方から袋叩きにされてしまうだろう。


 それに、自分より女の侯爵令嬢のほうが仕事で成功している事実など、男たちは認めたくないのである。男のプライドとは、山のごとく高く、岩のごとく硬いもの。


 舞踏会の雰囲気は、なんともいいがたい嫌な空気に支配されつつあった。


 優雅な音曲に乗って、くるくる舞う男女の群れを見ている人々の眼には、悪意と好奇心しか宿っていなかった。


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