女の戦い … 7
いっぽう、宮廷に渦巻く女の悪意の餌食にされてしまうはずの侯爵令嬢のほうは、興奮しきった派閥の女頭首たちとは違って、いたって呑気なものだった。
可愛い妹が絶対絶命の危機におちいったとして、ヴィダリア侯爵家の控室であせって右往左往したのは、長兄のファシエルや大事件勃発の知らせを受けて駆けつけてきた次兄のエドウィンだけである。
モナはあきれて、言い争う兄たちをながめていた。
女の世界にあって、男はもれなく役立たずであるらしい。「長兄の妻のアンナ夫人は休ませることにして、妹の後見役は誰か他の女性に頼もう」という相談をしていた兄たちは、「では誰に後見役を依頼しようか」という話になったところで、喧嘩をはじめてしまったのだ。
神経が繊細なくせに自尊心が高く、何かというと嫌味な発言をしがちな長兄のファシエルは、顔をゆがめて弟に言う。
「だいたい、おまえがいつまでたっても、結婚しないのが悪いのだ。来年は35になるというのに。
成人した男子には、一家を構えて子をなし、社会的な責任を果たす義務がある。王国建国から連綿とつづく由緒正しい家柄を誇るヴィダリア侯爵家の一員に生まれながら、いい年になっても、ふらふらしおって。
おまえに妻がいれば、こんな事態が起こっても、代役はすぐに立てられたはずだ」
モナの次兄のエドウィンは長兄のファシエルと年子なので、年齢がひとつしか離れていない。それなのに子供のころからいつも二番手あつかいを受けてきた彼には、どうも世の中を斜めに見ているようなところがある。
いまも腕組みをして壁にもたれかかりながら、エドウィンは長兄ファシエルのことをせせら笑っている。
「つい先ほど、義姉上の懐妊がわかったばかりだというのに、もう一家の主づらですか? 仕事に夢中で、結婚後、ずいぶんと義姉上をほったらかしにしておいでだったくせに、調子がよろしいですね。
まあ、どうぞお幸せにと、申し上げておくことにいたしましょう。御子が生まれるとなれば義姉上も、夫の不義理を許してくださるでしょうしね。
わたしのほうは、これから分家を構える身なのです。結婚については冷静に時期を見定めようと考えているだけですから、口出しは無用にねがいたい。
時期を慎重にはかっていて、よかったと思っておりますよ。
可愛い妹が、なんと、王室へ嫁ぐことになりましたからねえ。
わたしの結婚相手に名乗りをあげてくる令嬢も、当然これから、かわってくるはずです」
「ふん! 欲をかくと、つまらぬことで足をすくわれるぞ。
どこかの未亡人から『おなかの子供は、あなたとわたしの愛の結晶です』などと、言いだされないように気をつけるのだな。
司法省で判事を務めているくせに、あちらこちらで浮名など流しおって」
「ご心配にはおよびません。
わたしの恋人は、みな大人ばかりですから。
いっそ、恋人のひとりに、モナの後見役を頼みましょうか?
大物の夫人も、何人かおりますよ? 御主人に、わたしとの関係をばらしますよと脅せば――」
ファシエルは顔色を変えた。
「馬鹿を言うな!
モナは聖王子殿下のもとへ嫁ぐ身だぞ!
後見役が兄の愛人では、世間からいい笑いものになるではないか!」
エドウィンは肩をすくめて見せる。
「しかし、そんな関係でもなければ、いますぐモナの後見役を引き受けてくれる女性を見つけるのは難しいでしょう?
アントレーデ伯爵夫人、モローズ侯爵夫人、サンジュリ伯爵夫人。
このお三方の恨みを買っても平気な顔をしていられるご婦人は、そうそうおられません」
「うううむ。
お三方のどなたとも距離を置いておきたいがために、モナの後見役を身内にしておいたのは、失敗だっただろうか……?」
「殿下との婚約が内定したのは一週間前ですからね。
たった一週間で、三派の中から同盟相手を決めるのは無理というもの。
いまさら言っても詮無いことですが、義母殿が生きていてくだされば、モナに後見役など必要なかったのですがね」
「そうだな。義母殿はクランコバール王家からヴィダリア侯爵家へ降嫁された姫君だ。モナと面差しも、よく似ておいでだった。生きておいでになれば、きっと他に並びなき麗しの母娘として、モナとともに宮廷人たちを圧倒してくださったことだろう」
意地悪く、エドウィンは笑う。
「兄上は当時、あと5年早く生まれていれば自分が義母殿を娶れたのにと、悔しがっておいででしたからね。
その後、特定の女性とお付き合いすることもなく、30で義姉上と見合い結婚なさった理由は、本当にお仕事でお忙しかったからだけなのですか?」
寝椅子に身を預けていたアンナ夫人が、小さく「まあ!」と声をあげ、ファシエルは弟をにらんだ。
「20年前のわたしは、15の小僧だ。子供の戯れ言を、いまになってひきあいに出すな!」
「さて、どうでしょう? 兄上は真面目で、何事にも一途ですからねえ」
「エドウィン、おまえは!」
際限なく続きそうな兄弟喧嘩を止めるべく、モナは座っていた椅子を大きく引いて立ちあがった。
「もうやめてよ! お兄様たちときたら、どんどん話し合うべきことの本題から離れていくじゃないの!」
妹に叱られた兄二人は、いたずらをとがめられた子犬のように、しおれてしまう。
「いや、これはその……」
「悪かった、すまない」
今夜は外国から招かれている賓客が多数参加する舞踏会が開かれる夜なので、王都を守る第一師団の将校であるヴィダリア侯爵家の三男ロワールは街の警備に駆り出されており、この場にはいない。
それが心底ありがたいと、モナは思った。
ロワールは現在28歳で年子の兄たちとは年齢が離れており、モナが生まれるまでは三兄弟の末弟として家じゅうの人間から可愛がられていたせいなのか、陽気で快活な男なのだ。彼がこの場にいたら、きっと兄たちの喧嘩をおもしろがってまぜかえしてしまい、いまよりももっと、収拾がつかない事態へおちいってしまったにちがいなかった。
モナの兄たちは、職場ではみな立派な肩書と複数の部下をもって仕事にまい進する優秀な男なのに、なぜか妹のことになると冷静さを失ってしまう。可愛がってもらえるのはありがたいけれど、もうわたしだって立派な大人なのよと、思うモナである。
「お兄様方」
モナは落ち着き払った態度で、二人の兄の顔を交互に見た。
「いまから急いで、わたしのことをよく知らない方に後見役を頼むのも、どうかと思うの。
そもそも後見役って、社交界のことをよく知らない若い娘が、宴席で人付き合いにこまらないようにしてくださる案内人でしょう?
それなら、王子殿下にお願いして、この子を借りてすませるわ」
「ええええっ!」
とつじょとして御指名を受けたラッティ少年は、大声をあげて身を引いた。
「そんなの、前例がありません!」
モナはたたんだ扇を唇のそばによせ、余裕たっぷりの笑顔を、いかにも裕福な貴族の令嬢らしく華やかに演出してみせた。ほがらかな笑い声も、「おほほほほ!」というお嬢様っぽい声である。
「よく考えてごらんなさい。
わたくしが、いままでに、前例どおり動いたことなどあって?」
ヴィダリア侯爵家の家族や使用人たちは、いっせいに互いの顔を見あわせた。彼らの顔は例外なく、力が抜けた情けない顔である。
モナは得意げに、しゃべりつづける。
「若い娘に後見役が必要なのは、その娘が世間知らずの小娘だからよ。
財産目当ての男に色仕掛けでだまされたり、貴族の家同士の確執を知らないせいで周囲を困惑させるような言動をしないようにね」
小気味のよい音とともに、扇が開かれた。
モナの扇は、自慢の自社製レースをふんだんに使って作ったものだ。おかげで扇は小鳥の羽根のように軽く、華やかに動く。
「みなさまご存じとは思いますけれど、わたくしは、世間知らずの小娘ではございませんのよ。
いくつもの事業に経営の立場からかかわっておりますし、レヴァ川東岸に新しく作られる国営の病院と医学校の設立準備委員会には、理事として名を連ねさせていただいておりますの。
そんなわたくしが、いまさら後見人の影にかくれて深窓育ちのお姫さまを気取ろうとしても、不自然なだけですわ」
長兄のファシエルは、最後の抵抗といった様子で、妹をたしなめた。
「しかし、モナ。
世間の常識とは、あくまでも保守的で、はみだそうとするものを嫌うのだよ」
「そんなくだらない常識は、これから作り変えてやります。
若い娘が世間知らずなのは、何も教えられていないからですわ。
詩作や歌や楽器の演奏しか学ばせてもらっていない女性は、これからの時代を生き抜いていけません。
聖王子殿下のご指導の下で、これからローザニア王国は、大きく変わっていくのですもの」
「おまえが後見人を連れずに舞踏会へ出たことで悪い噂でも立てば、王子殿下にまでご迷惑がかかるかもしれないぞ」
軽やかに空気をかき混ぜていたモナの扇の動きが、ぴたりと止まった。
あくまでも優雅な態度で、王子の婚約者である侯爵令嬢は言いきる。
「王子殿下は、つい先ほども、『きみはきみらしく、いつものようにしていればいい』とおっしゃられたわ。
今までの貴族のご令嬢方とはちがう女だからこそ、殿下はわたくしを、妃に望んでくださったの。
殿下がわたくしに求められている役割は、過去の習慣の踏襲ではありません。これからやってくる新しい時代にふさわしい、宮廷の在り方を模索することですわ。
それが、王家に嫁ぐ、わたくしのなすべき仕事だと思いますの」
さあ、これで話し合いはおしまいですと、モナは宣言した。
「エドウィン兄様。ご足労をおかけして申し訳ないのですけれど、お父さまのところへおいでになって、モナは約束通りの時間に舞踏会の会場の入り口でお父さまをお待ちしておりますと、お伝えしてくださる?」
いつも遊び人を気取っており、人を食ったような態度でいる次兄は、妹を見て苦笑していた。その笑顔には、遠い昔を懐かしむような切なさがある。
「びーびー泣いてばかりだった赤ん坊が、立派なレディに育ったものだ。おまえが生まれてからすぐに義母殿がみまかわれてしまったとき、我々兄弟は、途方にくれたのだがね。
小さな妹に、わたし達は、なにをしてやればいいのだろうかと思って」
長兄のファシエルもうなずく。
「おまえは、これから大変な義務を背負って、生きていかなければならなくなったが。
何があっても、わたしたち兄弟は、最後までおまえの味方だ。
こまったときには、ちゃんと、わたし達にも相談してくれ」
ふたりの兄は交代で妹を抱きしめたあと、部屋から出ていった。
その様子を見ながら、ラッティ少年は思った。
王家に嫁ぐ女性を出す一族には、その女性と運命を共にする覚悟が求められる。
お姫様は王子様と結婚して幸せに暮らしました――なんて、おとぎ話のような締めくくりは、現実には存在しない。王子様との結婚は、親兄弟までを巻き込んだ、戦いの始まりなのだ。
モナ様には、頼もしい御兄弟があって、よかった。
長兄のファシエル様が、モナ様の母君様に惚れていたというのも、あながち嘘ではないのだろう。
それに、次兄のエドウィン様が、モナ様を見る目。
きっと、エドウィン様も、モナ様の母君様を忘れられないのだ。
だから、亡くなった侯爵夫人の忘れ形見であるモナ様の成長を見届けるまで、エドウィン様はご結婚なさらなかったのかもしれない。結婚すれば次男は、本家から離れていかなければならないから。
ぼくも、心してモナ様にお仕えしようと、ラッティは改めて誓った。
王子殿下とともに新しい時代を築くのだと、モナ様は言う。
これから生まれ変わっていくローザニア王国は、きっと今より素晴らしい国にちがいないと、ラッテイは思うのだ。




