寝室
そこにいたのは、薄紅のふわふわとした髪を垂らした、あどけなく儚げな印象の少女だった。髪は一部だけ結われて生花を飾られ、少女性が強調されている。いつも鏡で見る自分とは全く違う。
ルミの手入れの仕方が良かったのだろう、髪は艶を帯びて柔らかい赤みが増している。解いた髪がこんなふうにふわふわと靡くことなど自分でも知らなかった。
「…………誰?」
「もう、第一声がそれですか! フィオーレ様ですよ! 本来のお姿はこちらに近くていらっしゃるのだと思いますよ? きちんとした佇まいも素敵でしたが、ずっとそれでは疲れてしまいますし……くつろぎのお時間くらいは気を緩めて楽になさるとよろしいかと」
(気を緩めて……楽に……)
そんな心遣いをしてくれる人など、モンティスにはいなかった。ソルクスといいルミといい、どうしてこうも自分によくしてくれるのだろう。
「あ、でも」
ルミたはたと思い至った様子で言った。
「この格好、殿下に見られないように注意しないといけませんね」
「そうね、こんな気の抜けた格好でお目にかかっては失礼だものね」
「いえ、そうではなく。そもそも殿下のお為にもフィオーレ様の装いを整えさせていただいたのですが……予想外に仕上がりが良すぎて。ちょっと今は、この段階では……刺激が強すぎるかと……」
フィオーレは瞬いた。この服は生地こそ薄いものの露出は少ない。正装のドレスのように襟ぐりが深く開いていたりしないし、袖も裾も充分長い。刺激が強い要素などないと思う。
刺激が強い服装というのは、フィオーレのイメージでは、アーグムに寄り添っていた女性のような格好だ。腕から胸のぎりぎりまでを剥き出しにして、背中も腰のきわまで開いているような。
きょとんとするフィオーレに、分かっていませんね、とルミは首を振った。
「無防備さも刺激ではあるのですよ。そのあたりはまあ、おいおい分かっていかれるかと……」
「…………?」
「それより、お眠りになる前にアロマを焚きましょう。お好みの香りを確かめたいですし……」
言いかけたルミの言葉を遮るようにノックの音がした。この一続きはフィオーレに割り当てられた部屋で、男性は使用人であっても入ってこられないから、女性の小間使いの誰かだろう。フィオーレの代わりにルミが返事をした。
「どんな用件ですか? 姫様はお休み前でいらっしゃるので、急ぎでなければ明日にしてほしいのですが」
「おくつろぎのところ恐れ入ります。その、殿下がお見えなのですが……」
ドアの外から小間使いが言った。男性は入ってこられないが、もちろんソルクスは別枠だ。フィオーレはルミと顔を見合わせた。
「この格好でお目にかかるのはよくないのよね? でも失礼だというのとは違うのよね? ……追い返すわけにもいかないし、お会いするのはまずいかしら」
「まずいというわけでは……いえ、フィオーレ様にとってまずいかもしれませんが……」
「………………?」
そんなやりとりをしているうちに、ドアが開いた。小間使いが申し訳なさそうな顔をしている。そしてその後ろには、ソルクスが立っていた。……確かに、彼には逆らえなかっただろう。開けろと言葉にされなくても、抗いがたい圧力を感じたに違いない。小間使いを責めるわけにはいかなかった。
そのソルクスは、目を見開いて呆然としていた。金色の視線に射すくめられ、フィオーレは居心地悪く身じろぎした。その動きが場の緊張を破り、ソルクスは夢から醒めたようにはっとした。とはいえ魅入られたような視線はそのままだ。
物も言わず、つかつかとソルクスはこちらへ歩いてきた。とっさにといった様子でルミがフィオーレを庇うように前に出る。
そのルミに目をやり、ソルクスは……ぐっと親指を立てた。ルミも頷き返し、ぐっと親指を立てる。何やら分かり合っているようだが、フィオーレには訳が分からない。
「それでは、私どもは下がっております。フィオーレ様……ご武運を」
「ええ、ありがとう……?」
よく分からない励ましを受け、フィオーレは首を傾げたままルミと小間使いを見送った。ぱたんとドアが閉まり、寝室の中にソルクスと二人で取り残される。
(今さらだけど……この状況、まずいのでは……)
ソルクスとフィオーレは婚約者同士だ。婚約者ではあるが、婚約者どまりだ。フィオーレは求められたら否とは言えない立場であるが、そもそもソルクスがそうした求めをするならば礼儀に反している。フィオーレは彼の礼儀と良識を信じるしかない。
「…………」
「…………」
沈黙が流れ、フィオーレはソルクスの出方を窺った。その途端、彼の喉仏が上下する。
「……その表情はまずい」
「表情、ですか……?」
取り立てて表情を変えているつもりはない。少し目を伏せがちにして、目を見るときは少し上目づかいに、あまり真っ向から見ることのないようにしているくらいだ。目上の者に対するにあたって失礼のないようにと思ってのことだが、なにか間違ったのだろうか。これも王妃教育に従ってのことなのだが。
「表情だけではない。声も、佇まいも……すべてが私を揺さぶってくる。少しだけ……抱きしめさせてくれない?」
「…………!?!?」
はい、などと軽々には言えない。前の婚約者だったアーグムにもそんなことを許しはしなかった。彼の場合はそもそも求めてこなかったからだが。
特に同性同士で抱きしめ合って挨拶する場面はよく見るが、フィオーレはモンティスで孤立していたこともあり、他人にそうした触れ方をしてこなかった。異性に対しては言わずもがなだ。
「無言は同意と見做すけどいいかな?」
言うが早いか、ソルクスはフィオーレを抱きしめた。フィオーレは固まって心の中で悲鳴を上げた。
あまりにも近くで、ソルクスの切なげな声がする。
「まずい……却って我慢がきかなくなりそうだ。悪いけど離れてくれない……?」
「そんなことを仰っても……!」
離れろと言いつつ、ソルクスの腕はしっかりとフィオーレを閉じ込めている。身じろぎさえ許さないほどだ。
「君は……知らないだろうな。私がどれほど長い間、君が欲しかったか。ずっと我慢してきたか……」
そんな切実な声がしたが、いっぱいいっぱいだったフィオーレはその意味を考える余裕など持てなかった。




