関係
「殿下は、イリスト殿下よりも上に立つためにわたくしを……」
「うるさい!」
最後まで言うことができなかった。アーグムは激高し、フィオーレにのしかかってきた。喉を締めあげられ、悲鳴がくぐもる。命を脅かされる恐怖と痛みとで涙が滲む。
唇を動かしても空気が入ってこない。朦朧とする頭で、失敗した、と後悔した。なんとか時間稼ぎをしようとして、かえって地雷を踏みぬいてしまったらしい。
「殺しはしない。だが、余計なことを喋るな。――分かったな?」
喉を掴む手が離される。解放されて激しく咳き込むフィオーレには答える余裕などない。あったとしても……従順に頷くことなどできそうになかった。
(こんな人のために……この人の治める国のために……わたくしは頑張っていたの……?)
モンティスを離れて、ソルクスの傍にいて、違う世界を見て。フィオーレはもう、狭い世界の中で生きていたあの頃の自分には戻れない。アーグムを好きになることはできなくても、彼の妃となってモンティスに尽くす未来を受け容れていた頃の自分には。
アーグムがフィオーレのドレスに手をかける。抵抗しようとするが、再び頬を張られて気が遠くなる。視界がちかちかと明滅した。
(嫌……助けて、ソルクス様……!)
こんなときになってようやく、フィオーレは自分の想いを自覚した。彼の真意が分からなくて傷ついていたのも、この想いのためだったのだ。
だが、想いを自覚するのがあまりに遅すぎた。フィオーレは助けを求める声も上げられず、ぎゅっと目を瞑った。
「――フィオーレ!」
その声も、幻聴だと思った。自分の願望が聞かせる空耳だと。
だが、いつまで経っても、覚悟した痛みがやってこない。アーグムの気配が離れ、呻き声が聞こえる。
(その声……いえ、そんな、まさか……)
期待するのが怖い。おそるおそる目を開くと、アーグムを床に押さえつけて険しい表情をしたソルクスの姿があった。
「……ソルクス様……? ……本当に……!?」
「フィオーレ! 無事か!?」
ソルクスもおそるおそるといった表情で確かめる。フィオーレが首を縦に振り、傷つけられていないと確かめると、その表情が安堵で緩んだ。後から駆けつけてきたソルクスの護衛たちがアーグムを拘束する。
さらにその後から、エルサが顔を覗かせた。不安そうだった表情が、フィオーレを認めて泣き出しそうになる。
「彼女が君の居場所を教えてくれた。晩餐にも戻ってこないから君に何があったのかと探し回っていたところだった……本当に、よかった……」
ソルクスに抱きしめられ、フィオーレも躊躇いなく抱きしめ返した。いまさらながらに体が震えてくる。足にも力が入らない。緊張の糸が切れて、反動が一気に出ている。
「……怖かった……」
「もう大丈夫だ。あいつは許さん」
いつもよりソルクスの口調が鋭い。イリストと話していた時も思ったが、こちらが彼の素のようだ。フィオーレには気を遣って当たりをやわらげて話してくれていたのだろう。
「本当に、ありがとう。わたくしを……見つけてくださって。今も、舞踏会のあの時も……約束を守ってくださったのね……」
ソルクスの腕の力が一瞬だけ強まった。動揺したらしい。
「わたくし、もう知っているの。庭の秘密の場所で一緒に遊んだ友達は、殿下だったということを……」
「…………失望しただろうか……?」
「まさか。また会えて嬉しいわ!」
もっと早くに知りたかったという思いもある。どうしてほぼ初対面のはずのフィオーレを婚約破棄から救ってくれたのか、どうしてフィオーレをこんなに大事にしてくれるのか、分からなくて不安になったのも確かだ。だが、それらすべての思いが溶けて消える。彼は自分を裏切らないという直感は当たっていたのだ。
ソルクスは心からほっとした様子で力を緩めた。長く息をつき、弾みそうな口調で言う。
「また、庭のあの場所に一緒に行こうか。手紙のやり取りも交わそうか。私が出した最後の手紙の、その続きを君に送ろう」
「ええ、是非! 最後のお手紙がなんだか中途半端で、ずっと気になっていたの」
フィオーレが、自分の一番大切な「友達」に宛てた手紙……その返事で、彼女は――彼は――「友達」という言葉を使わなかった。また会えたら、きっとその時は、私の――に、なってほしいと――




