不安
「どういうこと?」
きょとんとするフィオーレに、苦笑しつつエルサは応えた。
「同一人物だとお気づきにならなかったということよりも、ソルクス殿下のお心にお気づきにならなかったことの方が大きいのでは、ということです。きっと殿下は、ご自身からは明かしにくかったのだと思いますよ」
「ええと……どういうこと……?」
フィオーレは自覚した以上に鈍かったのかもしれない。エルサの言わんとしていることがまだ分からない。エルサは苦笑を深めた。
「どこまでご自身の意思かはともかく、女装した状態で親友になった相手に、じつはあの少女は自分だったのだ、とは言いにくいだろうということですよ。明かしたときにどう思われるのか、嫌われるのではないか、そんなふうに恐れておられたかもしれません」
「そんなこと……ないのに……!」
でも、エルサの言うことはもっともだ。仮に立場が逆だったとして、フィオーレが少年姿で男同士の友情を結んだ幼馴染に、成長した女性の姿で正体を明かせるかと言ったら……たぶん、できない。嫌われてしまうのではないかと思って怖くなるし、子供時代の思い出をも汚してしまうような気になるかもしれない。明かしてしまったら、近くに居られる現在の立場も、過去の思い出も、どちらもなくしてしまうかもしれないのだ。それは……言えない。
そこまで考えて、思い出す。フィオーレはソルクスにぎこちない態度を取ってしまったり、過去のことを知りたがったりしてしまった。そうしたフィオーレの態度のせいで彼もこのことを明かしにくかったのもありそうだ。
そこに思い至ってしまうともう、居ても立っても居られない。すぐにでもソルクスのところへ行きたい。誤解を解きたい。
だがもちろん、そんなわけにはいかない。フィオーレは囚われている状況で、脱出の目途が立っていない。
「あの、エルサ。無理を言っているのは分かっているのだけど……わたくしをここから逃がしてはくれない? あなたをここに寄越したアーグム殿下を裏切らせることになってしまうけれど、わたくしのところへ、プルーウィスへ一緒に来ない? ご家族の問題とかいろいろあるかもしれないけれど……」
悪いようにはしない、と説得するが、エルサは残念そうに首を横に振った。
「そうしたいですし、お助けしたいのはやまやまです、フィオーレ様。ですがこの部屋の前には見張りが立っていて、とてもわたし一人ではフィオーレ様を逃がすことができそうにありません。わたくしなりにやってはみますが……」
「いえ、いいの。あなたに危険が及んでしまうわ。無理を言ってごめんなさい」
フィオーレは慌てて止めた。自分のためにそこまで勝算の低い危ない橋を渡らせるわけにはいかない。それに、エルサを失ってしまえばフィオーレにとっても困った事態になる。味方がいなくなってしまうのだから。
「ですが……」
「いいの。ごめんなさい」
フィオーレはエルサが言いかけるのを遮った。
「では、わたくしが自力で逃げるのは難しそうね。見張りがいるし、いざとなれば何の力も持たないわたくしなんてどうにでもできてしまうのだし……」
ここに連れて来られたときのように、とフィオーレは考えたのだが、エルサはなぜか表情を硬くした。
「させません。わたしもできるだけ動いてみますので、どうかフィオーレ様、無茶はなさらないでください。そして、時間を稼いでください。どうぞ、ご無事で……」
あまり長居すると不審を呼ぶからだろう、エルサは皿を回収して立ち上がった。心細くて引き留めたくなるが、ぐっと堪える。
「分かったわ。ありがとう、エルサ」
「いえ、何もできなくて申し訳ありません。フィオーレ様、くれぐれも……お気をつけて」
言い残し、エルサは部屋を出て行った。その悲壮な表情が気になったものの、呼び止めることはできない。フィオーレは再び部屋の中で一人になった。
(心細いけれど……せめて、エルサがいてくれてよかった。そうでなければ心細いどころでは済まなかったわ……)
不安に駆られて、体調すら崩してしまったかもしれない。フィオーレはこれでも厳しい王妃教育を受けてきたので、普通の貴族令嬢とは違って色々と鍛えられている。感情をコントロールするすべも知っているし、表情や動作を落ち着いたものにすれば内面もそれにつられて落ち着いてくれるものだと知っている。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせながら、パニックを防ぐために部屋の細部を意識的に客観的に観察する。壁の石積みや布の質感を視線でなぞり、目の前のものに意識を集中させる。不安で叫び出しそうになる心を、そうやって不安から目を逸らそうとする。
そんな合間に思い出されるのは、やはりソルクスのことだった。




