動揺
パルセノのその言葉の意味を、理解したくなかった。絶句したまま目を見開き、フィオーレは弟と目を合わせた。パルセノは気まずそうな表情になったものの、言葉を引っ込めようとはしない。ややあってふいと顔を逸らすと、パルセノはそのまま部屋を出て行った。ぱたんと無常に戸が閉まる。
(…………どういうこと…………)
フィオーレの理解が追い付かない。いや、理解したくない。
パルセノは被害者なのだと思ってきた。その状況から助け出さなければいけないと思ってきた。だが、彼は……自分で自分を救うことにしたのだ。姉を身代わりにして。
フィオーレは項垂れた。ずるずると座り込み、深く息をつく。
(…………。……でも、これでパルセノが助かるなら……そうよ、一番の目的は達成できることになるわ。それを喜ばなければいけないわ……)
頭ではそう思うものの、弟に裏切られた衝撃が抜けない。動揺が続いている。
裏切りではあるが、そもそもフィオーレとパルセノは互いのことをあまり知らない。表面的な情報は持っているが、一緒に過ごした時間はごくわずかなのだ。パルセノに至っては姉の記憶があるかどうかも怪しい。気持ちの上で、ほとんど他人のようなものかもしれない。姉を裏切るというよりも、他人を利用するという意識なのかもしれない。
鬱々とそんなことを考えていたからだろうか。部屋の戸が再び開かれていたことに気付くのが遅れた。かつこつと足音がしてようやく、誰かが部屋に入ってきたのだと気付いた。
足音は硬く、軽やかだ。女性の靴の足音だと思いながら顔を上げ、フィオーレは思わず顔をしかめそうになった。そこにいたのはあまりに意外な人物だった。
「……アマータ様……?」
アーグムの現在の婚約者。フィオーレの婚約破棄の直接の原因となった美女、モンティス王国の男爵令嬢アマータだった。
相変わらず扇情的な服装をしており、しかもそれを誇示する様子だが、未来の王妃としてはふさわしくない。誰彼構わず媚びを売っているように見えてしまう。フィオーレの受けてきた王妃教育では、そうした服装は考えられない。
だが、それがアーグムには効いた。その色気と美貌を以て彼女はフィオーレを追い落とし、モンティス王国第一王子の婚約者の座を手にした。
今更それを返せと言う気はないし、咎める気もない。むしろ返されたら困ってしまう。自分にはもうソルクスがいるのだから……
(…………、そう思っていいのか、分からないけれど……)
フィオーレの内心や真実がどうだったとしても、対外的には何の紛れもない婚約者同士だ。
そんなフィオーレに、アマータは笑みを浮かべてみせた。にっこりと微笑んでいるが、友好的な態度にはどうしても見えない。嫌な予感しかしない。
「ごきげんよう、フィオーレ様」
「いちおうお尋ねしますが、どうしてこちらに?」
「いちおうお答えすると、嵌められたあなたを笑いに、かしら」
笑いながらアマータはそんなことを言う。
(味方のふりをされなかっただけましかもしれないわ……)
パルセノの裏切りで心がすれた気がするフィオーレは、たいした衝撃も受けずに流した。それがアマータには気に入らないらしく、彼女は眉をひそめて詰るように言った。
「まあ、可愛げのない。ここはあたしに下手に出ておくべきところよ? これから何があるか知らないのだから無理もないけれど」
「……これから? パルセノの代わりに監禁され続けるというだけでなく?」
「馬鹿ねえ」
やれやれといったふうにアマータは肩をすくめ、首を横に振った。
「腐っても一国の公女で大国の王子様の婚約者なのだから、あなたをいつまでも監禁し続けられるわけなんてないでしょう? そのくらい分からない?」
「一国の公女で大国の王子様の婚約者であるわたくしを監禁しようとする者の考えなんて分からないわ」
「……よく回る口ね?」
「どうでしょうね」
自分のどこかが擦り切れて振り切れてしまったのかもしれない。いつもなら絶対にこんな喧嘩腰になどならないのだが、今は勝手に口から言葉が零れてくる。……パルセノに裏切られた衝撃を誤魔化そうとするかのように。
「……まあいいわ。あなたはもっと大人しくて気弱なお飾りかと思っていたけれど、こちらの方が楽しいものね」
「…………?」
眉を寄せるフィオーレの横を過ぎ、アマータは部屋をぐるりと見回した。わざとらしく布類を寝具のように整える。いったい何をしているのかと思ったが、アマータは答える気がなさそうだ。積まれた布を上機嫌に軽く叩いている。鼻歌を歌いださんばかりだ。
「ねえ。あなたを監禁し続けることはできないけれど、あなたをモンティスに縛り付ける方法ならあるのよ……? 自分からそうしてくれと懇願するかもしれないわね……?」




