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到着

(どうしてこんなことに……どうしてわたくしはここに……)

 馬車の窓からぼんやりと外を眺めながら、フィオーレは物思いにふけった。昨日の今頃は舞踏会の準備をしていたというのに、何がどう転んでこうなったのか、いまだに頭がついていかない。一日しか経っていないのに、モンティスの王城での日常がもうこんなにも遠い。

 車窓の外ではしとしとと雨が降り続いている。春から夏へと移り変わっていく時期の、木々を育てていく雨だ。緑が豊かに香り、雨のヴェールが世界をおぼろに霞ませる。

 雨水の跳ねる道を、それでも馬車は軽快に走っていく。きれいに舗装されて人の行き来も多いこの道は、まっすぐにプルーウィス王国へと続いている。

 プルーウィスはモンティスの隣国ではあるが、実はロージアとも国境を接している。ロージアの大部分はモンティスと接しているが、残った一部はプルーウィスに接しているのだ。

 だからこそ移動の面倒な手続きなどもなく、フィオーレは求婚の翌日にはモンティスを発っていた。今はロージアを経由する形でプルーウィスへと向かっているところだ。

 非常識きわまりない早さだが、これはソルクスがフィオーレを早く連れていきたいと求めたからだった。フィオーレに否やはない。モンティスに長く留まりたい理由もなかったし、詰め込まれていた教育課程や公務、それに第一王子の補佐の仕事は、ソルクスの圧力の前に消えてなくなってしまった。

 結婚前でまだロージア人の身でありながら、フィオーレはすでにモンティス王国のものと見做されて公務に駆り出されたり第一王子の政務を押し付けられたりしていた。それがそもそもおかしかったのだが、フィオーレには逆らえなかった。ソルクスがそれらをすべて簡単に退け、フィオーレを連れ出したのだ。

 そうしたわけで、フィオーレはいつ以来とも知れないのんびりした時間を過ごしていた。実はプルーウィスのことを学ぼうと馬車に本を持ち込もうとしたのだが、ソルクスに止められてしまった。君は頑張りすぎだから、休めるときには休むべきだと、柔らかい口調ながら一歩も引かない調子で言われてしまったのだ。

 フィオーレのことを良く知っているような口ぶりが気になったが、教育課程などを特に隠したりはしていないので、知っていてもそれほどおかしくはないのかもしれない。

 おかしいのは……

「……私の顔に何かついているかな?」

「…………!」

 ちらりと視線を横にやると、ばっちりと視線が絡んでしまった。ソルクスの琥珀色の瞳が甘く細められる。

 なぜかソルクスが同乗しているから、そちらを見られず窓の外を見ていたのだが……そんなフィオーレを、まさかずっと見ていたのだろうか。

 もちろん彼の顔に余計なものなど何もついていない。顔のパーツが全て完璧な位置についているだけだ。おかしいのは顔ではなく、この状況そのものだ。

(本当に、どうして、こんな方がわたくしに……)

 フィオーレはいまだに戸惑ったままだ。尋ねたいが、尋ねて煩わせるのも気が引ける。それに……それで気を変えられても困る。モンティスに送り返されてもフィオーレの居場所はないのだ。

(……気が変わられるようなことはなさそう、だけど……)

 フィオーレにも分かる。彼の熱意が一時の気まぐれではないことくらいは。

 そして、そのことがいっそうフィオーレを戸惑わせる。どうしてそんなにも自分を、と。

 揺れる視線からフィオーレの戸惑いを読み取ったのだろう、ソルクスは安心させるように微笑んだ。こちらを愛おしむその笑顔の眩さに目がくらみそうだ。

 ソルクスはそっとフィオーレの頬に触れた。

「私は君が好きだよ。好きという言葉ではとても足りないくらいに。君をこれ以上戸惑わせるのは本意ではないから今はここまでにしておくけど、覚悟しておいてね」

「!? ええと…………はい……?」

(覚悟……覚悟って、どんな覚悟が必要なのだろう……)

 分からないが、なにかとんでもない覚悟を求められていそうな気だけはした。


 雨を抜けるようにして馬車は走り続け、十五日をかけてプルーウィスの王城へと到着した。

 急ぎすぎず、フィオーレに負担をかけないようにとしてくれたらしい。快適な旅だった。そしてプルーウィスの町々の様子もよく分かった。国の隅々まで栄えている。

 王城はモンティスのそれとは桁違いに大きく、装飾的で華やかな造りをしていた。ソルクスの説明によると、昔は防衛第一で無骨な城だったが、時代を経るごとに規模が大きくなり、防衛よりも人々が集まる場所としての機能を高めていったのだとか。

 平和で、栄えているのだ。道中でもそのことが良く分かった。

 そして驚いたことに、フィオーレは城の人々から大歓迎された。モンティスの王子に捨てられたみじめな公女、しかもそんな者が大国の王子に色目を使って……などという視線が一切なかった。

「あの殿下がようやく良いお相手を見つけてくださった……」

「本当に、ようございました……」

 年かさの女官たちが涙ぐんでいる。ソルクスは苦笑いで応じており、その気安さから、彼が息子のように思われていることが伝わってきた。

 適齢期になっても相手を作らないままだった第一王子が婚約者を連れ帰ったことに安堵している側のことは、理解できる。

 分からないのは、フィオーレの存在がなぜか男性たちからも大歓迎されたことだ。若年の彼らがソルクスをそこまで親身になって心配するものだろうか。

 不思議に思って理由を尋ねると、女性たちが軒並みソルクスに引き寄せられて大変困っていた、彼が特定の相手を作ってくださってものすごくありがたい、という答えが返ってきた。そんなことをしみじみと言われたものだから、これには思わず笑ってしまった。

 笑って気安さを見せてしまったせいか、その男性ははっとしたような顔になってさらに何かを言いかけた。しかしソルクスが笑顔で圧力をかけて退散させていた。いったい彼は何を言いたかったのだろう。

 その日の夜はソルクスとほどんど二人きりで晩餐をとった。大人数では落ち着かないだろうと配慮してくれたのだ。長い道中を彼とは結局ずっと一緒に同乗していたこともあり、そのおかげか少し気持ちが解れてきたので、この配慮はありがたかった。少し警戒していたが、馬車の中でむやみに近付かれることもなかった。……視線はものすごく感じたのだが。

 モンティスでは晩餐の時間も練習か公務かを兼ねていたため、そうしたことを考えずにゆっくりと食事を楽しめるというのが戸惑うほど新鮮だった。マナーを気にせず、好きなものだけ、食べられるものだけ食べればいいと言ってもらったのだが、かえって戸惑うフィオーレをソルクスは愛おしげに、少し痛ましげに見ていた。

 食後は花びらを浮かべた湯にゆっくりと浸かり、モンティスでの義務に近いそれとは違う行き届いたマッサージを受け、寝衣に着替えて柔らかな寝台に沈み込むようにして横になった。その過程の一つひとつ、用意された部屋の隅々にまで、気遣いが行き届いていた。

 プルーウィスの王城で過ごす初日。長い一日はそうして終わった。

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