舞踊
フィオーレは飲み物を手にして壁際に下がった。ここで大人しくしているという意思表示だ。
ソルクスはフィオーレの意図を察したらしい。申し訳なさと心配が混ざったような表情をして軽く目線を下げ、諦めたように一人の令嬢の手を取った。
よかった、と思いつつも、彼の様子に胸の奥が少し痛む。なぜだろう……彼は自分のものではないのに。
ソルクスは令嬢の顔を立てるように踊り始めた。少し見ただけでその巧みさが分かる。姿勢が正しくステップも正確で、体の動きを完全にコントロールしている印象だ。相手に振り回されたり乱されたりするようなことがなく、むしろ相手の動きをカバーしている。その姿は会場の中でもひときわ際立っていた。相手の令嬢もさぞかし踊りやすいだろう。
ぼんやりと眺めているうちにソルクスは次々と相手を変えていった。相手が踊り続けたいそぶりを見せても丁重に断っている。挨拶として必要最低限の分だけにしているようだ。それでも彼の相手になりたい令嬢は引きも切らない。
対して、フィオーレに声をかける者はいない。かつてこの国の第一王子の婚約者だったという立場の微妙さもさることながら、今は大国の第一王子の婚約者だ。下手に声をかけて婚約相手のソルクスに睨まれるのは誰だって避けたいだろう。
(でも……なんだか妙に視線を感じはするのよね……)
声はかけられないが、ちらちらとこちらを気にするそぶりの男性たちが多い。きっと、モンティスを出たフィオーレがプルーウィスでどのように扱われているかなどが気になっているのだろう。
声をかけられないのをいいことにぼんやりとしていたのだが、そんな時間は長く続かなかった。近くに人の気配がしたので顔を向けると、元婚約者のアーグムがそこにいた。フィオーレの弟、パルセノも一緒だ。
「……っ!」
ほとんど初対面に近いような弟に、どう声をかければいいか分からない。この状況をどうしていいか分からない。
パルセノのことはむしろこちらから探しに行きたかったのだが、あまり一人で勝手に動くのもまずいだろうと思い、ソルクスがダンスを終えるまでは大人しくしていようと思っていたのだ。それが、向こうから来てしまった。
「パルセノ……」
「婚約者よりも先に、弟に声をかけるとはな」
アーグムの咎めるような声に、フィオーレはきっと眉を上げた。
「婚約者ではありません。元、です」
元婚約者よりも家族を優先して何が悪い。立場が上の者を立てろと言っているのだろうが、弟をロージアから無理やり引きずり出してきた者に敬意など示そうと思えない。
「いい態度だな? 弟がどうなっても構わないと見える」
「…………!」
それを言われると何も言えなくなってしまう。人目があるこの場で何かされることはないだろうが、その後でどうなるのかが分からない。視線で抗議しながらも口をつぐんだフィオーレに、アーグムは手を伸ばした。腕をつかみ、引き寄せるようにする。
「っ!?」
「来いよ。俺と踊れ」
「!? 婚約者の方はどうなさるのです!?」
「ああ、アマータか。あいつはまだ支度中だ。寝過ごしたとか出な。仕方のない奴だ」
(ええ…………!?)
めまいがするかと思った。次期国王の婚約者が寝坊で舞踏会に遅刻するだなんて聞いたこともない。しかもそれをアーグムは自然に受け入れている。色々と大丈夫なのだろうか……他人事ながら心配になるほどだ。
そんなフィオーレにパルセノが声をかけた。
「……お姉さま……」
(……可愛い……!)
遠慮がちにかけられた声はまだ幼く、あどけなさが際立つ。彼と言葉を交わすことすら初めてで、弟からお姉さまと呼ばれたフィオーレは、彼を守らなければならないという使命感に駆られた。
「……お誘いを受けます。ですから弟のことは、どうぞよしなに」
「いいだろう」
アーグムはにやりと笑い、フィオーレの手を引いてホールを進んだ。音楽が途中だが、無理やり割って入ってフィオーレをパートナーに踊り始める。
アーグムの言葉を信用などできないが、彼の機嫌を損ねるのは得策ではない。フィオーレはアーグムの身勝手な動きに振り回されつつ、なんとかまともに見えるようにと必死にステップを踏んだ。
そんなフィオーレの苦労などおかまいなしでアーグムは言った。
「どうだ? お前がモンティスに戻ってくるならパルセノは解放してやる。今のお前なら愛人くらいにはしてやってもいい……いや、お前の態度次第では婚約者に戻してやらんこともない」
「!? アマータ様は……!?」
「ああ、あいつは美しく奔放だが、教育が不十分でな。彼女には何も任せられなくて困っているんだ。雑事の皺寄せがこちらに来るが、それは俺のすべきことではない。なのに俺がやるしかない状況になったりして、しかも俺の評判まで下がっていって、煩わしいことばかり増えていっているんだ」
(勝手なことばかり……!)
どこから突っ込めばいいのか分からない。美しさと奔放さで相手を選んだのはアーグムだから、それは彼の責任だ。彼が雑事と言う諸々のことは以前フィオーレがこなしていたことだろうが、それこそ国務であったり、雑事などと一言で片づけていいようなものではない。当然アーグムが本来すべきことだし、評判が下がっているのは彼の問題だし、それらを煩わしいと避けようとするなど言語道断だ。
フィオーレは思わず不快感を顔に出した。アーグムがそれを見咎める。
「そんな表情をしていいのか? こちらにはお前の弟がいるのだぞ?」
「その弟は、プルーウィスの次期国王の義弟になる者だということをくれぐれも忘れないでもらいたい」
「ソルクス様!?」




