来訪
フィオーレはそんなふうにして、ソルクスをはじめ、王妃や侍女や他のプルーウィスの人々から温かく迎え入れられた。フィオーレの側からも、少しずつ国務に携わるなどして恩返しをしているところだ。それを思った以上にありがたいと喜んでもらえて面映ゆい。
しかしある日、抑圧されていたモンティスでの日々を思い起こさせるような出来事があった。
「あら、あなた……」
城の廊下ですれ違った令嬢が、フィオーレを呼び止めたのだ。取り組んでいる案件のことを考えながら上の空で足早に歩いていたため、呼び止められるまで相手の顔をろくに見ていなかった。人がいるのは認識していたが、ぶつからないようにと避ける以上のことを考えていなかった。
声をかけられて顔を上げ……フィオーレは思わず表情を消した。
「……ごきげんよう。ラーラ様」
ここで見るとは思わなかった顔だ。モンティスの貴族令嬢であるラーラは、アーグムに近しい……言ってしまえば取り巻きだった。彼に追従してフィオーレを悪くいい、嘲笑っていた人物だ。
とっさに嫌な顔をしてしまいそうになったので表情を消し、軽い会釈にまぎらせて表情をごまかす。一呼吸置けば微笑むくらいはできる。
なぜ彼女がプルーウィスの王城にいるのか知らないが、そういうこともあるだろう。フィオーレがもてなさなければいけない義理もない。会釈だけして通り過ぎようとしたのだが、ラーラは離してくれなかった。
「じつは私、ソルクス殿下に呼ばれて参りましたの」
「え……!?」
その名前を出されては平静でいられない。フィオーレは驚いて彼女の顔を見返した。
ラーラは栗色の巻き毛で、勝気な印象の華やかな美人だ。アーグムにも気に入られていたようだが、彼が他の女性を選んだ今、彼女の立場がどうなっているのか分からない。まだアーグムの婚約者の座を狙っているのか、そこまでいかなくても彼に近い位置を占め続けようと思っているのか。
(もしかして、そうではなくて……ソルクス殿下に乗り換えようとか、そういう話……!?)
フィオーレの嫌な予感を裏付けるようにラーラは話した。
「冴えないあなたがソルクス殿下の婚約者に選ばれるなんておかしいと思っていたのよ。やっぱり裏があったみたいで、私にもお声がかかったわ」
「裏……!?」
「教えてほしい?」
にんまりと、赤い唇が弧を描く。つられて頷いてしまいそうな自分を、フィオーレは自覚して止めた。
「……いえ、いいわ。殿下に直接うかがうから」
自分に敵対的な人間の言葉をそのまま鵜呑みになどできない。何を聞かされるにしても、ソルクスの口から直接聞きたい。
フィオーレの返答にラーラは不機嫌な顔になった。
「なによ、属国の公女ふぜいが! 公爵の娘なんて、モンティス国内ならたかが一貴族の娘でしかないのよ!? なにを偉そうに!」
「それでも、伯爵の娘である君よりは上の立場だな。それと、ロージアはモンティスの属国などではない」
断固とした調子で、低い声が割って入った。
「ソルクス様……」
不快そうな顔をしていたソルクスは、フィオーレの言葉に表情をやわらげた。フィオーレに向かって微笑む。
(甘い……!)
通りかかってロージアの擁護をしてくれただけでもありがたいのに、その表情がフィオーレの立場をさらに救っている。ラーラとは何もないのだと、大切なのはフィオーレなのだと、その表情の温度差が物語っていた。
一瞬とはいえ、彼を疑ってしまった自分を恥じる。
「ソルクス様、裏というのは……」
そんなものはない、と断言してくれることを期待して聞いたのだが、ソルクスは言葉を濁した。
「……ああ、そのことだが…………」
「え……」
「……済まない!」
いきなり謝罪された。まさかラーラが仄めかしたような、何か後ろ暗いことがあったのだろうか。フィオーレは表情を暗くしたが、ソルクスがそのフィオーレの頬を両手で挟むようにした。
「不安がる君の表情が珍しくて可愛くて、しかも私のことで気を揉んでくれているのがいじらしくて……つい意地悪をしてしまった、済まない!」
「済まないってそういう意味ですか!?」
「それ以外に何もない。裏なんて何もないし、彼女が勝手に言っているだけだ。もちろん私から声をかけたりもしていない。モンティスからの知らせがあるからと会って話を聞いただけだ。二人きりになったりもしていない」
「それなら……良かったです……」
疑念が全部解消された。フィオーレは思わず表情を緩ませた。ソルクスがはっとした表情になり、フィオーレの頬に当てている手を滑らせて撫でるようにした。フィオーレの頬が勝手に赤くなる。
「……なによ! 見せつけているつもり!?」
すっかり存在を忘れていたが、そういえばそこにはラーラがいたのだった。フィオーレは慌ててソルクスの手を外そうとしたが、頬の感触を気に入ったらしいソルクスの手が離れてくれない。その様子を見たラーラの顔がさらに歪んだ。
「そうしていられるのも今のうちだけよ!」
捨て台詞を残して、ラーラは足音も荒く去っていった。
いったい何だったのだろう、とぽかんと見送るフィオーレに、ソルクスは言った。
「どうやら、君を連れてモンティスに行くことになりそうだ」




