教唆
アーグムは思い返す。
まず、父母……モンティスの国王夫妻との間に溝ができてしまった。
ロージアはモンティスの属国のようなものだから、そちらの統治者一族の息子や娘がモンティスにご機嫌伺いに来るのは当然だ。フィオーレもそうして幼い頃にモンティスにやって来たところを、モンティスの国王夫妻の目に留まったのだ。
モンティスに王子は二人いるが、よほどのことがなければ王位は長男のアーグムが相続する。アーグムは次期王位継承者として、幼い頃から多くの婚約者候補がいた。もちろん決めるのは国王夫妻だ。
だが、その頃は貴族間の権力争いが激しく、誰を選んでも角が立つという状況だった。かと言って弱小貴族の娘を選ぶのもそれはそれで本末転倒だ。国内の基盤を安定させるために婚約を結ぼうとしていたのだから。
そこで選ばれたのがフィオーレだ。彼女は幼い頃から身の程を弁えていた。身分も申し分ない。モンティス国内の有力貴族の娘の方が権力は上かもしれないが、一応は他国の、それも支配者の娘なのだ。単純比較できるものではなく、また各所を納得させやすかった。婚約者候補の親族たちも、対抗勢力とアーグムが結ぶくらいならロージア公女を婚約者に据えておく方がいいという判断をした。もしも将来的に邪魔になったとしても、弱小国ロージアの公女なら何とでもなる。
そういったことを、アーグムは成長してから聞かされた。
しかしフィオーレはもっと早くから、ことによるとアーグムの婚約者としてモンティス王城に住み始めたその日から、理解していたのかもしれない。父母はフィオーレに多くの家庭教師をつけて厳しい王妃教育を施し始めた。
アーグムは勉学が嫌いだったから、その矛先が彼女に向いてくれたのは好都合だった。父母はアーグムを可愛がってくれたから、勉学を無理強いしようとはしなかった。
(本当に、何が楽しいのかさっぱり分からん。フィオーレといい、イリストといい……)
弟の第二王子イリストも、彼女と同様、アーグムが理解できないたぐいの人間だった。勉学を好み、積極的に国外へと出て経験を積む。モンティスは充分に広いし、自分の庭である国内でさまざまに楽しむことができるというのに、何を好き好んで面倒なことをしているのだろう、と思う。
その彼は王位への野心を見せていない。むしろアーグムを盛り立てるように動いてくれている。都合がいい、可愛い弟だ。イリストをこそ王にという声が上がっているのは知っているが、本人がそうした態度であるため、アーグムは心配していない。
(そうだ、あいつだけは俺を理解してくれた。同じ男だから同意してくれるんだろう。美しく魅力的なアマータをこそ妃にしたいという俺の考えを……)
フィオーレとの婚約を破棄したことに、父母は思いがけず苦言を呈した。二人が見繕った婚約者だし、教育も施して使える駒に仕立てたのだからそれは当然だ。だが、アーグムは悪くない。ソルクスという計算外の存在がフィオーレを掻っ攫っていかなければ、彼女はそれまで以上に従順で使い勝手のよい駒になったに違いないのだから。悪いのはアーグムではなく、ソルクスであり、フィオーレだ。
父母からの叱責など何年ぶりだろうか。その不愉快さを思い出すとますますフィオーレへの怒りが募る。すべて彼女のせいだ。
父母は王位をイリストに継がせることも考え始めたらしい。だが彼は拒んでおり、その学びをアーグムの治世に役立てると言ってくれた。周りの者はそれでいいのだ。上に立つ者は堂々としていればよく、知識や技能は下の者が持っていればいい。上手く使ってやればいいのだから。
だからアーグムは、つまらないフィオーレを追い出すまではしなかったのだ。婚約関係を続けることはこれ以上我慢ができなかったが、婚約者ではなく手駒として手元に残しておくつもりはあったのだ。モンティスで教育を施されたのだから還元すべきだったのだ。
しかしフィオーレはいなくなった。大国プルーウィスの第一王子の横槍が入り、彼女を手放さざるを得なくなった。
大損ではあるが、あのお堅いなりのつまらない女の顔を見ずに済むようになるのだからまあいいか、と軽く考えていた。……それが、大間違いだったのかもしれない。
父母との間に溝ができたのに始まり、重臣たちがアーグムから距離を置くようになった。これまではアーグムの意見を仰いでくれていたのが、分かりやすくよそよそしくなった。確かにそれまでもフィオーレを介してしかやり取りがなかったが、それでも時期王位継承者の顔を立ててくれていたのに。
アーグムにおもねる貴族たちも数が減ってきた。父母がイリストへの王位継承を考え始めたという話を耳にしたのだろう。変わり身の早いことだ。
周りの態度はそんなふうだというのに、アーグムの仕事の負担は一気に重くなった。書類にサインをするだけだからと言われてサインをしただけなのに、書いてあることに目を通していないのかと父王に叱責を受ける。判断を求められて、分かる者に聞けと言ってやったら軽蔑の眼差しを向けられる。先日など、どこぞの慈善施設の落成式にどうしても第一王子の出席が必要だと懇願されて、移動を含めて二日が潰れた。フィオーレがいれば彼女を代理にやれたのに。
本当に、まったくいいことがない。
「あいつだ、あいつが勝手に出て行ったからだ!」
むしゃくしゃして机に拳を打ち付けたアーグムの耳に、アマータの甘い声が流れ込んできた。
「……それなら、呼び戻してはいかがかしら……?」




