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恋愛ギャグホラーコメディ短編

作者: ばち公

 ハンカチを落とした。青い無地のハンカチ。

 もと来た道を戻ると、髪の長い女性がかがみ込んで、僕のハンカチを拾ってくれていた。

 こんな視界もよくない黄昏時に、わざわざ拾ってくれるなんて、きっと素敵で優しい女性に違いない!


 つまり。

 彼女こそがきっと、僕の運命の人なんだろう。


 僕は浮かれ気分で、彼女の背中を追う。僕みたいなそこらの男性よりも高いが、女性らしくほっそりした華奢な背中。決して近づき過ぎず、離れ過ぎない。ただずっとずっと追い続ける。

 素敵な背中に、僕は思わずうっとりと溜息を零す。

 僕は僕の運命の人を探していた。落とし物をすっと拾ってくれるような人。素敵で、優しい、親切な人。それであれば、誰でも、どんな性質の人間でもよかった。

 だから、わざとハンカチを落としたのだ。安物の、あまり目立たない青色のハンカチ。

 そして、彼女がそれを拾った。僕が隠れて見ている前で。偶然居合わせた人が、僕のハンカチを拾った。それがこんなに、後ろ姿が素敵な人なんて。

 なんという確率だろう。

 これぞ運命!

 運命的な人と、運命的な出会いをする――僕と彼女は、出会うべくして出会ったのだ。


 日が沈みかけたためか人気のない道を、彼女はゆっくりと歩いていく。

 誰ともすれ違わない薄暗い小路。じわじわと鳴く蝉。暑さに滲んだ汗の不快感。

 夕暮れ時とはいえ、こんなにも暗い道を歩くなんて不用心だ、と僕は心配になってしまう。変質者でもいたらどうするんだろう?

 ここは私道だったはずなので、後で自治会に街灯についての要望をたくさんたくさんたくさん出そう。なけなしの貯金からの寄付も申し出よう。

 彼女はしばらく歩いた先にある、見るからに安っぽい、古アパートの一室へと入っていった。

 それを見届けてから、僕は彼女の部屋の周囲を調べることにした。心配したとおり、不用心な家だった。単純な仕組みの鍵。割りやすそうなガラス。インターホンもカメラ付きじゃない。ベランダだって、電柱から簡単に飛び移れてしまう高さ。でも、ドアにも郵便ポストにも表札がないのだけは、ちゃんと用心深くていいと思う。


「やっと会えるね……」


 ドアに耳を当てて部屋の中の様子を探ったが、しんとして、人気もないほどに静かだった。部屋には明かりもついていない。もう眠ってしまったのだろうか? ああ、なんて規則正しい人!

 僕は堪らなくなって、インターホンを鳴らした。

 そこではっと我に返った。

……いけない。彼女が眠っていたら、その邪魔になってしまう。彼女の健康を害すなんて、あってはならないことだ。

 そして、僕がその場から去ろうとした、その瞬間だった。

 かちゃり。

 ドアの鍵が、開けられる音がした。

 足音も、気配もなかった。

 その瞬間、僕は全てを理解した。

 きっと上品かつ華麗に移動する人なのだろう、と。

 つまり、心根だけでなく、所作も美しい。なんて素晴らしい人なのだろう!


「どちら様ですか?」


 ほんの少し、開かれたドアから、彼女の声が聞こえた。

 掠れたような、低い、小さな声だった。蝉の鳴き声がいつの間にか聞こえなくなっていたおかげで、やっと聞き取ることができる。そんな声だった。

――つまり、蝉も僕達の出会いを祝福してくれている!

 僕は彼女との運命を改めて確信し、神とこの世の全ての蝉に感謝した。


「あの、僕のハンカチを拾ってくださいましたよね」

「青色の?」

「はい。僕、感動したんです。視界もよくないこんな黄昏時に、わざわざハンカチを拾ってくれるなんて、なんていい人なんだろうって!」


 僕はそれがどれほど運命的なことか、奇跡的なことかを語った。ひたすらに語った。彼女の素晴らしさを称え、この出会いに何度も感謝した。それからこの家のセキュリティの弱いところを丁寧に全て説明した。この家を気に入っていたら申し訳ないが、これも彼女のためだ。こんな素晴らしい人には、少しの危険も許されないだろう。

 僕が話し続けても、彼女は何も言わなかった。


「……」


 ふ、とかすかな溜息が聞こえた。

 僕は僕の言葉が、彼女に届いていない可能性を感じて、ぞっとした。

 運命! 運命なのに!

 僕は話し続ける。


 此処に来て、気づいたら蝉の鳴き声が一つも聞こえてこないこと。

 此処に来て、なぜか――恐らく緊張からだろう、冷や汗が流れ続けていること。

 此処に来て、突然、ひどい耳鳴りが始まったこと。


 これらも全て説明した。全てが僕らが運命である予兆に違いなかった。僕には分かった。彼女にも分かってもらわないといけない。

 じゃないと、もしかして、これらは全て僕だけの、くだらない勘違いで、運命の予兆ではないのかもしれない。


――じゃあ、これらはいったい、何の予兆なのだろう。


 そう思った瞬間、ドアが軋みながら少し開いた。


「入って」


 ああ、ああ!

 彼女は理解してくれた。分かってくれた。知ってくれた! 運命! 運命だ! やはり僕らは運命だったのだ!

 僕は弾かれたようにドアを開けると、その中に飛び込んだ。

 部屋の中は、しんとしていた。僕の耳鳴りはいつの間にかやんでいたが、それでも耳が痛くなるくらいには静かだった。

 靴の一つも転がっていない玄関は、使われたこともないように綺麗で埃一つなかった。彼女の靴はきっと全て靴箱にしまわれているのだろう。几帳面な人だ。素敵だ。

 僕は靴を脱ぎ、揃えてから、部屋の奥へと足を進めるため、襖を横に開く。

 その先の、六畳一間の和室に、彼女はいた。僕の見惚れた背中をこちらに向け、カーテンが少し開かれた窓の方を見つめている。

 綺麗だ。夕日の中の彼女に僕はまた見惚れてしまう。


「来て」


 低い女性の声で発される彼女の命令は、あまりにも心地よい。

 僕はふらふらと、花に寄る虫のように彼女に近づく。


「私が運命?」

「うん」

「私のことが好き?」

「うん」

「私を愛してる?」

「うん」


 うっとりと頷くと、彼女は振り返った。

 その手が僕に伸びてくる。


「こんな顔でも?」


 彼女の顔は、爛れていた。

 人間というより巨大な猿の顔を歪ませてから、更に酸で溶かしたかのようだった。皮膚は青ざめているというよりいっそ緑がかっている。目は黒目一色だ。光の失せた黒真珠が、ごろっと嵌っているように見える。機嫌が良いのか大きく裂けた口からは、発達した犬歯というより獰猛な肉食獣のような牙と、先端がヘビのように分かれた、大きな長い舌が覗いている。

 その裂けた口から涎がだらりと垂れて、僕の頭に迫って、そして、


「構わないっ!!」


 彼女に両腕を鷲掴まれたまま、僕は叫んだ。


「気にしない! 気にならない! どうでもいい! 君は僕の運命だ!! 君だけが運命なんだ!! 好きだ!!! 好きだー!!!! 君みたいな素敵な人に僕なんかが釣り合うとは思えないけど! でも運命なんだ! 君と僕は運命なんだ!! 好きなんだー!」


 僕がめちゃくちゃに叫ぶと、彼女は動きを止めた。


「運命?」

「うん!」

「好き?」

「君だけが!」

「愛してる?」

「永遠に!!」


 僕が答えると、彼女は口を閉じた。僕は微動だにせず彼女の返事を待っていた。まあ彼女に鷲掴みにされているため、どのみち動くことはできないが。

 そして、何か考えるように黙ってから、やがて口を開いた。


「命乞いだとしたら大胆で、そうでなければ異常者だ。だが、どちらにせよ面白い」

「面白いものが好きですか? 今日からお笑いの勉強をします」


 彼女は黙って僕を見ていた。じろじろと、まるで値踏みするみたいに。

 僕は1円くらいでもいいから僕に価値があると思ってほしいなと思った。


「私に従う?」

「もちろん!」

「私に全てを委ねる?」

「なんだってする!」

「私が死ねと言ったら死ねる?」

「君がそれを望むなら!」


 可能であれば、眼の前で死ぬことを許されたい。見つめられたまま死にたいし、僕の死が少しでも脳裏に焼き付いてくれたら幸せだ。いや、あくびしながら見ていてくれてもいい。その一瞬、僕だけを視界にいれてくれるのなら。

 僕が喋るのを、彼女は黙して見つめている。思慮深い人なのだろう。僕には分かる。彼女の黒真珠のような静かな、揺るぎない目は、知恵の光を湛えている。


「よろしい。魅入られた者は攫うのが礼儀というもの。これからお前は私の手、私の足だよ。魂が擦り切れるまで私に尽くし、跪け。いいね?」

「そ、そんな……そんなの……」


 僕は震えた。


「当たり前じゃないか……!」


 僕は最初から、全てをこの人に捧げる覚悟で会いにきたのだから。拒絶されたら、死ぬか警察に自首するはずだった。どちらがいいかも、委ねるつもりで。

 僕を掴む彼女の腕に力が籠もる。彼女は怪力だった。もし、気まぐれにもう少し力を込められたら、僕の骨は砕けてしまうだろう。

 ああ、なんて情熱的! なんて幸福!

 僕が感動にうち震えていると、彼女は上機嫌に笑った。


「私を裏切ったら殺してやる」

「そ、そんな……それって……」


 僕は震えた。

 だってそれってつまり、彼女は僕の行動に関心があるということだ!

 なんて熱烈な言葉。こんなの聞いたことがない。彼女は文章の才能もあるのかもしれない。僕の運命はシェイクスピアなのかもしれない。

 僕の最期を委ねるのがあなたの手だなんて、そんなに幸福なことはない!


「不束者ですがよろしくお願いいたします!」


 僕が頭を下げると、彼女は僕の視線の先、つまり床に僕の青いハンカチを投げ捨て、「拾え」と命じた。

 僕はうっとりして這いつくばるようにそれを拾ってから、彼女のつま先めがけて頭を床に擦りつけたのだった。

 僕は、世界一の幸せ者だ!

恐怖vs恐怖!

檻に入れた方がいいです

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