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執念  作者: 近江光武
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第1話 / 興福寺一条院

 我が子の成長に頬を緩め、嬉しさを覚えると同時に心中には憂いが増長する。親と云うのは手放しで子の成長を喜ぶべきだというのに二律背反に足利義晴元帥は頭を悩ませた。


 長子・菊撞丸の大日本帝國軍の総帥「元帥」への就任は約束されている。元帥としては次男坊の千歳丸の将来を考えなければならなかった。


 北条家に代わり軍事政権を敷いた足利家の地位没落を招いた最大の要因は誰もが「跡目争い」であると断言する。帝都・京に政府を築かなかった北条政権と比べ、帝都に本拠を置く足利政権はあまりにも武人色が薄まった大貴族化してしまったのである。武より文化の享楽に(ふけ)った先祖の無関心から後継問題が端を発し、応仁年間で繰り広げられた史上最大の内戦を引き起こすに至った。京という安住の地に加え、財力も同時に失った家中分裂について義晴元帥は忘れる筈はなかったのである。


 義晴自身、幼き頃より流浪の生活を強いられた。


「千歳丸のことだが、もう3歳となる。成長著しく、嬉しくもあるのだが、本音を云ってしまうと養育費を考えると金の問題が生じている。それに、何としても御家騒動は避けたいので、和尚さんの方へ預けるのも一つ、手だと思う。まア、我が家の慣習ではあるのだがな。恥を忍んで公儀団子とでも銘打った土産を売って、商売をしてみるか」


 義晴元帥は重臣である大舘尚氏予備役大佐や朽木稙綱少佐らを前に千歳丸の今後の処遇について意見を求めた。子供の養育すら満足にいかない程に生活が困窮していると恥ずかしくも思い、冗談を放ち、苦笑した。


 目の前の臣下共は私を詰り、呆れから罵詈雑言を浴びせてくるのだろうと義晴は思ったが、なんと彼らは忠実なことか。表情に悔しさを滲ませ、項垂れている者がいる。口を一文字に結び、自らの責任だと痛感している表情の者もいる。


 全く私は幸せ者だ。没落貴族の癖に、こうも信頼のおける存在がいることに義晴は安堵した。


「惨めな思いに至らざるを得ぬ……閣下の苦しむお顔を拝し、自らの非力を悔やむばかりであります。私は永らくお仕え致した身としてお詫び申し上げ致します」


 老将である大舘予備役大佐はすかさず詫び入れした。彼は文武両道の者だ。有職故実に精通している教養豊かで軍務・政務経験は政権内部では抜群であった。(まさ)に政権の生き字引。予備役編入後も(なお)、側近として重用されていた。


「爺。私の無力さ故であるから謝り無用だよ。こちらが頭を下げるべきだ」


 政権の成り立ちから一門衆による連合政府の色合いが強いので、元帥家直属の兵隊の数は諸侯に比べ、少ない。神輿として担ぎ上げられるのが常だが、義晴は諸侯に顔色伺いせずに帝都京で安定した政権運営を執りたいと願っていた。


「御家柄を考えますと、京より離れますが、南都が良ろしいのではないでしょうか? 奥方の御実家藤原氏の氏寺でありますし、義父様の近衛尚通公爵閣下の御子であります覚誉さまが一条院門跡ですから適所でしょう」


「妙案、妙案。それはいいな、少佐。一条院門跡は藤氏の方や皇族方が就かれておられる。武門の者が入る事例はない筈だ。近衛家の親族である故に条件を満たしてはいるが、義兄の稙家子爵に話を通す。子爵の猶子として入れれば良いだろうな。妻も安心であろう。我が子と離れてしまう心苦しさを伴うが、寺社行政官の諏訪中尉を興福寺へ向かわすとしよう」


 南都は興福寺。帝都の南に位置する大和國にあることから南都と呼ぶ。大和一國を支配する程の強大な勢力を誇り、近江國比叡山延暦寺と並び「南都北嶺」と称された。畿内安定の為、大和地方の寺社勢力との結びつきを深めることでも有意義であった。


 男爵朽木稙綱少佐は、足利慶寿院夫人は藤原関白である近衛尚通公爵の令嬢であることから、所縁のある寺院を勧めた。男爵は、自領・近江國朽木谷に義晴元帥を匿った経験を有しており、危機迫りし者の救済には自信がある。実に、機転の利いた発案だ、と者々は納得した。


 幼児・千歳丸の興福寺入室案は決まった。後は興福寺がどう応えるかだ。


「諏訪中尉。よろしいか。我が子の千歳丸を南都へ入れることに決まった。方針が定まったので、南都にその旨を通告して欲しい。たまには洛外を出、外気に触れると良いだろう。出発日については改めて伝えるとする」


「ハッ。承知いたしました」


 天文11年(1542年)9月1日、主家の使命を帯びた諏訪長俊中尉は馬で大和路を進み、興福寺へ向かった。10時間ほどの乗馬旅を経て、興福寺門前へ至った。


「さすがは南都仏教の本山だ。立派だな、こりゃ」


 諏訪中尉は馬を降りて、歩を進みながらまじまじと周囲を見渡した。


 門前には裏頭に刀を携えた大柄な僧兵2名が警戒していた。


「何用で? 御身分は?」


 馬を降りると、諏訪中尉はすぐさま軍隊手帳を提示した。と同時に僧兵共は中尉の被る軍帽帽章を目にすると、頭を下げた。各國軍人の軍帽帽章には主家の家紋があしらわれている。中尉の軍帽帽章には無論、足利二つ引き両の家紋があしらわれているのである。


「込み入った話があります。ですから取次をお願いしたい」


 寺務所へ誘われ、応接間の椅子に腰掛ける。


「暫しお待ちください」


「えぇ」


 数分後、対応方の寺務員が現れ、諏訪中尉は立ち上がった。


「元帥たる足利公爵の使者であります。私、寺社行政官を務めております中尉の諏訪長俊と申します」


「長旅ご苦労でありましょう。お座りくださいな。さあお茶でも啜って」


「ありがとうございます」


 諏訪中尉は差し出された茶を啜り、旅の疲労を癒す。


「突然でしょうが、公爵家第二子の若君、千歳丸様の寺院入室に至り、南都興福寺一乗院にお預けするに決定しました。ですから入室準備と若君のお世話されたく」


「なんと! いや、南都だから「なんと」と申した訳ではない」


 南都だけになんと、である。寺務員は咳き込む素振りで、洒落を胡麻化した。


「義晴様の御子を我が寺院にですか。それは奥方様の御実家でもある藤原の皆さまの氏寺の(ゆえ)でありましょうか? 光栄でありますが、即答は出来かねるのう。話を我々坊主共に通さなければなりませんな。のちには一乗院門跡として寺院の別当となられるということでしょう」


「そうです。御家の繋がりを鑑みまして、興福寺さまになりました。近衛家の稙家様の猶子として入室致します。前向きに捉えてよろしいのでしょうな? 是非ともお願いしたい。勿論この場で即答なぞ求めてはおりません。口約束でなく、書面も携えて参りました」


「いつ頃の入室でしょうか?」


「11月です」


「あと2か月しかないとは、それは早いもんですナ。承知しました。早めにお答え致す」


「ありがとうございます。どうか、どうか」


 規定事実のように事が進められては、寺院側は困る反面急いでいる様に足利の逼迫、苦しい事情が伺えられた。


 公儀から受け入れる前例がない為、少なくとも年内の受け入れは延期すべきかどうか、広義には藤原一族近衛家の御子なのだから受け容れるべきか、学侶は話し合いの末に早いうちに回答を導き出した。


「是非とも御請けしよう」


 回答文書が義晴の下へ届くと、義晴は「そうか……吉報だ」と呟いた。


 天文11年11月20日、足利千歳丸は興福寺一条院へ入室した。幸か、不幸か足利の将来の一つは早くも京を離れたのである。

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