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第7話 セドリックの入学式


 セドリックに嫁いでから、一年が経った。


 長いようで、あっという間だった。

 彼と並んで食べて、学んで、歩いた時間は、私の中で静かに積もって土台になった気がする。


 ――だからもう、私の破滅ルートはない……はず。


 原作の強制力なんてものがもしあるなら、油断は禁物だ。


 帳面に手を出さない、夜遊びには出かけない。

 これらを守れば、原作の破滅ルートは逃れられると思う。


 あとはセドリックと仲良く、誠実に。


 そして今日。

 十六になったセドリックが、魔法学園へ通い始める。入学式だ。


 私は玄関ホールで待っていた。


 階段の上から軽い足音。

 現れた彼は、濃紺の上衣に銀の飾り糸、白い襟。


 胸元の校章がきりっと光る。


 肩の線がこの一年でぐっと広くなり、まだ成長途中の細さと頼もしさが同居している。

 袖口から覗く手は長く、手袋越しでも骨ばりがわかった。


 ――はぁ、とても似合う。


 ゲームで何度も見た推しの入学ビジュアルが、今は目の前に立っている。


 生の解像度だ、尊い。

 気づけば私は、彼の周りをぐるっと一周していた。


 前、横、後ろ。

 うん、どこから見ても良い。


「アメリア?」


 彼の不思議そうな声に、はっとして距離を取る。


「ご、ごめんなさい。以前、私も通っていたから……懐かしくて。つい」

「ああ、そうでしたね」

「それに、セドリックの制服姿が、とても似合っていますから」


 正直な感想を添えると、彼は目尻をゆるめた。


「ありがとうございます、アメリア」


 この一年で、私たちは自然に呼び捨てになった。

 最初はくすぐったかったけれど、今は心地いい。


 ――ただ、離婚のことを思えば、慣れすぎないほうがいいのかもしれない。


 線を引くべき場所はある。


 そう思いながら、結局嬉しくなってしまうのが私だ。


「お待たせしました。着替え、終わりました?」

「ええ」


 私は階上から下り、ドレスの裾をすっと摘まんで会釈をした。

 今日は入学者の家族として列席できるから、落ち着いた色のドレスを選んだ。


 胸元は浅く、袖は七分、糸で小花を散らした刺しゅう。


 髪は低くまとめ、銀の簪を一本。


 派手ではないけれど、光の角度で表情が変わる布だ。


「綺麗です」


 まっすぐ言われて、ほんの少し喉が詰まる。


「ありがとうございます、セドリック」


 言葉を短く返して、手袋の端を整える。

 胸の内は小さく跳ねているけれど、見せないようにする。


 車寄せには馬車。御者が扉を開ける。

 セドリックが先に一歩出て、振り向いて手を差し出す。


 その仕草が、もう板についている。


 一年前ならぎこちなかった所作が、今は自然だ。


「どうぞ、アメリア」

「ありがとう」


 指先を預けて、ほんの一瞬、掌の温かさが移る。

 座席に並ぶと、窓の外の街並みがするすると後ろに流れていく。


 私は横目で彼の横顔を盗み見る。


 十六歳。頬の幼さは残っていて、額と目のあたりに知性の影が濃くなった。


 ――ゲームの立ち絵が、現実になっていく感じ……本当に尊い。


「緊張しています?」

「少し。……でも楽しみです」

「うん。あなたなら大丈夫です」


 学園の尖塔が見え始め、やがて門に辿り着いた。

 白い石のアーチに蔦が絡み、紋章が朝日に薄く光っている。


 馬車が止まり、扉が開く。


 彼が先に降り、振り向いて手を差し出す。


「どうぞ、アメリア」

「ありがとう」


 石畳に下りると、空気が一段澄んだ。


 ――これこれ、この画面。


 もし前世のカメラみたいな機械があれば、いま私は写真を百枚は撮っていたと思う。


 推し+聖地。

 最高の組合せね。


 馬車を降りると、色とりどりの家の紋章がひらめき、子どもたちの声が重なる。


 新入生たちは、だいたい父母と一緒。

 兄姉が来ている子もいる。


 セドリックは、私と二人。


 彼の両親の公爵夫妻は――来ない。来るはずもない。

 彼が相手にされていない現実が、改めて胸に刺さる。


 だから私が来た。


 ……が、そのせいで、別の意味の視線の刺さりを感じることになった。


 人の輪の端から端まで、さりげなく、しかし確かにこちらへ向く光。

 若い女性を連れている生徒、という目に映っているのだろう。


 妻に見ているのか、姉に見ているのか。


 自分の赤髪と彼の淡金髪では家族にも見えないだろうし、年の差もある。


 賑やかなはずの空気が、私たちの周りだけ少し違って聞こえる。


「……私、やっぱり帰ったほうがいいかしら」


 小さな声で問う。

 場に波風を立てたくない。


 彼の入学式に、余計な色をつけたくない。


 するとセドリックは、当然のように首を振った。


「なぜですか?」

「少し場違いな気がして……変な注目を浴びていますし」

「みんな、綺麗なあなたに見惚れているだけですよ」

「っ……」


 不意に心臓を弾かれた。

 よくそんなことをさらっと言えるようになったわね。


 推しの成長がまぶしい。


「ふふ、世辞でも嬉しいです」

「世辞じゃないです」


 言い切ってから、彼は視線で先を示す。


「行きましょう、アメリア」

「ええ、行きましょう」


 私は彼の腕にそっと手を添えた。

 肘の内側に沿うように指を置く。


 この一年で覚えた、ふたりの歩き方。


 石段を上がる私の歩幅に、彼が自然と合わせた。



 講堂の扉の前でセドリックと別れ、私は参列者の流れに紛れて後ろの席へ回り込んだ。

 新入生は前列、家族は後方。並びは決まっている。


 私は端の席を選んで腰を下ろした。


 案の定、視線が刺さるわね……。


 両親や親族に挟まれた子がほとんどの中で、若い女が一人で座っていれば目立つのは当然だ。

 新入生の妻や婚約者だと気づく人もいるだろうけど、姉か後見人に見えている人のほうが多い気がする。


 赤髪と淡金は血縁に見えないし、年の差だってある。


 気まずさは、ゼロじゃない。


 けれど、ここは私の居場所でもある。胸の奥で背筋を伸ばす。


 やがて、式次第を持った上級生が壇上に現れ、開式の合図が響いた。


 扉が両開きにすべっていき、そこから新一年生の列がするすると流れ込む。


 王都と周辺の有力家の子はほぼ全員ここに来る。


 五百どころか、ざっと見ただけでもそれ以上。

 色とりどりの紋章、白い襟、緊張と自負の混ざった顔。


(セドリックは……あ、いた!)


 目で追う間もなく、見つかった。


 入ってきた第一波の中に、彼はいた。


 背筋を真っすぐに、顎を引き、足並みは列に合わせて静かに。


 ――綺麗だ。輝いている。


 推し補正込みでも、やっぱり綺麗。


 カメラが欲しい。カメラがあれば連写して邪魔になるだろうけど、本当に欲しい。


 そう思いながら見ていると、まるで引き寄せられるように彼の視線がこちらを射抜いた。


 一瞬。ほんの一瞬なのに、目が合って、口元がふっと緩む。

 うっ、推しからレスがきた気分だ……反則。


 私もごく小さく頷きを返す。


 彼の後に続く列の中に、見覚えのある色が滑り込んだ。


 白に近い銀の髪が光を弾いて、講堂の薄明かりの中でひときわ目立つ。

 整った額、彫りの深い目鼻立ち、立ち姿に迷いがない。


 レオナール・ヴァイス王子。


 ゲーム画面で何百回も見た名前が、現実の輪郭を持ってそこにいる。

 王族の気配って本当にあるんだな、と変な感慨までわいてしまう。


 そして、その斜め後ろ。


 夜明けの空を濃くしたような、深い紫の髪。

 長すぎず短すぎず、整えられてはいるが、どこか癖っ毛な感じが残る。

 眼差しはまっすぐで、けれどどこか闇を感じるように色が少し暗い。


 ノア・アシュベル。


 ――攻略キャラではこの二人が、セドリックと同学年だったはず。


 原作の女主人公は二年後、転入で現れる。


 だから、この場で彼女はいない。

 でも攻略対象が揃う景色は、やっぱり胸がざわつく。


 懐かしさと、少しの緊張と、どうしようもない高揚。


 ……と、二人に目を奪われて、ふとセドリックに視線を引き戻すと、眉の角度がいつもよりわずかに険しい。


 不満、というほど強くはないのだけど、機嫌が良い時の無表情からは外れている。


(あれ? どうしたのかな)


 と首を傾げたところで、開式の鐘がもう一度鳴り、私の意識は壇上へ押し戻された。


 校長の挨拶は……長いわね。

 この世界も校長の挨拶は長いようだ。


 偉い人のご挨拶、来賓のご挨拶、在校生代表の言葉。


 言っていることは立派で、胸に刻むべき箇所もちゃんとあるのに、儀式の空気は睡魔を呼ぶのだ。


 どの世界もそうなんだなあ、と前世の体育館の硬い椅子を思い出しながら、時々、式次第に目を落とす。


 途中、王家の名が紹介される場面でレオナールが立ち、場が少しざわめいた。

 銀髪の光が一段明るくなる。


 ノアはと言えば、表情をほとんど変えずに前を見ている。

 立ち姿だけでも、なんとなくゲームの印象と重なる。


 そうやって淡々と、でもしっかり目に焼き付けながら、私は最後まで座っていた。


 新入生の点呼が終わり、閉式の鐘。

 拍手の波が広がり、人の列が逆流する。


 私は席を立ち、参列者の流れが薄くなるのを待ってから講堂の外へ出た。


 石段の陰に身を引いて、背伸びを一度。


 今日の私は、彼の晴れ姿を見届ける役目。


 あとはここで迎えるだけだ。


 ほどなくして、列の端から見慣れた淡金が現れる。

 セドリックだ。


「お疲れさま!」


 私が先に駆け寄ると、彼はほっとしたように目を細めた。


「ありがとうございます。アメリアも、お疲れさま」

「長かったですね。大丈夫でしたか?」

「ええ、大丈夫です」


 軽く笑って、彼はいつものように手を差し出す。

 講堂の階段を下り、人の流れを縫って馬車へ向かう。


 私はその手にそっと指先を重ね――ふと、横目に銀色がよぎった。


(あ、レオナール)


 王族の一行が扉の向こう側を通り抜ける。

 護衛もいて、いかにも王族という雰囲気だ。


 視線がそっちへ流れた瞬間――。


 セドリックの歩調が、ほんの少しだけ速くなった。


 私は引かれないように足を合わせる。

 どうしたんだろう?


 彼の手は乱暴にはなっていないけど。


 むしろ丁寧に導くけれど、早い。

 馬車の前に着くまで、その速度は戻らなかった。


 扉が閉まって、静けさが戻る。


 向かい合って座ると、彼の顔にうっすらと影。


「どうしました? 入学式で疲れました?」


 私がそう聞くと、彼は一拍だけ間を置いて、低く言った。


「……誰を、見ていたんですか」

「え?」


 思わず間抜けな声が出た。

 彼は目をそらさない。


「入学式の時もそう。僕以外に、誰かを見ていましたよね」

「え、えっと」

「おそらく二人。まじまじと見ていましたよね」


 まさか、そこまで見られていたとは。

 前世のゲームの攻略キャラがいたから目を奪われてしまった、とは言えない。


 上手く言い訳を考える。


「王子殿下がいたんです。レオナール・ヴァイス殿下。だから、つい目を引かれただけ」

「もう一人は?」


 即答。詰問、というほど鋭くはないけれど、逃さない手つき。


「紫の髪の子。珍しいと思ったの。紫色の髪、あまり見ないでしょう?」


 事実だ。紫はこの国では稀少。


 いずれ彼、ノア・アシュベルの生い立ちに繋がっていく重要なことだけれど、それは今の彼に説明することじゃない。


 セドリックは黙って私の言葉を受け止め、数秒だけ窓の外へ目を流した。


「……そうでしたか」


 戻ってきた声は、少しだけ拗ねたような熱を含んでいた。


 な、なにそれ、可愛い……!

 いや、可愛いで流してはいけないんだけど、可愛い。


 胸がきゅっとなる。


「心配しなくとも、私にとって一番はセドリックですよ」


 まっすぐに言う。


 彼の目を見て、微笑みながら。

 彼の睫毛が小さくふるえ、頬の赤色が一段濃くなった。


「……ありがとうございます」


 そして、視線を落として、照れた声で続ける。


「僕も、アメリアが一番です」


 くっ、その言葉はいろいろと危ない。


 これ以上は、溶けてしまう……何がかわからないけど。


 私は咳払いひとつで、胸の火照りを鎮めようとした。



最後まで読んでいただきありがとうございます!

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