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第25話 離縁回避後のセドリック



 アメリアに離婚を切り出されてから、三日が経っていた。

 ギルベルト公爵邸の執務室で、セドリックは机に向かいながらも、手は止まっていた。


 あの夜の彼女の顔が、頭から離れない。

 離婚しましょう、と言った時の強張った表情。

 誰かに何か言われたのだと、すぐにわかった。


 コンコン、と。


 扉を叩く音で、思考が現実に引き戻される。


「入れ」


「失礼いたします」


 入ってきたのは、諜報を担当している部下だった。

 セドリックが公爵になってから雇った、有能な男だ。


「調べさせていた件、報告に参りました」


「聞こう」


 セドリックは椅子に深く腰を下ろし、指を組んだ。

 部下は懐から書類を取り出す。


「奥様が先日出席された社交会の参加者名簿です。そして、会場での会話内容も可能な限り調査いたしました」


 机の上に広げられた書類を、セドリックは鋭い目で見つめる。

 名前がずらりと並んでいる。


 ハートン伯爵家、ウィンストン子爵家、レイトン男爵家、フォスター子爵家……。


(この辺りか)


 セドリックは、いくつかの名前に印をつけた。

 ギルベルト公爵家に対して、微妙な立場にいる家々だ。


「特に気になる会話がありました」


 部下が続ける。


「ウィンストン子爵とフォスター子爵が、休憩室で話していたようです。内容は――」


 部下は淡々と報告する。


 セドリックが十五歳で無理やり結婚させられたこと。

 五歳も年上の妻は相応しくないこと。

 離婚の可能性があるかもしれないこと。

 自分の娘を嫁がせたいということ。


 報告を聞きながら、セドリックの表情は徐々に冷たくなっていく。

 室温が、じわりと下がる。

 魔力が、無意識に漏れ始めている。


「……なるほど」


 静かな声だった。

 しかし、その静けさの奥に潜む怒りを、部下は感じ取った。


「この二つの家、最近調子が良いようだな」

「はい。特にウィンストン子爵家は、新しい事業で利益を上げています。フォスター子爵家も同様です」

「娘の年齢は?」

「何人かいらっしゃいますが、どの娘も十六から十八。セドリック様と同年代です」


 セドリックは、ふっと笑った。

 その笑みに、部下は背筋が凍る思いをする。


「公爵家と繋がれば、もっと突出できると思ったのか」


 指で机を軽く叩く。

 リズミカルな音が、執務室に響く。


「だから、アメリアが邪魔だと」


 トン、と最後に強く叩いて、手を止めた。


「徹底的に調べ上げろ」


 命令は短く、明確だった。


「事業内容、取引先、弱点、すべてだ」

「かしこまりました」

「対抗する事業があれば――潰す」


 その言葉に、部下は一瞬だけ息を呑んだ。

 セドリックの目は、本気だった。

 容赦する気など、微塵もない。


「……承知いたしました」


 部下が退室した後、セドリックは椅子に深く背を預けた。

 天井を見上げ、小さくため息をつく。


(アメリアを傷つける者は、絶対に許さない)


 彼女は、自分にとって何物にも代えがたい宝物だ。


 十五歳の時、初めて出会った。

 最初は警戒していた。

 噂通りの悪い女だと思っていた。


 でも、違った。


 熱を出した時、看病してくれた。

 お粥を作ってくれた。

 手を握ってくれた。

 一緒に勉強して、笑って、過ごしてくれた。


 彼女のおかげで、今の自分がある。


(なのに、彼女自身がそれをわかっていない)


 それが一番の問題だった。


 アメリアは、自分のことを過小評価しすぎている。

 過去に遊んでいた女だったから、とか。

 五歳も年上だから、とか。


 そんなことは、どうでもいい。


 大切なのは、彼女が自分の隣にいてくれることだけ。


(最近は、少しずつスキンシップも増やしているんだけど……)


 髪に触れたり、手を繋いだり、抱きしめたり。

 好意を伝えるつもりで、少しずつ距離を縮めている。

 でも、まだ足りないらしい。


「もっと、やらないとだな」


 セドリックは思わず呟いた。


 もっと直接的に、はっきりと。

 彼女に自分の気持ちを伝えなければ。


(最悪、押し倒して……まあ、今はまだだな)


 学園を卒業するまでは、待つつもりでいた。

 あるいは、彼女が本気で自分を好きになってくれるまで。


 でも、このままだと彼女は離れていってしまう。

 それだけは、絶対に避けなければならない。


 セドリックは立ち上がり、窓の外を見た。

 青空が広がっている。もうすぐ学園に行く時間だ。


(今日も、頑張らないと)


 公爵としての仕事も、学生としての勉強も。

 すべては、アメリアと一緒にいるために。



 その日の昼過ぎ。


 セドリックは学園で授業を受けていた。

 三年生となり、最後の年。

 卒業論文を書かなければならない時期で、皆は少し忙しそうだ。


 セドリックは公爵家当主としての仕事もあるので、なおさら忙しい……のだが。


 実際、論文はほぼ書き終わっている。

 あとは最終的な推敲をするだけだ。

 ここでも、彼の優秀さは際立っていた。


 授業が終わり、論文の最後の詰めをしようと蔵書室に向かう。

 廊下を歩いていると、前から二人の人影が近づいてきた。


 同学年のノア・アシュベルと、編入生のエミリア・クラウン。


(ノアが、誰かと一緒に……?)


 セドリックは少し驚いた。


 ノアは基本的に一人でいることが多い。

 学園に三年通って、ずっと同じクラスだったが、ほぼ喋ったこともない。


 紫の髪を持つ静かな青年。

 成績は悪くないが、特別目立つわけでもない。


 そんな彼が、編入生と一緒にいるなんて。


 すれ違う瞬間、エミリアが満面の笑みを浮かべた。


「セドリック様、ごきげんよう!」


 明るい声。

 愛想が良すぎるくらいの笑顔。


 セドリックは少し躊躇してから答えた。


「……ごきげんよう」


 前に彼女が言った言葉を、まだ覚えている。


『三年前から……え、離婚していないのですか?』


 まるで離婚して当然、という口調。

 遠回しにアメリアを侮辱するような言葉。


 それ以来、セドリックは彼女に苦手意識を持っていた。

 無邪気だからこそ、悪意がないからこそ、余計に苦手だった。


 隣にいたノアも、静かに挨拶をしてくる。


「セドリック様、ごきげんよう」


 しかし、すぐに質問が続いた。


「失礼ですが、エミリアとはどういったご関係で?」


 その目には、明らかに敵意が宿っていた。

 警戒するような、睨むような視線。


(なぜ、そんな目を……?)


 セドリックは内心で首を傾げながらも、淡々と答える。


「特に何も。前に殿下とご一緒にいたところに、挨拶をしただけです」


 すると、エミリアが横から口を挟んだ。


「そうですね、セドリック様とは今はまだお知り合いといったご関係です」


 彼女の言葉、『今はまだ』という言葉に、引っかかりを感じる。

 まるで、いつかはもっと親しくなると言いたげな口調。


(そんなつもりは、全くないんだが)


 セドリックは内心で否定する。

 ノアも不満そうな顔をしていた。


「そうですか……」


 低い声で呟き、セドリックを少し睨む。

 だが、すぐに視線を外し、エミリアに向き直った。


「エミリア、次の授業の準備は?」

「あ、まだです。一緒に行きましょう、ノア様」

「僕は君と同学年じゃありませんよ」

「あっ、そうでしたね。えへへ……」

「同学年だったら嬉しかったですが」


 二人の会話を聞きながら、セドリックは気づいた。


 ノアがエミリアを見る目。

 それは明らかに、愛おしい人を見る目だった。


(なるほど、そういうことか)


 ノアは、エミリアのことが好きなのだろう。

 だから、他の男と話している彼女を見て、警戒したのだ。


 しかし――。


(いつから、こんなに親しくなった?)


 疑問が湧く。


 エミリアは元平民。

 魔法の才能を認められて、最近男爵家の養子になったばかり。


 対して、ノアは侯爵家の息子。

 しかも元は隣国出身だ、だからこの国では珍しい紫髪をしている。


 二人は学園で初めて会ったはず。


 だが、エミリアが編入してまだ二ヶ月も経っていないのに、ここまで親しくなっている。


(違和感があるな……)


 でも、それは自分が踏み込むことじゃない。

 ノアが一目惚れした可能性だってある。


「では、これで」


 セドリックは軽く会釈をして、その場を去ろうとした。


 しかし――。


「待ってください!」


 エミリアが呼び止める。


「少し、お話でもしませんか?」


 その笑顔は、相変わらず眩しすぎる。


 セドリックは断ろうとして――。


 次の瞬間、彼女が手を掴んできた。


「っ!」


 アメリア以外の女性に触れられて、全身にぞわりと悪寒が走る。

 反射的に手を引いた。


「離してください」


 冷たい声が出た。


 エミリアは驚いたような顔をしてから、慌てて手を離す。


「あ、すみません……! その、トラウマでしたよね」

「……何が?」


 セドリックは眉をひそめる。


 エミリアは申し訳なさそうに続けた。


「人と触れ合うのが苦手、とお聞きしました。驚かせてしまって……」


 空気が一度、止まった。


 次の瞬間、セドリックの背骨を冷たいものが駆け上がる。


(――なぜ、それを)


 確かに、かつての自分はそうだった。


 公爵家に引き取られてすぐの頃、魔力を暴走させて使用人を傷つけてから。

 人と触れることが、怖くなった。

 また誰かを傷つけるかもしれないと。


 でも――。


(アメリアが、癒してくれた)


 彼女が手を握ってくれて、抱きしめてくれて。

 トラウマを溶かしてくれた。


 今では、人と触れることに抵抗はない。

 少なくとも、アメリアとなら。


(なぜ、この女がそれを知っている?)


 ぞっとする思いだった。


 このことは、学園で誰にも話していない。

 親しい友人もそういないし、話す機会もなかった。


 そもそも、今は苦手じゃないのだから、誰も知らないはずだ。


「別に、人と触れ合うのが苦手ではありませんが」


 セドリックは、慎重に言葉を選ぶ。


「何を言っているのですか?」


 エミリアの顔が、みるみる青ざめていく。


「えっ、嘘……なんで……」


 信じられない、という表情。

 まるで、絶対に知っているはずの事実が、覆されたような顔。


(得体の知れない女だ)


 セドリックは警戒心を最大まで引き上げた。


 この女は、危険かもしれない。

 何か、知っているはずのないことを知っている。


 まるで――過去や未来でも見てきたかのように。


「……では、これで」


 セドリックは、それ以上関わらないことにした。


 彼は踵を返し、蔵書室への廊下に歩を進める。


 背後から、エミリアの小さな声が追ってきた。


「いつか――お話、したいです」


 答えない、聞こえないふりをした。


 背中に彼女の視線を感じる。

 困惑と、焦りと、何か別の感情が混じった視線。


(彼女が何者かは、知らない)


 興味もなかった。

 でも、気をつけるべきだ。


 エミリアからは敵意は感じない。むしろ、好意すら感じる。

 だが、それが逆に怖い。


 知らないはずのことを知っていて、好意を向けてくる存在。


(もし、僕やアメリアに害をなすなら――)


 セドリックの目が、冷たく光る。


(その時は、容赦しない)


 たとえ相手が誰であろうと。

 王族だろうと、貴族だろうと、平民だろうと。


 アメリアを傷つける者は、絶対に許さない。


 蔵書室に入り、本を開く。

 だが、文字が頭に入ってこない。


 エミリアのことも気になるが、それ以上にアメリアのことが心配だった。


(もう一度、しっかりと話をしようか)


 離婚なんて、絶対にさせない。

 彼女は、自分のものだ。

 誰にも渡さない。

 死ぬまで、いや、死んでも離さない。


(彼女が逃げられないように……あれをするか)


 そんなことを考えながら、セドリックは本のページをめくった。




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