第23話 一人で社交会に
王都に戻って、三日目の朝。
セドリックは早朝から学園へ向かい、私は公爵邸で今日の社交会の準備をしていた。
義両親と義兄が亡くなってから一ヶ月以上が経ち、ようやく日常が戻りつつある。
――いや、戻りつつあるというのは正確じゃないかもしれない。
以前とは全く違う、新しい日常が始まっているのだから。
私は今、正真正銘のギルベルト公爵夫人だ。
その重さを、ドレスを選びながら改めて感じる。
「奥様、こちらはいかがでしょうか」
使用人が持ってきたのは、深い紺色のドレス。
金糸の刺繍が施され、品格がある。
派手すぎず、地味すぎず。公爵夫人として相応しい一着だ。
「ええ、それにしましょう」
着替えを手伝ってもらいながら、今日の社交会のことを考える。
セドリックは学園があるから、私一人での参加。
正直、少し憂鬱だった。
(一人での社交会参加、か……)
でも、これも公爵夫人としての仕事。
避けては通れない道だ。
髪を結い上げ、控えめなアクセサリーを身につける。
鏡に映る自分は、確かに公爵夫人らしく見えた。
――少なくとも、見た目だけは。
会場に着くと、すでに多くの貴族たちが集まっていた。
前回、亡くなったギルベルト前公爵夫妻が開いた社交会ほどの規模ではない。
会場も一回り小さく、参加者も顔見知りが多い。
この中で、私が一番高い爵位だ。
王族が参加していない今日、公爵夫人である私が最上位。
それはつまり、注目の的になるということでもあった。
「アメリア様、お久しぶりです」
最初に声をかけてきたのは、ハートン伯爵夫人だった。
五十代くらいの女性で、社交界の常連。
笑顔は優しそうだが、目の奥に値踏みするような光がある。
「ご機嫌よう、ハートン伯爵夫人」
私も笑顔で応じる。
完璧な笑顔を作るのは、もう慣れたものだ。
「前公爵夫妻のことは、本当にお気の毒でした」
彼女は心配そうな顔をする。
でも、その言葉の裏には別の意図が見え隠れしている。
「ありがとうございます。突然のことでしたが、なんとか引き継ぎも終わりました」
「まあ、もう終わったのですか? 一ヶ月少々で?」
驚いたような声。
でも、それは純粋な驚きじゃない。
疑いが混じっている。
「夫のセドリックが優秀ですから。学園に通いながらでも、きちんとこなしてくれました」
私は微笑みを崩さない。
すると、別の方向から声がかかった。
「でも、まだ十八歳でしょう? 学生の身で公爵家を継ぐなんて、大変でしょうね」
四十代の男性で、少し小太りしている。
にやにやと笑いながら、私を見ている。
「確かに若いですが、その分柔軟に対応できます。領地経営も順調です」
さらりと返す。
でも、彼らは引き下がらない。
「そういえば、アメリア様は以前は……いろんなお付き合いがお盛んだったとか」
ハートン伯爵夫人が、わざとらしく口元を隠して言う。
(きた……)
やはり、過去の話を持ち出してきた。
原作アメリアの悪評は、まだ消えていないらしい。
「ええ、お恥ずかしいお話です。ですが今は公爵夫人として、恥じない行動を心がけています」
落ち着いて答える。
激昂したら負けだ。
ここで感情的になれば、「ギルベルト公爵夫人は癇癪持ち」「性格に難がある」と噂される。
それはつまり、セドリックの評判を落とすことになる。
(推しに迷惑をかけるなんて、絶対にダメ)
だから、笑顔を保つ。
完璧な貴族夫人の仮面を被り続ける。
「でも、公爵家を支えるのは並大抵のことではありませんこと?」
今度は男爵夫人が口を開いた。
三十代後半の女性で、いつも他人の噂話ばかりしている人だ。
「特に、前当主夫妻が急にいなくなって……本当に引き継ぎは大丈夫なのかしら?」
「ご心配には、及びません。旦那のセドリックはすでに完璧に引き継ぎを終えています」
私は胸を張って言った。
推しを自慢するかのように。
……その推しを夫と呼ぶのは少し違和感があるけど。
「書類の整理も、使用人の管理も、領地の視察も。すべて滞りなく進んでいます」
「まあ、本当に?」
「ええ。むしろ、これほど若くして当主になれたことは、ギルベルト家にとって幸運だと思っています」
私は続ける。
「考えてみてください。セドリックはまだ十八歳。これから何十年も公爵家を率いることができるのです。しかも、学園で首席を維持しながら公爵家の仕事をこなす能力があります。これほど優秀な当主は、そうそういません」
その言葉に、周りの貴族たちが少し黙る。
反論できないのだろう。
事実、セドリックの能力は誰もが認めざるを得ないレベルだから。
「それにですね」
私は畳み掛ける。
「若い当主ということは、新しい時代に柔軟に対応できるということです。古い慣習にとらわれず、効率的な経営ができます。実際、この一ヶ月で領地の税収を改善し、民からはすでに信頼も得ております」
ギルベルト前公爵当主はそんなにいい領主じゃなかったのだろう。
ただ領地を増やし税収を上げて、公爵家が儲かるようにしていた。
それをセドリックがすぐに改善したのだ。
「そ、そうなのですか……」
ハートン伯爵夫人が、少したじろぐ。
(ふふ、どうだ)
内心で少し得意になる。
推しの素晴らしさを語れるなんて、最高じゃない?
「それより、皆様の領地はいかがですか? 最近、魔物の被害が増えているとお聞きしましたが」
話題を変える。
もうギルベルト公爵家の話題は終わったことだろうから。
「あ、ええ、そうなんです。困ったことに……」
ハートン伯爵夫人が、話に乗ってくる。
そこから、領地の話、魔物の話、王都の噂話へと話題が移っていく。
私は適度に相槌を打ちながら、心の中でほっと息をつく。
(とりあず、なんとか乗り切ったわね……)
でも、疲れた。
一人での社交界参加は、やはり大変だ。
セドリックがいてくれれば、もっと楽だったのに。
(……でも、慣れなきゃいけないわよね)
いずれ離縁するなら、一人で生きていく必要がある。
今のうちに、慣れておかないと。
しばらく貴族たちと話した後、私は一旦会場を出ることにした。
「少し、お化粧直しに」
そう言い残して、廊下へ出る。
休憩室へ向かいながら、深呼吸をする。
(はぁ……疲れた)
壁にもたれかかりたい衝動を必死で抑える。
公爵夫人が、そんな情けない姿を見せるわけにはいかない。
廊下を歩いていると、一室のドアが開いていることに気づいた。
中から、話し声が聞こえてくる。
四人ほどの男性貴族が、何か話しているようだ。
通り過ぎようとしたが――聞こえてきた内容に、足が止まった。
「ギルベルト公爵家の引き継ぎ、本当に終わったらしいな」
「ああ、驚いたよ。まさか一ヶ月で終わるとは」
彼らは、セドリックのことを話していた。
私は廊下の影に身を隠し、そっと聞き耳を立てる。
(盗み聞きはよくないけど……)
でも、気になって仕方ない。
「前公爵夫妻が急死して、しかも事故死だったのに、あの若さで見事にこなしたそうだ」
「確かに優秀だな。学園でも首席らしいし」
「将来有望じゃないか。ギルベルト家は安泰だろう」
褒められている……!
私は内心で小躍りしそうになる。
(そうでしょう、そうでしょう! セドリックは優秀なの!)
推しが褒められると、自分のことのように嬉しい。
見る目がある人たちだ、と好感度が上がる。
しかし――。
「――だが、惜しいな」
次の一言で、私の背筋が冷える。
「すでに夫人がいることが、だ」
ぴく、と肩が震えた。
「ああ……確かにな。もし独身なら、うちの娘を嫁がせたかった」
「うちもだ」
「繋がりが欲しいな。ギルベルト家と姻戚関係になれれば……」
彼らは、自分の娘を嫁がせたかったと話している。
まあ、それは理解できる。
貴族にとって、婚姻は重要な政治的つながりだから。
「確か、現当主が十五歳の頃に無理やり結婚させられたんだろう?」
「っ……」
喉の奥が、きゅっと狭くなる。
「ああ、政略結婚だったらしいな」
「しかも相手は五歳も年上の、素行の悪い令嬢」
「可哀想にな。恵まれていない次男だった頃ならともかく、当主となった今なら選び放題なのに」
「きっと、セドリック様も別れたいと思っているんじゃないか?」
その言葉に、胸が締め付けられる。
(……確かに、その通りよね)
私も無理やりだったけど、セドリックは十五歳でいきなり結婚させられた。
しかも相手は、悪評高い年上の女。
そう思われるのは、当然だ。
「第二夫人、という手もある。家格は申し分ない。第一夫人が退けば、あるいは――」
彼らは勝手に盛り上がっている。
自分の娘を、セドリックの妻にする妄想で。
私は、そっとその場を離れた。
聞いていられなかった。
胸が痛くて、苦しくて。
(……そろそろ、潮時なのかもしれない)
廊下を歩きながら、そう思う。
今の人たちが言っていた通り、私は原作ゲームでは毒妻キャラ。
セドリックに処刑されるほどの悪役だった。
今は、そんなことは起きないと思う。
彼との関係も良好だし、仲良く過ごしている。
処刑になった一番の原因の、資金の横領はしていない。
でも――。
(セドリックの幸せを考えたら、離縁した方がいい)
彼には、もっと相応しい人がいるはずだ。
同年代で、清純で、過去に傷のない令嬢。
原作の主人公のような、素敵な女性。
私なんかより、ずっと相応しい相手が。
(今日、帰ったら……その話をしよう)
そう決意すると、胸が痛んだ。
まるで、心臓を握りつぶされるような痛み。
でも――。
(大丈夫。推しと三年も夫婦だったことが、ご褒美なのよ)
そう自分に言い聞かせる。
普通なら、推しと結婚なんてできない。
画面の向こうの存在と、現実で夫婦になれたなんて、奇跡みたいなもの。
三年間、一緒に過ごせただけでも幸せだった。
朝、一緒に朝食を食べて。
昼、彼の帰りを待って。
夜、一緒に過ごして。
それだけで、十分すぎるほどの幸せだった。
(これくらい、なんてことはない)
深呼吸をして、心を落ち着ける。
そして、また会場へと戻っていく。
完璧な笑顔を作りながら。
心の中では、今夜の別れ話のことを考えながら――。
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