第22話 花園へのデート
私とセドリックは、二人で王都近郊の小領地に視察に来ていた。
視察と言っても、すでにここは何回か来ているし、問題ないのはわかっている。
だから今回は、視察は最低限で――街でセドリックとデートするのが目的だった。
この街には、王都にはない広い花園がある。
季節ごとに植え替えられ、夜は灯りで淡く彩られる。
そこに、行くつもりだ。
視察を巻きで片付け、昼過ぎには屋敷へ戻った。
王都の本邸に比べればこぢんまりとしているが、必要なものは揃っている。
私は、デート用の服に着替えることにした。
部屋で待っていると、使用人が何着か持ってきてくれた。
その中から、淡いクリーム色のドレスを選ぶ。
袖は短めで、スカートは広がりすぎず、動きやすい。
華やかだけど、派手すぎない。
化粧も、使用人にしてもらう。
「奥様、とてもお綺麗です」
鏡を見せられて、自分の姿を確認する。
確かに、綺麗に仕上がっている。
髪も整えられ、化粧も丁寧。
「ありがとう」
私は、微笑んでお礼を言った。
そして、玄関に向かう。
階段を降りると――既にセドリックが待っていた。
彼も、社交界ほどきっちりしていないが、カジュアルでも綺麗に着飾っている。
白いシャツに、紺色のジャケット。
襟元は少し開いていて、リラックスした雰囲気。
髪も整えられ、淡い金色が光を反射している。
――というか、原作ゲームで見たデート用の服装と全く同じだった。
(や、やめて……尊すぎて膝が笑う……!)
それが現実で見えたことに、興奮してしまう。
心臓が、ばくんと跳ねる。
推しのデート服……!
とても尊い……!
でも、顔には出さない。
平静を保つ。
三年も推しの隣で隠していたのだから、慣れたもの……いやまだ慣れないわね。
興奮を抑えつつも近づくと、セドリックは私に気づき笑みをこぼす。
「お待たせしました、アメリア」
差し出された手に自分の手を重ねる。
指先から、体温が伝わる。
「お待たせしました、はこっちの台詞ですよ。とても……似合っています」
「アメリアこそ、とても綺麗ですよ」
顔が、熱くなる。
彼の腕に手を添え、一緒に馬車に乗り込む。
まず、早めの夕食にレストランに向かった。
レストランは、街の中心にある落ち着いた建物。
中に入ると、個室に案内された。
窓からは、街の景色が見える。
とても居心地がいいところだった。
テーブルには、料理が次々と運ばれてくる。
スープ、サラダ、メイン、デザート。
出てくる料理は、私が好きなものばかりだった。
「……私の好きなものばかりですね」
「予約のときに、少し頼んでおきました」
「少し、ですか?」
「少し、です」
そう言って微笑む。
ずるい。推しの微笑みはずるいし、その優しさがずるい。
料理は温かく、味はとても美味しい。
はぁ、幸せ……。
ふと、セドリックの方を見ると――とても微笑ましそうに見ていた。
自分が美味しそうに食べる姿を、見られていたようだ。
は、恥ずかしい……。
「……そんなに見ないでください。食べにくいです」
「すみません。アメリアが美味しそうに食べるから、つい」
「っ……!」
頬が熱くなる。
「とても、嬉しいんです。喜んでもらえると」
彼は、微笑む。
……真正面から、まっすぐ言うのは反則だと思う。
反則だけど、推しには敵わない。
レストランで夕食を食べて、目的の花園へ向かった。
馬車が止まり門をくぐると、足もとから柔らかな光に包まれた。
細い灯りが小道の縁をなぞり、花壇の内側から低いランタンが光の池を作る。
遠目に白、足もとに紫、その間に赤や黄が点々と――花の海が、夜に色を落としていく。
「……きれい」
思わず息が漏れた。
だけどなんだか、見た覚えがある花園だと思った。
記憶を辿る。
そして――思い出した。
(ここは、原作ゲームで主人公と攻略対象が来て、愛の告白をする場所……!)
そんなところに、推しのセドリックと来ている。
まさか自分が推しと恋をしているような感覚で、少し感動する。
でも、自分は毒妻だから、勘違いしないようにしないと。
彼が愛の告白をするのは、主人公に対してだ。
私ではない。
そう、自分に言い聞かせる。
「手を」
差し出されたセドリックの手を取る。
ぴたり、と並ぶ歩幅。
花の匂いと土の湿りが、かすかに混じる。
「この庭、手入れがいいですね」
「街の誇りらしいですよ。年に数回、祭りもあるとか」
「いつか、そのときにも来てみたいですね」
「ええ、来ましょう。約束です」
――約束。
胸の奥が、きゅ、と小さく鳴る。
私は毒妻キャラだから、いつか彼と離縁しなければいけない。
でも今だけは、約束という響きが、あまりにも甘い。
色ごとに区切られた花の島をいくつも渡り、噴水の縁に腰を下ろす。
小さな水の弧が、均等に立っては落ちる。
「久しぶりに、こうしてゆっくりしましたね」
「はい。……やっと、ですね」
横顔で彼を見る。
灯りを拾った横顔は、原作の一枚絵よりも、ずっと美しい。
(推しのデート立ち絵……現実解像度で殴ってくるのやめてください……)
すると、視線が合った。
綺麗な花ではなく、お互いの顔を見合った。
「アメリア、何か?」
「いえ、あの……見惚れてました」
「花にですか?」
「いえ……セドリックに」
「っ……僕も、アメリアにずっと見惚れています」
同時に言って、同時に黙ってしまう。
お互いに目を見合って……そして、破顔する。
「ふふっ、花も見ずに何をしているんでしょうね」
「本当ですね……でも、僕は楽しいです」
「ええ、私も」
二人で、ゆっくりと歩く。
時間が、ゆっくり流れている。
「そろそろ、戻りましょうか」
ほとんど見終わって、帰りの小道へ向き直った。
「そうですね……あら?」
その瞬間――額に、冷たい点。
「……雨?」
次の瞬間、細い針が一斉に降ってくる。
ぽつ、ぽつ、から、ざあああああ――へ。
前世の言葉でいうなら、完全にゲリラ豪雨だ。
まさか、このタイミングで降るとは思わなかった。
「わっ……!」
「急ぎましょう!」
スカートを片手で持ち上げ、もう片方の手でセドリックの腕を掴む。
「こちらへ!」
護衛がさっと傘を掲げるけれど、追いつかない。花園を出る頃には、裾も髪も、しっかり濡れていた。
馬車に滑り込むと同時に、侍女が厚手のタオルを差し出す。
「奥様、こちらを」
「ありがとう」
髪を押さえる。水がぽたぽた落ちる。冷たい。
ふと、セドリックを見た。
彼も濡れていた。
髪から水滴が滴り、シャツも少し濡れている。
濡れた髪が額にかかり、青い瞳が光っている。
その姿を見て、ドキッとする。
(さすが推し……水も滴るいい男とはこのことね……!)
胸が、どくん、と跳ねる、と同時に。
くしゅん。
……出てしまった。可愛くない、くしゃみ。
冷えは敵。
「大丈夫ですか?」
セドリックが、心配そうに私の隣の席に座る。
次の瞬間、肩にふわりと重み。
後ろから、大判のバスタオルがふわっと掛けられる――と同時に、背中に、彼の胸。
腕が、私の前で交差して、包む。
「っ……!」
「これで、寒くないですか?」
彼の声が、耳元で響く。
低くて、優しい声。
寒くはない。
というか、体温は上がった。
でも、それは――くっついた恥ずかしさから、体温が上がった。
顔が、耳が、熱い。
心臓が、激しく高鳴る。
「だ、だいじょうぶ、です……」
「よかった」
小さな声で答える。
でも、彼は離れない。
息が混ざる。
馬車の窓を打つ雨音が、二人だけの密室をさらに狭くする。
指先が、タオルの端をつかんだまま動けない。
どうしよう。どうもしなくていいけど、どうしよう。
屋敷へ戻るまで、ずっとそのままだった。
降り注ぐ雨が、音の幕になって、世界から私と彼だけを切り離す。
恥ずかしい。けれど、どこか落ち着くような。
矛盾する感情が生まれて困惑する。
セドリックも、そうなのかと思い、顔を横に向けた。
ハグをされているので、すぐ近くに顔がある。
至近距離で、目が合った。
青い瞳が、私を見ている。
まつ毛の先に、まだ小さな水の粒。
視線が絡まって、解けない。
彼の手が、わずかに強く、私を抱く。
近づく。近づいていく。
唇の距離が……私も、目を閉じかけて――。
その瞬間、馬車が止まった。
「屋敷に到着いたしました」
車輪の鈍い停止音。
びくっ、と肩が跳ねる。
扉の外で、御者の声。
顔が、真っ赤になる。
「す、すみません……! あの、その。タオル、ありがとう」
「……いえ、こちらこそ」
彼も身体を離し、ふっと微笑む。
その微笑が、さっきまでの熱を、逆に丁寧に包んでしまう。
だめだ。今の私、顔が赤い。たぶん耳まで。
扉が開き、雨の匂いが馬車内に入ってくる。
「どうぞ」
差し出された手に、また手を重ねる。
心臓は、まだ激しく跳ねている。
胸が、きゅっと締め付けられる。
(……何を、しようとしていたの、私)
玄関ホールの光の下で、胸にそっと手を当てる。
心臓は、まだ少し早い。
「温かい飲み物を用意させますね」
「……はい。ありがとうございます」
さっきの温度が、まだ肩に残っている。
(――危なかった)
もう少しで、キスをしてしまうところだった。
でも、それは――いけないことだ。
彼の相手は、主人公のはずだから。
私は、邪魔をしてはいけない。
そう、自分に言い聞かせた。
でも、心の奥では――。
心の奥では、彼とキスをしたかったと思ってしまう自分がいた。
「――もう少しだったのに……アメリアと、したかったのに……花園がもうちょっと遠くにさえあれば……」
最後まで読んでいただきありがとうございます!
もしよろしければ「ブックマーク」「評価☆」をいただけると励みになります。
よろしくお願いします!




