第20話 ついに、原作主人公が
公爵夫妻――そしてダリウス様が亡くなってから、一ヶ月が経った。
馬車は崖から落ちたようで、死体も三人とも見つかった。
傷の具合や落下の跡、周囲の地形。
全て調べても、誰かに狙われた跡はない、と。
完全に、不幸な事故らしい。
貴族社会の陰で「消されたのでは」と噂される類いのものでもなく、ただただ運が悪かった――それが結論だった。
私はその報告を聞いて、胸の奥が少し重くなるのを感じた。
知っていた。
原作でこのタイミングで彼らがいなくなるのは知っていた。
でも、それを現実として聞くのは別物だ。
彼らがセドリックに不当な扱いをしていて、家族の情も何もない人達だったのはわかっているけど。
それでも、やはり知り合いが亡くなるのは胸に来るものがある。
そしてこの一ヶ月、私とセドリックは怒涛の毎日だった。
まずは葬儀。
ギルベルト公爵夫妻という大貴族の葬儀ともなれば、王侯貴族が大勢集まる。
喪に服した黒い礼装を着て、私たちは立ち続けた。
悲しみを顔に出しすぎてもいけないし、出さなすぎてもいけない。
準備などもあって、想像以上に大変だった。
それからすぐ、国王陛下への謁見があった。
セドリックが正式に「ギルベルト公爵家当主」として認められるためだ。
王城の謁見の間で、彼は膝をつき、静かに頭を垂れた。
長身になった体を折りたたむその姿が、あまりに美しくて――私は背後で見ながらまた胸が熱くなった。
そこからさらにまた社交界。
「新しい公爵夫妻」「若い当主」として、いくつかの夜会に呼ばれた。
そこでは、まるで商品を値踏みするような視線が、私たちに突き刺さった。
値踏みする目。
疑う目。
嘲笑う目。
十八歳の青年が公爵家を継ぐなど、前例がないわけではないが珍しい。
しかも、彼は以前は「不遇な次男」だった。
本来なら当主になる予定ではなかった人間が、いきなり公爵になる。
周りが不安に思うのも、当然だろう。
まだ、セドリックと私が公爵家当主夫妻として認められていないだろう。
でも、それでもこれからやっていくしかない。
社交界が終わってからは、当主夫妻の仕事の引き継ぎを一気にやっていった。
書斎の机には積み上がった資料。
各地の税の報告書、商人との契約書、騎士団の人事など……。
私とセドリックは並んで座って、その一つ一つを確認していった。
本来なら、前当主夫妻から口頭で聞けるはずの細かい段取りなどが、全く聞けないことが辛いところだ。
書類と、使用人たちの説明だけが頼りだった。
最悪な状況ではあった。
だが幸いだったのは、二人とも当主夫妻の仕事などを、あらかじめ学んでいたことだ。
これは偶然なのではなく、私が原作知識で、セドリックがいずれ公爵家当主を引き継ぐことを知っていたから。
まあ、セドリックは偶然だと思っているだろうが。
実際は、私が知っていたので彼に学んでもらった。
そして、ついでに私も夫人としての仕事を学んでいた。
だから、引き継ぎは難しかったが、何とかなった。
そうして走り続けた一ヶ月。
ようやく、どうにか一段落ついた夜が来た。
私たちは、ギルベルト公爵家の本邸に完全に移っていた。
以前は離れの屋敷に住んでいたけれど、当主夫妻となった以上、本邸を使わないわけにはいかない。
その広い一室で、私とセドリックはようやくソファに腰を落ち着けた。
私はお茶のカップを持ち、紅茶を飲み一息つく。
「今日の仕事も、お疲れ様でした」
セドリックは、向かいのソファーに座って微笑んだ。
「ありがとうございます。アメリアも、お疲れ様でした」
彼はソファーに背を預けながら、深く息を吐いた。
「ようやく、落ち着いてきましたね」
「そうですね」
私も、頷く。
当主夫妻がいきなりなくなって、一ヶ月でだいたいの仕事の引き継ぎが終わるのは、とても早い。
普通なら三カ月以上はかかるだろう。
しかも、セドリックに関しては学園に行きながら当主としての仕事をしていた。
私が朝から夜までやって、何とかなっている仕事量だ。
セドリックは朝、学園に行く前に最低限の決裁をして、
昼間は学園で授業を受けて、首席として恥をかかないようにして、
夕方戻ってきてから、机に向かって残りの書類を片付ける。
その後に、学園の課題をしているのだ。
セドリックの優秀さに、私は改めて舌を巻く思いだった。
(さすが、推し……)
でも、どれだけ優秀でも、やはり疲れがたまってしまう。
しかも、仕事量や学園での課題などもあって、人よりも労力が尋常じゃないだろう。
あまり疲れたところなどを見せないセドリックが、私の前でソファーに体重を預けて疲れた表情をしているのが、その証拠だ。
目の下に、うっすらと影がある。
顔色も、少し悪い。
私は、紅茶を置いて言った。
「仕事などが落ち着いたので、一度気晴らしにどこかに出かけるのもいいですね」
その言葉に、セドリックは顔を上げた。
そして、嬉しそうに微笑んだ。
「いいですね。アメリアとデートするのが、とても楽しみです」
その言葉に、私は頬が熱くなる。
デート……。
自分とのデートが、それほど楽しみにしてくれていると思うと、とても嬉しい。
胸が、きゅっと温かくなる。
「ええ、私も楽しみです」
そう答えると、セドリックはさらに笑顔になった。
「じゃあ、どこがいいか考えましょう。今は王都からあまり離れられませんけど……近くの離宮の庭園とか、馬で日帰りで湖を見に行くとか」
「どこでも構いません。アメリアが一緒なら」
「も、もう……。そういうことをすぐ言うんですから」
「本当のことですから」
リラックスした空気になって、私はふっと息を吐いた。
久しぶりだ。
こういう、ただ夫婦として話すだけの時間。
「そういえば、学園の方は大丈夫ですか?」
私はカップを置きながら尋ねた。
公爵になったからといって、学園で彼の評価が勝手に上がるわけではない。
むしろ「公爵になったのに首席を維持できないのか」と言われる可能性だってある。
「やはりお茶会の誘いの話は増えましたね。あと、先生方も『公爵閣下にご迷惑でなければ』と、変に私に配慮してくださいます」
「それは……やりにくそうですね」
「少しだけ。でも、勉学の内容は変わりません。やることをやれば大丈夫です」
いつもの、落ち着いた口調。
でも、そのあとにふと思い出したように表情を変えた。
「あ、そういえば」
「はい?」
「珍しく、今年は二年生で編入生が入ってくるらしいです」
その言葉を聞いた瞬間――私は目を見開いた。
心臓が、ばくんと跳ねる。
編入生。
二年生で。
魔法学園に。
それは――。
(とうとう、原作の主人公が入学してくるということだ……!)
原作ゲームでは、主人公がセドリックの一つ下の二年生に編入してくる。
そこから、物語が始まる。
イベントが起きて、攻略対象たちと出会って、恋愛が進んでいく。
つまり――。
(原作が、本格的に始まる)
私は、紅茶のカップを持つ手が少し震えるのを感じた。
落ち着け。
平静を保て。
でも、心臓は激しく跳ねている。
「そう、なんですか」
何とか、平静を装って答える。
セドリックは、気づいていないようだ。
「ええ。女性らしいですよ」
女性。
そう、原作の主人公は女性だ。
平民出身で、特別な魔法の才能を持っていて、学園に編入してくる。
そして、セドリックをはじめとする攻略対象たちと恋に落ちる。
私は、深呼吸をした。
「そうですか。どんな方なんでしょうね」
「まだ詳しくは聞いていませんが、魔法の才能が優秀らしいです」
その言葉に、私は頷く。
そう、主人公は優秀だ。
特別な才能を持っている。
そして、セドリックと出会う。
(――私は、邪魔にならないようにしないと)
胸が、きゅっと痛む。
でも、それが正しいことだ。
セドリックの幸せのために。
彼が、原作通りに幸せになれるように。
「王都の魔法学園に編入してくるのは珍しいので、きっと優秀な方なんでしょうね」
「そうかもしれませんね」
セドリックは、特に興味がなさそうに答えた。
(――原作が始まる)
主人公が来る。
そうしたら、イベントが起きるだろう。
そして、もしセドリックが彼女に惹かれたら――。
私は、身を引く。
離縁する。
彼の幸せを、最優先にする。
それが――毒妻キャラとしての、私の役目だから。
胸が痛むけれど、それでいいのだ。
そう、自分に言い聞かせた。




