第18話 社交界、セドリックの胸中
セドリックは、貴族たちとの会話を続けていた。
領地の経営の話、魔法学園の近況、王都の政治の動き。
どれも表面的なやり取りで、笑顔で応じる。
だが、心のどこかで気になっていた。
アメリアが化粧直しからなかなか帰ってこない。
時計を見る。
もう二十分は経っている。
長すぎる。
セドリックは、貴族たちとの会話を切り上げることにした。
「申し訳ありません。少し失礼します」
丁寧に頭を下げて、その場を離れる。
化粧直しの部屋の方へ向かう。
廊下を歩きながら、少し足を速める。
何かあったのではないか。
そんな不安が、胸の奥でざわめく。
角を曲がった瞬間――セドリックは足を止めた。
廊下の真ん中で、アメリアが知らない男性と話していた。
茶色の髪を後ろで結んだ、派手な服の男。
二人の間合いは近すぎた。
――いや、近いだけじゃない。
彼女の手首に、男の指がかかっている。
遠目には、まるで手を繋いでいるように見えた。
胸に、どす黒い感情が芽生えてくるのがわかった。
嫉妬。怒り。憎悪。
男の腕を、今すぐ魔法で斬り裂きたい衝動に駆られた。
氷の刃で、手首から切り落とす。
血が流れ、悲鳴が響く。
そんな光景が、頭の中に浮かぶ。
(だめだ)
僅かに眼を伏せ、呼吸を整える。理性を引き戻す。
ここは社交界だ。
公爵家の名を背負っている。
軽はずみな行動は、許されない。
セドリックは、静かに近づいた。
そして、アメリアに声をかける。
「アメリア」
彼女が振り返る。
その表情を見て、セドリックは少し安心した。
助けが来た、というような雰囲気。
安堵の色。
これがもし、今の男との逢瀬がばれたというような動揺した反応だったら、きっとセドリックはその場で壊れていた。
だが、彼女は違った。
彼は彼女の隣に立ち、自然に半歩前へ出る。
視線を男へ移す。
青い瞳に、冷たい光を宿す。
殺気が、ほんの少しだけ込もってしまう。
彼女にはバレないようにしないといけない。
「私の妻に、何かご用ですか」
低い声。
静かだが、威圧感がある。
男は、一瞬だけ怯んだ。
そして、慌てて手を離した。
「い、いえ。何でも……ないですよ」
「そうですか」
そう言って、去っていく。
足早に。
逃げるように。
セドリックは、男の背中が見えなくなるまで見送った。
それから、アメリアに向き直る。
「大丈夫でしたか?」
「はい、大丈夫でした」
彼女は頷く。
だが、セドリックは気になった。
「彼とは、一体何の話をしていたんですか?」
その問いに、彼女は少し視線を逸らした。
「えっと、昔のちょっとした知り合いで……」
誤魔化されたような気がする。
おそらく、過去彼女が遊び歩いていた時期に出会ったような男なのだろう。
詳しく聞きたいと思わない。
聞いたら、嫉妬でどうにかなりそうだから。
「手を握られていたようですが」
それでも、確認したくて尋ねる。
彼女は慌てて答えた。
「逃げようとした時に、いきなり握られたんです」
その言葉に、セドリックは安堵した。
「そうですか」
でも、まだ少し不安だ。
彼女の過去が、影のように揺れる。
すると、彼女は真剣な顔で言った。
「セドリック」
「……はい」
「私は、あなたの妻である限り、誰のものにもなりませんよ」
その言葉を聞いて、セドリックは少し照れた。
顔が、熱くなる。
「そうですね、あなたは僕の妻です」
そして、彼女の手を取った。
「――ずっと、これからも」
でも、どこか違和感を覚える。
彼女の言葉――「あなたの妻である限り」。
限界の予告のようにも響く。
まるで、いつか妻でなくなる日が前提にあるかのように。
(――そんな未来、ありえない)
セドリックは、心の中でそう思った。
彼女は、ずっと自分の妻だ。
誰にも渡さない――絶対に。
彼女の手を取り、二人で会場に戻った。
また貴族たちと話し合う。
だが、さっきの出来事が心の中のどこかに引っかかっていた。
あの男の顔。
アメリアの過去。
誤魔化されたような感覚。
それが、頭の中でぐるぐる回る。
少し、貴族たちとの会話に入り込めない。
そして、ちょっとしたミスがあった。
ある伯爵が領地の経営について尋ねてきた時、セドリックは一瞬だけ返答に詰まった。
話を聞いていなかったのだ。
その瞬間、隣にいるアメリアが助けてくれた。
「それは、先日の王令に基づいた施策のことでしょうか」
彼女の柔らかい声が、場を繋ぐ。
伯爵は「はい、そうです。領地での経営に何か変化は――」と頷き、話が続いた。
セドリックは、内心でほっとした。
その後、その貴族がいなくなってから、彼女にお礼を言う。
「ありがとうございます、アメリア。助かりました」
「いえ」
彼女は笑顔で言った。
「セドリックが失敗するなんて、珍しいですね」
その言葉が、胸に刺さった。
笑顔で言われた言葉。
優しい声。
でも、そこに含まれているのは――弟を見守るような目線。
ああ、やっぱり。
自分は、まだ彼女にとって弟のような存在なんだな。
胸が、きゅっと痛む。
その後、会場にダンスの曲が流れ始めた。
音楽が変わり、穏やかなワルツが響く。
最初に、中央でギルベルト公爵夫妻が立った。
そして、義兄のダリウスとそのパートナーも並ぶ。
二組が、優雅に踊り始める。
ステップは完璧で、衣装が揺れる。
やがて、その二組が踊り終わると、他の貴族夫妻たちもそれぞれ踊り出した。
会場が、動き出す。
色とりどりのドレスが回り、燕尾服が揺れる。
セドリックは、アメリアに手を差し出した。
「踊りましょう」
彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
「喜んで」
そう言って、手を取る。
二人は、ダンスフロアへ向かった。
セドリックは、彼女の腰に手を添え、もう一方の手で彼女の手を取る。
音楽に合わせて、ステップを踏む。
一歩、二歩、三歩。
回転。
彼女のドレスが、ふわりと広がる。
セドリックは、二年前のことを思い出した。
彼女と初めてダンスの練習をした時。
あの時、自分の服は義兄のお下がりでダボダボだった。
肩が落ち、袖が長く、格好悪かった。
彼女は、とても美しく踊っていた。
完璧なステップ、優雅な仕草。
そんな彼女の隣に立ち、ダンスを踊ろうとした時、自分の不甲斐なさを痛感した。
だから、ご飯を食べて成長しようと思った。
強くなろうと思った。
彼女の隣に立てるように。
そう思っていると、彼女がふと言った。
「昔に一緒にダンスの練習をしたのが、懐かしいですね」
ダンスをしながら、彼女が微笑む。
セドリックは、頷いた。
「そうですね」
そう言いながら、自分は成長したのかと少し疑問に思う。
確かに、体格は成長した。
彼女と一緒にダンスしても、違和感なく踊っている。
身長も追い越し、肩幅も広がり、力もついた。
でも、彼女にまだ男性としては見てもらっていない気がする。
弟のような存在。
それが、悔しい。
アメリアを守れるようにも、魔法を学んで強くなった。
学園で首席を取り、実戦でも魔物を倒せるようになった。
でも、まだ足りない。
これからも彼女のことを好きでいて、ずっと夫婦でいたい。
絶対に離したくない。
だから、もっと努力すべきだろう。
彼女が綺麗に踊って笑う顔を見て、そう思った。
音楽が終わりに近づく。
最後の回転。
そして、音が止まる。
セドリックは、彼女の手の甲に唇を落とした。
柔らかい感触。
彼女の手は、温かい。
すると、彼女は頬を赤く染めて、照れたように笑った。
「あ、ありがとうございます……」
その顔が、好きだ。
時々する、その照れた顔。
その時の照れて笑った顔が、自分のことを男性だと思って見ているような気がするから。
弟ではなく、夫として。
男として。
セドリックは、心の中で誓った。
――もっと、強くなる。
彼女が、自分を男として見てくれるように。
ずっと、一緒にいられるように。
絶対に、離さない。
そう決意を新たにした夜だった。
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