第17話 夜遊びの名残と、これからも
その後もしばらく、壁際での応対は続いた。
領地の話、学園の話、最近の王都の話題。
どれも当たり障りのない内容で、笑顔で応じる。
でも、やはり疲れる。
気を張っている時間が長いと、肩が凝る。
私は、一旦化粧直しでその場を離れることにした。
「セドリック、少し化粧直しに行ってきます」
「わかりました。では、一緒に――」
「大丈夫です。……ほら、あちらの方々がセドリックと話したそうよ」
彼の視線の先では、年嵩の伯爵がにこやかにこちらへ角度を変え始めていた。
目が合って逃げられない距離だろう。
私は、彼の袖を引いた。
「一人で行けますから」
「でも……」
「ここで、皆さんとお話ししていてください」
そう言って、微笑む。
セドリックは少し迷ったようだったが、頷いた。
「わかりました。すぐに戻ってきてくださいね」
「ええ」
私はグラスを返し、会釈をひとつ残して輪から離れる。
廊下は静かで、音楽と喧騒が遠のく。
化粧直しの部屋に向かい、使用人に手伝ってもらいながら軽く化粧直しをする。
慣れた手つきで、崩れた箇所を最小限に整えてくれる。
額の生え際に浮いた汗を柔らかい布で押さえ、頬の光を均し、下がりかけた髪飾りの角度を直す。
原作ゲームの記憶を取り戻す前は、社交パーティーによく参加していた。
でも久しぶりに参加するので、やはり気疲れがある。
ほんの二年離れていただけで、息の仕方を忘れる。
深呼吸する。
吸って、吐いて……落ち着いた。
そして、会場に戻ろうと立ち上がった。
「ありがとうございます」
使用人に礼を言い、部屋を出る。
会場までの廊下を一人で歩いていると戻ろうとすると――。
「――やあ、アメリア。やっぱり君だ」
不意に、男の声が響いた。軽い声だ。
私は振り返った。
そこに立っていたのは、三十代くらいの男性だった。
茶色の髪を後ろで結び、派手な色の服を着ている。
顔立ちは整っているが、どこか軽薄な雰囲気。
最初は見覚えがないと思った。
でも、あちらはとても気安く話しかけてくる。
「……どちら様、でしたかしら」
声は丁寧に。冷たすぎず、暖かすぎず。
「ロナルド・ベネット。忘れたなんて言わせないよ?」
彼はわざと肩をすくめて見せる。
ベネット男爵家の三男。夜会慣れした笑み。
そうだ。二年以上前、社交の場の端で――原作を思い出す前の私が、夜更けに同席した相手のひとり。
原作のアメリアとは、よく酒を飲んだり、夜遊びをしたりしていた。
それでその男は、アメリアと仲が良くなったと思い、二年ぶり以上に会っても気安く話しかけてきているようだ。
「相変わらず綺麗だね、アメリア」
ニヤニヤと笑いながら言う。
実際、原作ゲームのアメリアのままだったら、この男と仲良くしていた可能性はある。
だが今は、原作ゲームのことを思い出している自分だ。
この男と気安く仲良くなろうとは思わない。
原作ゲームを思い出す前の自分と今の自分では、はっきり人が違う。
別の人格になったと言ってもいい。
ここでその男と親しげにしていたら、周りにも変な目で見られてしまうだろう。
既に結婚しているのに、他の男と仲良くしていると。
それに、いずれ離婚する予定だとしても、今はセドリックの妻なのだ。
推しの妻……まだ考えただけで少し心臓が高鳴ってしまうけど。
そんな軽い行動は、絶対にできない。
それに、アメリアが処刑されるルートにまた戻る可能性もある。
そう思って、公爵家で学んだ外交の態度を出しながら、彼をかわそうとする。
「申し訳ありませんが、急ぎですので」
冷たく、短く言う。
そして、彼の横を通り過ぎようとする。
しかし、その男は軽い雰囲気もあって、私の腕を掴んだ。
「おいおい、何でそんな冷たい態度なんだよ」
その手を振り払おうとするが、力が強い。
「前まで一緒に楽しく酒でも飲んで遊んでいただろう?」
その言葉に、私は眉をひそめる。
「もう結婚したので、そのようなことはやめたのです」
きっぱりと言う。
でも、彼は笑った。
「アメリアがそんな簡単に遊びをやめるわけないだろ。何言ってんだよ」
その言葉が、胸に刺さる。
確かに、原作のアメリアだったら遊ぶのをやめていなかった。
さらに酷い遊びをしていた。
主に、男遊びを。
だから、こいつの言うことはあまり間違ってはいない。
変わったのは、アメリアの方だから。
でも、このまま流されることはない。
「昔の私とは違うんです」
そう言って、彼から離れようとする。
腕を引くが、彼の手は離れない。
「待てよ」
さらに強く掴まれる。
痛い……!
「最近遊んでないんなら、ちょうどいい」
彼は、ニヤリと笑った。
「最近、いい遊び場を見つけたんだ。そこに行けばきっと楽しいぜ」
「興味ありません」
「公爵家の不遇な次男坊の妻なんて、つまんない肩書き捨てて遊んだ方が楽しいだろ? 最近、いい店を見つけたんだ。音楽がよくて、酒が軽くて、誰にも見られない。君なら、きっと似合うさ」
その言い草に、私は腹が立った。
カッと頭に血が上る。
確かに、不遇な立ち位置にいるセドリック。
でも、実際に人から舐められているような態度を取られると、とても腹が立つ。
自分の推し、好きな人が侮られていて、許せなるわけない。
セドリックは、とても頑張っている。
学園で首席を取り、魔法も優秀で、優しくて、格好良い。
こんな遊び人に下に見られるような人間じゃない。
私は、彼をキッと睨んだ。
「失礼ですが、私はギルベルト公爵家のセドリックの妻、アメリアです」
低く、強い声で言い切る。
「これ以上そのような態度を取ると、あなたの家に正式に抗議しますよ」
その言葉に、ロナルドの顔が歪んだ。
「な、なんだよ……冗談も通じなくなったのかよ。変わったな、アメリア」
「ええ。変わりました」
はっきりと言う。
この言葉を、自分に言い聞かせるように。
原作のアメリアなら、ここで笑っていた。
原作の毒妻なら、喜んで手を取っていた。
でも、私は戻らない。
処刑台に続く道に、二度と足を踏み出しはしない。
「――アメリア」
背中から、聞き慣れた声。
振り向くと、セドリックが来ていた。
淡い金髪、青い瞳。
表情は穏やかだが、目の奥に冷たいものが宿っている。
青の瞳が一瞬、私の手首に落ち、それから掴んでいる男へと鋭さを増す。
彼は、私の隣に立った。
そして、ロナルドを睨む。
「私の妻に、何かご用ですか」
氷の平板さを帯びた声音。
静かだが、温度は低い。
ロナウドの口角から笑みが剥がれ、私の手首から彼の指が放たれる。
「い、いえ。何でも……ないですよ」
「そうですか」
セドリックの視線は、なおも真っ直ぐ男を貫く。
ロナウドは居心地が悪そうにして、少し私を睨みながら去っていった。
角を曲がって彼の背が消えるまで、セドリックは視線を切らなかった。
静かに息を吐き、私に向き直る。
「大丈夫でしたか?」
心配そうに尋ねる。
私は、頷いた。
「はい、大丈夫でした」
そう答えると、セドリックは少し考えるような顔をした。
「彼とは、一体何の話をしていたんですか?」
その問いに、私は少し躊躇する。
正直に言うべきか。
でも、過去のことを話すのは恥ずかしい。
「えっと、昔のちょっとした知り合いで……」
少し誤魔化す。
すると、セドリックは少し低い声で言った。
「手を握られていたようですが」
その声に、ドキッとする。
彼は、見ていたのか。
「逃げようとした時に、いきなり握られたんです」
慌てて説明する。
その言葉に、セドリックは安堵したように表情を緩めた。
「そうですか」
でも、まだ少し不安そうだ。
どうやら、少し私に不貞を疑っているみたいだ。
待って、そうなると……彼と不仲になり、また処刑ルートに戻ってしまう可能性がある。
原作では、アメリアが男遊びをしていたことが原因で、セドリックに処刑された。
今は男遊びはしていないけど、していると勘違いされたのならば……可能性はある。
それを避けなければ。
私は、彼の目を見て言った。
「セドリック」
「……はい」
「私は、あなたの妻である限り、誰のものにもなりませんよ」
はっきりと、言い切る。
その言葉に、セドリックは少し頬を赤らめた。
「そうですね、あなたは僕の妻です」
そして、私の手を取った。
「――ずっと、これからも」
その言葉が、胸に染みる。
嬉しい。
でも、同時に胸が痛む。
ずっと、これからも――。
でも、私は来年には離婚するつもりだ。
彼の幸せのために。
その矛盾が、苦しい。
私は、頷いた。
そして、視線を下げる。
嘘をついているような気がして、彼の目を見られなかった。
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