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第16話 社交界で甘い言葉を


 馬車が会場に着くと、最初にセドリックが降りて手を差し出してくれる。


「どうぞ」


 優しい声。

 その手を取って、私は馬車から降りる。


 足が地面につく。


 そして顔を上げた瞬間――会場の入り口の豪華さに驚いた。


 石造りの大きな門。

 両脇には松明が並び、炎が揺れている。


 上には巨大なシャンデリアが吊るされ、無数の宝石が光を反射している。


 赤い絨毯が敷かれ、入り口まで続いている。


 使用人たちが列を作り、深く頭を下げている。


 さすがは公爵家の開く社交パーティーだ。

 こんなに豪華だなんて。


「行きましょう、アメリア」

「ええ」


 私は少し圧倒されながら、セドリックにエスコートされて会場入りする。


 彼の腕に手を添え、一歩ずつ進む。


 絨毯は柔らかく、足音が吸い込まれる。


 扉が開く。

 中は、もっと煌びやかだった。


 会場には既に多くの貴族が入場しており、賑わっていた。


 天井は高く、巨大なシャンデリアがいくつも吊るされている。


 壁には絵画が飾られ、花が生けられている。


 音楽が流れ、人々が談笑している。


 年配の夫婦が互いにうなずき合い、若い令息たちが燕尾の裾を翻し、色とりどりのドレスが波打つ。


 セドリックと同年代の子たちは、同じくらいの年の相手と並んで入ってくる。


 細い肩に緊張と期待を乗せて、少し背伸びしながら。


 ――それに対して、私たちは同じ年齢には到底見えない。


 五歳離れているのもあるし、私の雰囲気が大人すぎるというのもあるかもしれない。

 周りを見ても、少し浮いているような気がする。


 私は、少し居心地が悪くなる。


 視線が、刺さる。

 好奇の目。値踏みする目。


 それでもセドリックが気にした様子もなく、「行きましょう」と言ってエスコートしてくれる。


 推しと社交パーティーに出ているという事実だけで、胸がいっぱいだ。


 嬉しい。


 でも、やはり自分がセドリックの隣にいると彼の迷惑になるような気がする。

 あまり会場の中央に行きたくない。


 目立ちたくない。


 彼の評価を下げたくない。


 なので、私はセドリックに理由を少し誤魔化しながら会場の端の方へ移動する。


「あの、セドリック」

「はい?」

「少し、人が多いので……端の方に行きませんか?」


 私がそう言うと、セドリックは少し考えるような顔をした。

 でも、すぐに微笑んだ。


「わかりました」


 そして、私を端の方へ導いてくれる。

 人混みを避け、壁際に移動する。


 ここなら、少し落ち着く。


 しばらくすると、ギルベルト公爵夫妻が会場の真ん中に立った。


 ゴーン公爵と、イザベル夫人。


 二人とも、豪華な衣装を身にまとっている。


 そして、始まりの挨拶をする。


「本日は、お集まりいただきありがとうございます」


 ゴーン公爵の声が、会場に響く。

 低く、威厳のある声。


「ギルベルト公爵家として、皆様と共にこの夜を過ごせることを光栄に思います」


 会場が静まり返る。


 セドリックの義兄のダリウスも、女性を連れて会場の真ん中に立つ。


 彼も華やかな衣装で、自信に満ちた表情。


 本来なら、セドリックもあそこに並ぶ立場だ。


 だが、今夜の段取りに彼の名前はないのだろう。


 父と義母の意向か、兄の手回しか。


 最初から省かれたのか。


 私としては、好都合ではあった。

 目立たずに済む。


 でも、周りから見ると、セドリックが公爵家であまり立場がないみたいな見方をされる。


 それが、少し悔しい。


 私は、少し彼の様子が気になって顔を見た。

 でも、彼は特に気にした様子もなかった。


 穏やかに、挨拶を聞いている。


 私は、小さな声で聞いた。


「あそこに立ちたいと、思わないですか?」


 自分の声が、音楽に混ざってどこかに溶ける。

 問うべきではないのかもしれない問い。けれど聞きたかった。


 彼は、すぐに私を見た。


「アメリアを優先します」


 その言葉に、私は目を丸くする。

 彼は、続ける。


「あなたは、あそこに立ちたくないんですよね?」


 まさか、それが見抜かれているとは思わず、少しドキッとする。


 見抜かれている、と思って少しだけ背筋が伸びる。


「その……はい」

「なら、僕もここでいいです」


 彼は、微笑む。


「理由は聞きません」


 そして、私の手を取った。


「ですが、私はあなたが一番大事ですから」


 ――ダメ、私の心臓は彼の言葉で簡単に高鳴ってしまう。


 心臓が、跳ねる。


 やはり、推しは素敵だ。

 こんなに優しくて、格好良くて。


 私なんかより、もっと相応しい人がいるはずなのに。


 そう思うと、胸が苦しい。


 そうこうしていると、公爵夫妻とダリウスの挨拶が終わった。

 そして、乾杯の合図をしようとする。


 私たちは、使用人からグラスを受け取った。


 シャンパンが注がれている。

 金色の液体が、光を反射している。


「乾杯」


 ゴーン公爵の声に合わせて、グラスを上げる。


 カチン、と音が響く。

 それから、歓談の時間に入った。


 音楽が流れ、人々が動き出す。


 私たちは、壁際でグラスを傾けていた。


 でも、何人かの貴族令嬢や貴族たちが話しかけてくる。


 誰もが彼を「ギルベルト公爵家の次男」と認識していて、同時に、その立場の微妙さも察している。


 尋ねる声は丁重で、しかし好奇の小さな棘を隠しきれない。


「セドリック様、お久しぶりです」


 若い男性が、笑顔で話しかけてくる。


「ああ、久しぶりですね」


 セドリックも笑顔で応じる。

 そして、貴族令嬢たちも近づいてくる。


 華やかなドレスを着た、若い女性たち。


 彼女たちは、セドリックがフリーだと思って好意的に話しかけてきている。


「セドリック様、今宵の服装はとてもお似合いですわ」

「ありがとうございます」

「学園では、首席だと伺いました。素晴らしいですわ」

「いえ、そこまでは……」


 セドリックは、謙虚に答える。


(……うん、モテる。知ってた)


 胸の奥がチクリとするのは、嫉妬というより罪悪感だ。


 私がここにいなければ、彼は同年代の誰かと笑って踊れた。

 私が妻でいなければ、彼の選択肢はもっと広がっていただろう。


 来年に離縁すると決めている私が、今夜ここに隣立つこと自体が、もしかしたら邪魔なのかもしれない。


 そんなことを考えていると、令嬢の一人が尋ねた。


「ところで、セドリック様は婚約者はいらっしゃいますか?」


 その質問に、私は息を呑む。

 セドリックの隣に自分は立っている。


 でも、やはり年齢が上だから姉にしか見えないのか。


 婚約者や妻だとは思わなかったようだ。

 少し気まずい。


 私は、そっと抜け出そうと思った。


 一歩、下がる。

 その瞬間――セドリックに手を引かれた。


「っ……!」


 そして、腰に手を回される。


 彼の腕が、私の腰を抱く。


 距離が、近い。

 心臓が、跳ねる。


 セドリックは、令嬢たちを見て言い放った。


「彼女が、私の妻です」


 空気が、一瞬だけ止まった。

 令嬢たちの視線が私に跳ね戻る。


 私の方は、といえば、頭に遅れて血がのぼる。


 腰に回された手。指の位置。距離の近さ。体温の高さ。


 全部が時間差で襲ってくる。


 令嬢たちは、ハッとして顔色を変えた。


「っ、そ、それは失礼いたしました……!」

「奥様と存じ上げず、無礼を……」


 令嬢たちは一斉に礼をとり、慌ただしく退いた。

 足音は軽いのに、去る速度は速い。


 ドレスの裾を翻して、足早に。


 私はようやく息を吸った。

 遅れて自分の頬が熱いことに気づき、視線を落とす。


 腰に回る手は、すぐには離れない。


 こめかみがじんわりと熱くなる。


「セ、セドリック……い、いまのは――」


 声がうまく出ない。

 囁くようにして、彼を見上げる。


「私の妻を、自慢しただけですよ」


 その言葉に、私はさらに恥ずかしくなる。

 顔が、耳が、熱い。


「じ、自慢……って、その、こんな場所で……」

「最適な場所でしょう。人が多く、言葉が速く広がります」


 確かに、理屈は正しい。

 正しいけれど、腰に回る手がまだ温かくて、それどころじゃない。


「その……手、手を」

「あ、すみません」


 やっと手が離れる。空気が戻る。


 戻った途端に、離れたことが惜しくなる自分がいて、私は内心で自分の欲深さを恥じた。


「でも、僕は嬉しいんです」

「嬉しい……?」

「ええ。あなたが僕の妻だと、皆に知ってもらえるのが」


 その言葉が、胸に染みる。


 温かい。優しい。

 でも、苦しい。


 私なんかが、彼の妻で本当にいいのだろうか。


 そう思うと、申し訳なさで胸がいっぱいになる。


 今は、この温かさを感じていたい。


 セドリックの腕の中で、私は小さく頷いた。


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