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廃離宮の魔術師 ~婚約者に他の恋人ができたので、魔術師に囚われました

 城の廊下を歩いていたブルーベルは、ふと足を止めた。差し込む午後の光が、床に温かな模様を描いている。窓の外へ視線を向けると、見知った二人の姿が目に入った。


 一人はブルーベルの婚約者である第二王子のアベル。もう一人は子爵家の令嬢リリーだった。二人は楽しそうに笑いながら語り合っている。


「最近、よく一緒に見かけますわね」

「殿下と一緒にいるのは、確か子爵家のご令嬢でしたかしら?」


 ブルーベルの耳に届く貴婦人たちの囁き声。思わず視線を外し、柱の陰に身を隠した。ここ一か月で、アベルとリリーの距離が縮まる姿を何度も目にした。最初はぎこちなかった二人の関係も、今では手を触れるような親密ささえ見せるようになっていた。


「婚約者がいるのに、あんなに近いなんて」

「それに、人前で触れるなんて、淑女としては不適切ですわ」

「もしかしたら、隠すことなく愛を伝えたいのかも」

「まあ、はしたないわ! まるで娼婦のようね」


 胸が締め付けられ、涙がこぼれそうになる。必死にこらえ、足早に通路を進んだ。アベルとリリーの親しげなやり取りが頭を離れない。リリーに向ける笑顔は、ブルーベルが一度も見たことがないものだった。


 リリーのことは知っている。なんせ、アベルから「彼女の友人になってほしい」と紹介されていた。そういうものかと、最初は二人が一緒にいるのを気にすることはなかった。

 しかし、何度も目にするうちに、アベルがリリーと過ごす時間がどれほど心地よいものだと思っているかを、痛いほど感じるようになった。アベルがブルーベルに見せる表情は、いつだって冷ややかだからだ。

 

 アベルは王位継承権を持たない王子で、二十歳までに婿入りか家を継ぐ選択をしなければならない。アベルと結婚しても、あまりうまみがないのか、なかなか婚約者が見つからなかった。そんな時に、目をつけられたのがブルーベルだ。国王は逃げられないようにと、王命まで出して二人を婚約させた。

 しかし、ブルーベルの一族にとって、アベルとの結婚は不満だった。特に伯爵家は魔術師の家系で、ブルーベルの魔力の高さから跡取りとして選ばれていた。それなのに、アベルの魔力は一般的で、彼との結婚では魔術師の素質を持つ子供は生まれない。


 それでも国王のごり押しで婚約は決まった。決まってしまったのなら仕方がないと、ブルーベルはできる限りアベルとの関係を深めようと努力したが、アベルはそれに応えることなく、二人の距離は一向に縮まらなかった。婚約して一年半が経ち、結婚まで半年しかない中、どうしても答えが見つからない。

 

 アベルとリリーの関係が始まったのは、ある夜会で偶然の出会いだった。最初、ブルーベルはアベルを気にしていなかった。しかし、次第に二人の親しさがブルーベルの胸を刺すようになった。アベルがリリーに向ける笑顔、リリーが彼に向ける眼差し。これらはブルーベルが一度も経験したことのないものだった。それが次第に心を乱し、抑えきれない感情が湧き上がる。


 モヤモヤを抱えたまま、ブルーベルは王宮の奥にある魔術塔へ向かった。姉であるソフィアが王宮魔術師として働いているため、よく通っていた。すれ違う貴族たちの視線に気づき、ふと頬を触れると、涙がこぼれていることに気づいた。


 泣き顔でソフィアに会うわけにはいかない。心配性の姉はブルーベルが泣いていると知ったら、きっと怒り狂うだろう。下手をすれば、アベルに抗議に行くかもしれない。

 涙を隠すように俯きながら、魔術塔を過ぎて、さらに奥にある廃離宮へと足を運ぶ。廃離宮は放置され、誰も立ち入らない場所。ブルーベルの秘密の場所だった。

 ブルーベルは結界の綻びから廃離宮に入り込み、苔むした庭に足を踏み入れる。そんな彼女の耳に、柔らかな男性の声が聞こえた。

 

「おや、随分と可愛らしいお客さんだ」

「誰?」


 ブルーベルが振り向くと、そこにいたのは年齢が二十歳前後の男性。淡い金色の髪に、少し癖のある髪型、そして特徴的な紫の瞳を持った魔術師らしい姿。


「魔術師様……ですか?」

「正解だ」


 彼は嬉しそうに笑った。ブルーベルは思わず疑問を抱く。


「えっと、どうしてここに?」

「廃離宮は僕の住まいだよ。いてもおかしくはないだろう?」


 住まいだと言われて、胡乱気な目を向けた。

 

「住まい? ここが?」

「あれ? この廃離宮、噂を知らない?」


 廃離宮の噂。

 この離宮は数代前の国王の愛した寵姫が住んでいた。

 愛しすぎた国王はこの場所から寵姫を出さずに囲っていたという。そして、最期、狂って寵姫とこの離宮に仕えていた使用人たちを殺した場所でもある。

 そして噂というのは、殺された人たちの霊が棲みついているという――。


「……幽霊は目の下のクマがすごくて、いつだって恨めしい顔をしていて……透けているはず」


 そう呟きつつ、彼を眺めれば、確かに足がなかった。上半身だけならば、確かにしっかりとした存在だが、足元にいくにしたがって透けている。

 ブルーベルは目を見開いて、そのまま固まった。


「はは! 信じてもらえたようで何よりだ」

「幽霊!? 本当に?」

「そうじゃなければ、こんな廃離宮にいないだろう?」


 彼はどこかおどけたように片目をつぶった。


「私、幽霊に会うのは初めてだわ」


 初めての幽霊との会話に、ブルーベルは目をキラキラとさせた。色々とおかしいと思うことがあったが、すべて脇に追いやった。そういう無粋なことは今必要じゃない。


「うっ、その純粋な目が僕を焼き殺しそうだ」

「幽霊なんだから、もう死んでいるでしょう?」

「――ごめん、嘘なんだ。実は未来の偉大なる魔術師なんだ」


 ブルーベルの眼差しが、次第に胡乱なものに変わっていく。魔術師は落差にがっくりと肩を落とした。


「本当だよ。僕は魔術に関しては天才なんだ。幽霊云々はちょっと面白いかなと思っただけで」

「……幽霊ではないのならどうして足が透けているの?」

「新しい魔術に失敗して、飛ばされたみたいなんだ」


 腕を組み、失敗の要因がなんであるか、色々と一人反省会を始める。その姿には既視感があった。それは魔術師である姉。彼女もこうして新しい魔術を作って失敗しては、ブツブツと何やら一人で話している。

 魔術師にはよくある姿だ。


「本当に魔術師なのね」

「え、信じるの? 自分で説明していてなんだけど、すごく胡散臭い」

「ふふ、だって魔術師は常に新しい挑戦をしたがるものでしょう? お姉様も新しい魔術に挑戦しては、何度も失敗を繰り返しているもの」


 そう説明すれば、彼は納得したように頷いた。


「僕はジル。君の名前は?」

「ブルーベルよ」

「ブルーベル。可愛い名前だね。それで、君はどうしてそんなにも目を腫らしているのかな?」


 ジルはそう言いながら、そっとブルーベルの目元に触れた。だが、温かさは感じなかった。

 ジルも触れた感覚がないのか、不思議そうにブルーベルの頭を撫でたり、髪に触れようとする。仕草で何をしたいのかはわかるが、触れられた感覚はない。


「うーむ。まさか触れられないとは。この状態はどう定義していいものか」

「本当に幽霊なんじゃないの?」

「死んだ記憶はない。だから精神体のはずだ……多分。そうでないと僕が困る」


 ジルがそう嘆くと、ブルーベルはくすくすと笑った。しかし、あまりにもジルがしげしげと見つめてくるので、ブルーベルは笑うのをやめ、首をかしげた。


「何か?」

「うん、君は笑っている方がいい。そうだ、これなら」


 ジルは先ほどと同じように透ける指でブルーベルの目元に触れた。そして、短い詠唱。ふわりと温かな何かに包まれた。


「え?」

「よかった。多少なりとも、魔術は使えるようだ」


 どうやら泣いて赤くなってしまった目元を癒してくれたようだ。びっくりして目を丸くすれば、ジルは気障な笑みを浮かべた。



◇◇◇



 ブルーベルの日常がほんの少しだけ変わった。

 魔術塔で助手の仕事を終えた後、ブルーベルは必ず廃離宮に寄るようになった。魔術の失敗で効力が切れるまで廃離宮から出られないジルが話し相手になってほしいと頼まれたのだ。だけど、それが本当の理由ではないことに気がついていた。


 ジルはなかなか博識で面白い人だった。魔術がうまく扱えないブルーベルに、魔術のコツを教えてくれる。時にはかくれんぼのような遊びをしながら魔術を使わせ、ブルーベルはそれを素直に吸収していった。


「こんなにも魔術は楽しいものなのね」

「ブルーベルは真面目すぎるよ。魔術はもっと自由でないと」

「私、魔力の多さだけで跡取りに選ばれたから、もっと頑張らないと……」


 姉を押しのけて次期当主に指名され、ブルーベルは後ろめたさを感じていた。そして、いつまでたっても上達しない自分に不甲斐なさを覚える。しょんぼりとしたブルーベルを見て、ジルは励ました。


「ブルーベルは細かなコントロールができていないだけだ。魔力が多すぎるから、扱いにくいんだ」

「そうなの?」

 

 初めての視点に、ブルーベルは目を丸くした。


「僕を信じたらいい。君は偉大な魔術師の一人になるから」

「もう! 偉大な魔術師って何人いるのよ」

「何人でも」


 ジルがいい加減すぎて、ブルーベルは思わず笑ってしまう。ジルも一緒に笑った後、真顔になった。


「それで、今日はどうして泣いていたんだい?」


 彼の透明な指が目元に触れ、ジルの魔術の温かさが目元に広がった。その温もりに痛んだ胸が少しだけ癒される。


「……どうして気がついてしまうの?」

「君には笑顔でいてもらいたいからね。こんな風に目を赤くしてほしくないんだ」


 ジルが優しいだけなのか。それとも他に理由があるのか。ふと気になったが、それは聞くべきことではない。


「――声を掛けるつもりはなかったの」


 ブルーベルはぽつりぽつりと、ここに来る前の出来事を話した。リリーと一緒にいたアベルからの怒りをぶつけられ、混乱するうちに突き飛ばされたことを。


「浮気女の言葉を信じて? はは、紛れもないバカな男だな、君の婚約者は」

「一応、王子だから……」

 

 ジルは鼻で笑った。


「僕は偉大な魔術師だよ。そんなの関係ない」

「魔術師、関係ないでしょ」

 

 ジルは気にしていない様子だ。ブルーベルは呆れてしまった。


「……気を付けた方がいいな」

「何を?」

「その浮気女、君を陥れるつもりだ」

「陥れる?」


 突然の話に、ブルーベルは不思議そうな顔をした。


「そう、婚約破棄させて、自分が後釜に座るためにね」


 リリーがアベルを奪いたいがために、嘘を吹き込んでいる。これは素直に納得できた。

 だけど、婚約破棄はどうだろう?

 物語ならそれもありかもしれないが、ブルーベルとの婚約はアベルが将来生活に困らないようにするための王命。リリーがいくら策を練ったとしても、アベルと結婚することは難しいはずだ。


「言いたいことはわかるけど、王命よ? 婚約破棄にできるのかしら……」

「普通はならないね。でも、二人の行動を聞いている限り、できると思っているんだろう」


 荒唐無稽だと笑い飛ばせたらいいけど、二人を見ているとそう考えていても不思議はない。どうしようもない、とため息をついた。


「ブルーベルの方から婚約白紙にはできないのか?」

「我が家からは無理だわ。もしできるのなら、お姉様が既に実行しているはず」


 姉はブルーベルを心配している。最近はリリーとの噂もあって、いつ爆発してもおかしくない状態だ。


「十八歳で結婚するなら、あと半年か」


 ジルの声が少しだけ寂しげに響いた。その呟きにブルーベルは思わず首をかしげる。彼の言葉の奥にどんな意図が隠れているのか、すぐには分からなかった。


「結婚する時期なんて、話したかしら?」

「少し前に、色々話していたじゃないか」

「ちゃんと聞いていたの?」


 確かに愚痴を延々と繰り返していた記憶はある。その時に話していたのかもしれない。それよりも、どうでもいい愚痴をしっかりと聞いていたことに驚いた。


「当然だよ。可愛いブルーベルの話は、全部覚えているよ」


 いつもと変わらぬ軽口だったけど、可愛いの言葉が特別なような気がして、ブルーベルは少し顔を赤らめた。


「もう! ジルは女たらしだわ!」

「それはひどいな。僕は一途なんだ」


 ジルが目を細めて、楽しそうに笑う。その笑顔は今まで見たことがないほど柔らかくて優しい。そして気がついてしまった。ブルーベルはどれだけジルに心惹かれていることに。

 

「どうした? 急に黙り込んで」

「ううん、何でもないわ」

「そう?」


 自分を気遣って優しくしてくれて、それでいて話を聞いてくれる。ほんの少しだけ、好きになっても仕方がない。

 だけどジルには肉体はなく、ブルーベルには婚約者がいる。


「とにかく、気を付けて。お花畑たちは愛があれば乗り越えられる! と常識の壁を突き抜けてくるからね」

「お花畑って」


 その言い方がおかしくて、ブルーベルは笑った。自分の気持ちを心の底に押し込めて。


「そうだ、加護をあげよう」

「加護?」

「うん、君が悲しんでいると、僕も辛いからね」


 ジルはいいことを思いついたと言わんばかりに笑みを浮かべ、ブルーベルに近づいた。

 背伸びをすれば、彼に触れてしまいそうな距離。ジルが好きだと自覚したせいか、その距離の近さに狼狽えた。

 ふわりと全身に魔力が降り注ぐ。それはとても暖かくて、心地がいい。彼自身の優しさが魔力に溶け込んでいるようだ。


「これでよし、と」

「ありがとう」


 嬉しくて笑顔でお礼を言う。彼はにこにこしながら、一歩後ろに下がった。


「もう少しここに居たかったけれど。加護をつけることができてよかった」

「ジル?」

「ブルーベル、笑って」


 いつもの軽口だけれども、それでも重く響く。ブルーベルは突然できた距離に、不安そうに眼差しを揺らした。


「どうしたの? なんか変よ?」

 

 いつものようにからかうような彼の笑みが見たいと、願う。そうしているうちに、彼の姿がふっと薄くなった。

 ジルも自身の変化に気が付いたのだろう。あーあ、とため息をついた。


「ごめん、時間切れ。……また会おう」


 その言葉を最後に、ジルの姿が消えた。茫然としてジルのいた場所を見つめていたが。今までもこういうことは何度かあった。特に魔術を使った追いかけっこをした時など。だから今日も驚かそうとしただけだと、ブルーベルは自分に言い聞かせる。

 そして、わざと怒った声を出した。


「そういう悪ふざけはやめて。びっくりしてしまうわ」


 いつものように声が返ってくることはなく。


 誰もいない廃離宮の温室。

 痛いほどの静けさ。

 そこに、先ほどまでいたジルがいない。


「ジル……?」


 ブルーベルは呆然として立ち尽くした。



◇◇◇



 突然の別れに、ブルーベルは塞ぎ込んだ。食事も部屋で取り、一人ぼんやりとする。気がつくと、涙がこみあげてきて後悔ばかりがこみ上げてくる。

 どうして気持ちを伝えなかったのだろう。婚約者がいる、それを理由に自分の気持ちを見ないふりをした。だけどこんなにも後悔するのなら、告げればよかった。

 ジルに会えなくなって、塞ぎ込んで数日後。ノックの音と共に一番上の姉ソフィアが入ってきた。

 

「ブルーベル、具合はどう?」

「お姉様」

 

 心配そうに顔を曇らせたソフィアがベッドの側までやってくる。屈みこむと、優しくブルーベルを包み込んだ。彼女の柔らかな抱擁に、ブルーベルは再び涙がこみ上げてくる。


「可哀想にこんなにやつれて。辛かったのね。婿入りする癖に、浮気するなんて許せないわ」

「え?」

 

 ソフィアのどすの利いた声に、ブルーベルは呆気にとられた。


「最近はとても聞いていられない噂ばかり。あの下半身男、許しがたいわ」


 どうやらソフィアの耳にも、アベルとリリーの噂話が届いているようだ。ブルーベルはため息をついた。


「ごめんなさい。上手くアベル様と交流できなくて」

「どう考えてもあの男の落ち度でしょう。あなたがこんなにも泣く必要はないのよ。お姉様がぼこぼこにしてやるからね」


 ソフィアの物騒な呟きに、ブルーベルは慌てた。


「お姉様、違うの! 私、ちょっといいと思った人に気持ちを伝えられなくて、情けなくて、落ち込んでいるだけで……」

「まあ! ブルーベルったら、いつの間に!」

「あっ」


 言ってしまった。ブルーベルは顔色を青くした。婚約者がいるのに他の男性に惹かれたなど、知られてはいけないことだ。


「どこの人? 私の知っている人かしら?」

「えっと」

「ほらほら、話してしまいなさい。出会ったのはいつ? 名前は?」


 目を輝かせてグイグイと迫ってくるソフィアにブルーベルはつい話してしまう。


「彼は魔術師なんだけど、たまたま失敗して廃離宮に囚われてしまった人で――」

「廃離宮?」

「そう、だから名前しか知らないの。実体はなくて、幽霊でもないけどそれに近い感じで」


 廃離宮と聞いてソフィアはピンと来たようだ。


「なるほど。ちなみに名前は」

「私はジルと呼んでいたわ」

「特徴は?」

「紫の瞳だった」


 そう答えると、なるほどとソフィアは頷いた。ブルーベルは不思議そうに、考え込むソフィアを見つめた。


「お姉様?」

「ふふ。そういうこと」


 ソフィアはにんまりと笑う。


「ブルーベル、心配はいらないわ。あなたは堂々としていればいいのよ」

「そうしたいけど……」


 ブルーベルは憂鬱そうに顔を曇らせた。どう頑張っても、アベルとは険悪になっていくばかりで、どうしようもなかった。



◇◇◇



「ブルーベル! 見損なったぞ!」


 いつものように仕事に向かう途中、アベルに捕まった。そして、何も説明することなく、突然糾弾を始めたのだ。ブルーベルは呆気にとられて、ただただアベルを見つめる。


「ごきげんよう。見損なったって、何をですか?」

「とぼけるのは良い加減にしろ! リリーに嫌がらせを繰り返すなんて、どんなつもりだっ!」

「嫌がらせ……?」


 心当たりのないブルーベルはぽかんとした顔になる。


「ええっと、確認なんですけど、私がリリー様に嫌がらせをしているということですか?」

「そうだ! 可哀そうに、いつも泣いているんだぞ!」

「ちなみにどんな嫌がらせでしょう?」


 いつもだったら言葉が出てこない。でも、今日は違っていた。ブルーベルもアベルとの未来は考えられなかったし、結婚前からこの状態であれば、愛人を連れて婿入りする可能性もある。それは流石に看過できなかった。震える足に叱咤し、腹に力を入れる。


「一人になった時を狙って、聞こえるように悪口を言ったり、罵ったりしたと聞いている」

「まあ、それは随分と妄想力が逞しいようです。アベル様もご存知の通り、私は魔術塔で助手をしています。リリー様とすれ違うようなことはありません」


 ブルーベルに反論されて、アベルはあからさまに狼狽えた。いつもなら黙って俯くだけだった。だからこそ、言いがかりをつけても言い返さないとでも思ったのだろうか。


「……アベル様はリリー様をどうしたいのですか?」

「どういうことだ?」

「私たちは王命で結婚します。その時に、リリー様を愛人として認めさせたいということですか?」

「リリーを愛人だと!? そんなことするわけないだろうっ」


 アベルに怒鳴り返されて、ブルーベルは顔色を変えた。


「では、私たちの婚約はどうするおつもりです?」

「もちろん破棄する! 僕が伯爵家を継ぎリリーを正妻に」


 そこまで聞いて、ブルーベルの表情が抜けた。


「伯爵家を乗っ取るということですか?」

「はっ! リリーへの仕打ちで追放だけで済まそうというのだ。温情だよ。お前がリリーに土下座すれば、仕事だけは与えてやる!」


 ブルーベルの握った拳が震えた。きっと睨み据えた。


「伯爵家はアベル様のものではありません。私が当主になれなかった場合、姉が後を継ぎます。それに伯爵家は魔術師の家系です。血筋でもない人が継ぐことなんてあり得ません」

「何だとっ!」


 はっとしたアベルが手を上げた。殴られても、引くつもりはない。ブルーベルは奥歯を食いしばり、アベルを睨みつけた。その目が気に入らなかったのだろう、アベルの顔が憎々しげに歪む。


「なんだ、その目は! 生意気な!」


 力強く、拳が振り下ろされる。怯んではいけないと必死に鼓舞していたが、彼の拳はブルーベルに届くことはなかった。


「そんな温情、聞いたことはないなぁ」


 ブルーベルを背後から包み込むようにして大きな体が覆いかぶさった。そして、アベルの手首を握りしめる。


「うわっ!」


 力づよく握りしめられたのか、アベルが悲鳴を上げた。


「ああ、ごめん。怒りのあまりに力を入れ過ぎたみたいだ」


 どこか気楽な感じ口ぶりに、ブルーベルは目を見開いた。


「ジル……?」

「うん、間に合ってよかった」

「誰だ、お前」

「偉大なる魔術師さ。さて、王子様。自分の後始末、ちゃんとしてくれよ?」

「は?」

「周囲をよく見なよ。流石に貴族家の乗っ取りは、王族でも処罰対象だ」


 そう言われて初めてアベルは顔色を変えた。リリーも顔色を悪くし、アベルから距離を取ろうとする。そんな彼女にジルがのんびりと言った。


「そこのお嬢さんも無罪放免とはいかないから」

「私は関係ないわ! アベル様が勝手に」

「そうかな? アベル王子は君がいなかったら、何も考えずに婿入りしたはずだ。彼からブルーベルを排除して、君と一緒に家を継ぐなんて発想は出てこないよ」


 リリーはそう言われて、崩れ落ちた。


◇◇◇



 ジルはブルーベルを連れて、魔術塔へと向かう。エスコートする彼をちらりと見上げた。

 ジルの甘さを含んだ顔立ち、そして印象的な紫の瞳。

 確かにあの廃離宮にいたジルだ。握られた手からは温かい熱を感じる。それは廃離宮にいたジルとは違うことを告げていた。


「――生きているの? てっきり、過去の人かと」

「はは。ちゃんと、生きているよ。ようやく会えたね」

「一体、どういうことなの?」

「あれ、ソフィア嬢から聞いていない? 僕はもともと君の婚約者予定だったんだ」

 

 婚約者予定? と、ブルーベルは首をかしげる。確かにアベルと婚約する前に、すでに顔合わせの準備に入っていた。その相手が誰であるかは、ブルーベルは聞かされていない。頭が混乱して、何を聞いていいかわからなかった。

 言葉が出ずに黙っていると、ジルは楽しげに笑う。

 

「王命だから初めは諦めたんだ。でも……」


 ジルは確かな言葉を言わなかった。それでも、ジルが傷ついたブルーベルに寄り添っていたことは事実だ。沈黙の後、ジルが明るく言う。


「これで、ソフィア嬢は王命を取り消すことができるよ」

「そうね」

「ブルーベル」


 名前を呼ばれて、視線を上げた。ジルはブルーベルをじっと見つめていた。その目の中にある熱を見つけて、胸がどきどきと高鳴ってくる。


「君が好きだ。僕のことを少しでも知ってほしい」

「わたしは」


 何と答えたらいいのだろう。永遠の別れだと思った時の気持ちを告げるのは気恥ずかしく、言葉がすんなりと出てこない。ジルはそれを誤解して、困ったように笑った。


「まずは側にいさせてほしい。そして、できれば、僕のことを好きになってくれたら」

「好きです」

「――無理はいけないよ?」


 食い気味に気持ちを伝えれば、ジルが不安そうに言うので緊張がほぐれた。ブルーベルは背伸びをする。


「無理じゃないわ。だって、もう二度とジルと会えないと思った時、本当につらくて泣いてしまったもの」


 秘密を打ち明けるように小さな声で囁けば、ジルは呆気にとられた顔になる。そして、じわじわと彼は顔を赤くした。


「本当に?」

「ええ。でもきっと、これからもっと好きになっていくわ」


 それは確かな予感で。ジルは満面の笑みを浮かべた。


「そうか。それは嬉しいな」


 ジルはそう言うと、少しだけ屈んだ。彼の唇がブルーベルの頬に触れる。掠めるようにして触れただけなのに、ブルーベルの感情はそこで振り切れた。


「うわ、ブルーベル!」

 

 足から力が抜けてふらつくブルーベルを、ジルは慌てて抱きとめた。





 気持ちを伝えあった二年後、ブルーベルはジルと結婚した。

 花嫁となり、彼の隣に立つ。不安な気持ちなど一切ない。

 ブルーベルは今日夫になったジルに笑みを見せる。


「どうしたんだい?」

「ううん、幸せだなと思って」

「僕も幸せだ」


 ジルはそう言って、嬉しそうに目を細めた。

 

Fin.

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