9. 白日教会への滞在④
同日昼過ぎ。時間は少し遡る。
使いとして呼びに来た枢機卿の従者について、奏太達は廊下を進んでいた。古くからある石造りのこの建物は、鉄でできた扉が多い。いくつかの鉄の扉を通りすぎ辿り着いた先にあったのは、奏太達が滞在している部屋よりも、やや狭い部屋だった。
「こちらで少々お待ち下さい」
そう言われて中に通される。
司祭を待たせるなら、こんなものだろうな、というような部屋。だから、大して疑いもせずに、亘と椿、奏太の袖の中に隠れた汐と共に中に入った。
部屋は、窓はないが質素なテーブルと椅子が並んでいる、ごくごく普通のもの。
しばらくしたら、別の部屋に移動するのだろう。そう思っていたのに、全員が部屋に入った直後、バタンと扉が閉まりガチャリと外から鍵をかける音が聞こえて、奏太達はその部屋に閉じ込められた事を悟った。
そこから、すでに1時間ほどが経過している。
「やはり、全員、再起不能にしておけば良かったですね」
テーブルを挟んだ向かいの席にドサッと腰を下ろした亘が、痺れを切らしつつあるのか、何やら不穏な事を言いだした。
「落ち着けよ。そのうち、呼びに来るかもしれないだろ」
「来るわけがないでしょう。鍵までかけておいて。どこまで御人好しなのですか、貴方は」
亘は苛立たしげに言う。でも、奏太だって、もう来ないんだろうな、くらいは分かっている。ただ、イライラしたってしかたがないから、なだめるために言ってみただけだ。
「それにしても、随分、幼稚な嫌がらせですね。いつまで閉じ込めておくつもりなのでしょう?」
椿が扉に触れながら、小さく息を吐いた。それに亘が口元を歪ませる。
「枢機卿の用事が済むまで、だろうな。予め呼び出される事が分かっているのに、約束をすっぽかしたと枢機卿に思わせ評価を下げたいなら、それくらいで十分だ。そうではなく、奏太様を人だと思って食事をとらせず苦しめる目的で閉じ込めたのだとしたら、ここから出たあとに死んだ方がましだと思うような報いを受けさせてやる」
「だから、不穏な事言うなって!」
奏太が声を上げると、汐は呆れたような声を出した。
「いずれにせよ、奏太様の迎えに来た巽が、何もせずに帰るわけがありませんから、そのうち探しにくるでしょう」
ここに閉じ込められてから、汐はしばらくの間、室内を蝶の姿でヒラヒラ飛んで出口を探していた。しかし、小さな蝶が出入りできるような隙間もなく、今は諦めたように奏太の肩の上にいた。
「でも、やり方が雑じゃないか? 閉じ込められたって、あとから俺が上に訴えたらどうするつもりなんだろう?」
「どう言い訳するつもりかは知りませんが、自信でもあるのでしょう。どこの誰とも分からぬ司祭よりも、枢機卿の従者である自分を信じるだろう、と」
亘の言葉に、奏太は深く息を吐き出した。
確かに奏太自身も、よく知らない奴に何かを訴えられ、それと反することを自分の側近達に言われたら、側近達の方を信用する気はする。
(まあ、俺の方があの従者なんかよりも、よっぽど付き合いが長いし、そうはならないんだろうけどさ)
「それにしても、また、巽の時間を無駄に使わせることになっちゃったなぁ〜……」
奏太は椅子の背にもたれかかりながら、天井を仰いだ。厄介事ばかり重ねるつもりはないのだが、どうにも上手く行かない。
「昨日から、妙に巽の仕事量にこだわりますね」
「いや、なんかさ、事務仕事に押しつぶされそうになってるのを見ると、昔の誰かさんを思い出すんだよ。ケガして倒れるとかじゃない分、傍目からは分かりにくいし、ホントに倒れるまで働きそうで心配になるっていうか……」
「……ああ、柊士様ですか。やはり、白日の廟に居たせいで、昔の事を思い出しやすくなってるようですね」
呆れた声を出した亘に、奏太は口を噤む。その通りだから、返す言葉が見つからない。
奏太の従兄であった柊士は、奏太と同じ陽の気を持つ頼れる先達だった。
奏太が人であった頃、自分達の家系の当主をしていたその従兄は、働き詰めでいつも疲れた顔をしていた。それでも常に奏太を気にかけてくれて、奏太にとって、まるで実の兄のような存在だった。奏太は、それにおんぶに抱っこだった自覚がある。
柊士は、人としては、随分長生きをしてくれた方だと思う。そして、その分、奏太は散々甘えさせてもらってきた。
『貴方を置いていくことだけが心配だと、そればかりでしたよ』
葬儀の日に従兄の護衛役がそう言っていたのを思い出し、支えを失った時の心の痛みが蘇るような気がして、奏太は目を伏せて一つ息を吐いた。
「……暇だと、余計なことばっかり考えるな」
「ならば、破れそうな壁を片っ端から探して破壊してみますか?」
亘の言葉に、奏太は目の前のことに思考を戻して眉根を寄せる。
「石を積んで作られた建物だぞ? 衝撃で崩れたらどうする?」
「さすがに、そんなに脆弱ではないと思いますが……」
「そんな事までしなくていいよ。誰かが見つけてくれるのを待てば」
命の危機でもあるまいし、せっかく建てられ、ここまで保ってきた教会を、わざわざ壊す必要はない。
一日二日閉じ込められたところで、ここにいる者たちが危機に陥ることはないし、そのうち助けが来るだろうから、しばらくの間、静かに待ていても問題は無いだろう。
―― そうやって、 どれ程の時間が経ったか。
唐突に、扉が
ドガーンッ!!!
と大きな衝撃音と共に震えた。
奏太がビクッと肩を跳ねさせると同時に、亘と椿が即座に武器を構え警戒体制に入る。
しかし、すぐに、
「奏太様! ご無事ですか!?」
という聞き慣れた声と、
「鍵を開けますから、どうか、扉を壊すのはお待ち下さい!!」
という、別の焦ったような声がくぐもって聞こえてきて、その場の全員がホッと胸を撫で下ろした。
ガチャガチャという音とともにバンッと扉が思い切り開くと、巽や商会員に扮した護衛達が一斉に飛び込んでくる。その後ろには、枢機卿と、いつもいる枢機卿の護衛の姿が見えた。
「あぁ……ご無事で……」
巽は奏太の顔を見るやいなや、心底安堵したような声を出した。
「迎えに来てくれて助かったよ、巽」
「いえ、お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「そんなに待ってないって。それにしても、よく、ここがわかったな」
奏太が言うと、巽はニコリと笑う。
「枢機卿の従者があっさり自供しましたので」
「そっか。それで、その従者は?」
奏太の問いに、巽は表情を笑みの形にしたまま何も言わない。
「……え、ちょっと、巽?」
「いえ、枢機卿に教育的指導をしていただいただけですよ。少し口出しはさせてもらいましたけど」
巽が後ろを振り返ると、枢機卿が進み出てくる。その場にスッと膝をつき、深々と奏太に向かって頭を下げた。
「このような事態を引き起こし、誠に申し訳ございません。あの者は、こちらで処分致します。どうか、寛大な御心でお許しください」
「……いや、俺は何ともないから、別にいいんだけど……一応確認だけど、こんなことで、殺したりはしてないよな?」
何となく、巽の雰囲気は、先ほど不穏な事を言っていた亘に重なるものがある気がする。
「奏太様がお厭いになると思ったので、そこまではさせていませんよ」
枢機卿をゾッとするような冷たい目で見下ろしながら、巽が言う。しかし、すぐにニコリとした元の表情に戻して、奏太を見た。
「帰りましょう。奏太様。このようなところに、長居は無用です」
トラブルがあったとは言え、一応しばらくの間、匿っていてもらったのに、その言い方はあんまりではないだろうか。
「ええっと……ごめん、セキ。居場所を提供してもらって助かったよ」
枢機卿の名を呼び気づかいながら言うと、枢機卿は緩く首を横に振った。
「いえ、ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません。今後このようなことのないよう重々注意致しますので、これに懲りず、どうかまた御顔を見せにきて頂けたましたら幸甚にございます」
それに、奏太はコクと頷いてみせた。
奏太が簡単に赦した事が気に入らないのか、亘を含む護衛達がピリピリしているし、これ以上、余計な騒ぎを起こさないよう、さっさと撤退したほうがいいのだろう。
「帰ろう」
奏太はそう短く言うと、自分に付き従う者達を振り返った。