8. 白日教会への滞在③:side.巽
それは二日前の夜のこと。
闇を祓いに出た主が、光耀教会の大司教と接触し、主の持つ力を目撃された上に目をつけられたかもしれないという報告が入った。貴重な日の力を自ら生み出せる存在であると知られるのは、厄介事を引き寄せかねない。
その昼には、鳴響商会から買取の要望が上がったばかりだ。どうしてこうも、頭の痛くなるような事が重なるのか。
巽は、書類で埋もれた商会長室の机に突っ伏してうめき声を上げた。
その後すぐに白日教会に移動したようだから一安心ではあるが、冗談ではなく、一度鬼界を離れることを検討した方が良いのではないだろうか。
「……いや、帰るとは仰らないんだろうなぁ……一度決めたら頑固だから……はぁ……」
そう溜息をつきつつ、白日教会や商会の周辺に異常がないかを丁寧に調べさせ、自然な形で迎えに行けるように手配をし、ようやく迎えにやってきたのがつい先程のことだった。
しかし、応接室で言われた言葉に、巽は耳を疑うことになった。
「……は……? あの方が、いなくなった……?」
巽は、口元だけでそう繰り返す。
「お言いつけ通りに迎えに向かったのですが、部屋におらず。心当たりは見て回ったのですが、何処にも」
命じられて奏太を迎えに行った枢機卿の従者は、小さく頭を下げながら、そう言った。
「本当に、何処にも居ないのか?」
「はい」
枢機卿の問に、従者はきっぱりと答える。
あの方の立場は特殊だ。陽の気を使えるが、力の使い所に制約がある上、これほどの年月が経っても体は未だ人に近い部分が残っている為、ひ弱で傷つけば倒れて寝込むこともある。身を守る術を身につけたとはいえ、護衛が必須なのはそのためだ。
だから、枢機卿に保護を頼み、主を安全に連れ帰る為に、巽はこうして迎えに来たのだ。
それなのに、主の行方が、保護されているはずの白日教会で分からなくなった。
「外に出た、ということは?」
「そこまでは、私には何とも」
平静を装った顔で座っているが、二人のやりとりに、じわりと嫌な汗が出そうになる。
鳴響商会の一件でも思い知ったが、あの方の持つ陽の気は、鬼を自然と引きつける。
亘と椿が着いているとはいえ、外に出て法の目を気にしない者達に大勢で襲われでもすればひとたまりもない。
大昔、あの二人と行動を共にしていた主が敵に奪われかけた時のことを思い出し、背筋がゾッとした。
「猊下、すぐにお探しになった方がよろしいのでは?」
表向きの立場上、丁寧に促してはいるが、何を置いてでもすぐに探し出せ、という意図は明確に伝わったらしい。枢機卿は緊張の面持ちでコクと頷く。
しかし、何も知らぬ従者は、眉根を寄せた。
「約束も守れぬ司祭の処罰は、こちらにお任せください。猊下の御手を煩わせるわけには参りません」
「処罰、ですか? 何か事件に巻き込まれた、ということもあるのではありませんか?」
巽は穏やかな表情を何とか取り繕いながら、焦りと苛立ちを抑えるようにテーブルの下でギリギリと両手を握る。すると従者は、嘲笑するように鼻を鳴らした。
「人妖の商人の方にはお分かりにならないのでしょうが、神の庇護を受けるこの教会内で、そのようなことは起こり得ませんよ。きっと、どこかをふらついているのでしょう。猊下とのお約束も忘れて」
随分と見下したような言い方だ。主に対しても、巽達に対しても。たかが人妖、たかが商人、と。
確かに、普通の者であれば、大騒ぎするようなことではない。上役との約束をすっぽかしたのであれば、叱責を受けることもあるだろう。
しかし、居なくなったのは普通の者ではない。ここは鬼の巣窟。居なくなったのは人妖を装った主だ。
従者は巽の苛立ちも他所に続ける。
「大方、猊下との面会を許され、白日の廟への立ち入りを許されたことで、たかが『人』の分際で、何か勘違いをし気でも緩んでいるのでしょう。怠慢も甚だしくお恥ずかしいことです。ただ物珍しさ故に一時的に注目されているだけだというのに」
聞くに堪えない言葉に、巽は他人事を装うのも忘れて表情を歪ませた。
『たかが人』とこの従者は言う。しかし、『ただの人で有りたかった』というのは、主の叶わぬ願いだ。見ているこちらが苦しくなるほどの、決して叶うことのない悲痛な願い。それを、ここでこんな風に、嘲りと共に聞かされるのは我慢ならない。
「枢機卿」
一段声が低くなったのを巽自身も自覚している。ただ、これ以上続けられては、耐えていられる気がしない。
「そこの従者を尋問されてはいかがです? あの方が行方知れずでは困ります。先ほどの言い方を聞くに、何か知っているのではありませんか? たとえ知らずとも、手がかりくらい出てくるかもしれません」
普通、上役の命令で迎えに行かされたのに、居るべき場所に相手が居なければ、上役や客を待たせないよう、必死に探して然るべきだ。しかし、この従者は、少し探しただけで、勝手にどこかをふらついているだけだろうと枢機卿に言いつけに来た。それ以上、探そうとするつもりも一切無いように見える。
「我らは、あの方の保護をお願いしたのです。あの方には制約があり、無闇に御力を使えません。万が一のことでもあれば、どうなさるおつもりです?」
「は? 何を突然、言い出すのです?」
従者は、眉根を寄せて巽を見た。
しかし巽は、従者を無視してじっと枢機卿を見据える。
「あの方が教会内でご無事であればよし、しかし、もしも外に連れ出されでもしていたら、すぐに探しに出さねばなりません。悠長にしている余裕はありません」
「まさか、たかが司祭一人の行方が分からなくなったくらいで大袈裟な。それに、商人ごときが猊下の御前で無礼にもほどがあります!」
声を荒げる従者を他所に、巽は口元を歪めた。そろそろ、本当に限界だ。
「そちらが尋問なさらないなら、彼の身柄をこちらに引き渡してください。たかが枢機卿の従者一人、あの方の無事を確かめる為に消されようが、構わないでしょう? 彼が何も知らなければ、次を当たります。僕にはあの方と同じように制約がありますが、後ろの者たちは違いますから」
巽は、自分の後ろに立っている商会員たちを指し示す。
彼らは正確には巽の部下ではなく、主から指揮権を一部委譲されている者達だ。
本来の主の行方不明にジリジリとしているのを、今は巽が押さえている状態である。動いて良いと一声許可を出せば、何も言われずとも、多少非道な手を使おうとも、勝手に主の捜索に動くだろう。
巽が先ほど主を貶した従者自身の言葉を借りてそう言えば、枢機卿は小さく息を吐き、首を横に振った。
「いえ、どうか、こちらにお任せください。彼の言葉を聞くに、貴方が仰るように何か知っている可能性が高そうです。そうでなくとも、言い聞かせておくべきことが多いようですから」
枢機卿はそう言うと、パッと手を振る。それに合わせて、後ろにいた護衛が素早く動いた。ダンッと音が聞こえたかと思えば、従者が床に叩きつけられる。腕を乱暴に捻り上げられた従者は、鋭い悲鳴を上げた。
「な、何故このようなことを……!? あの司祭が何だというのです……!? それに、たかが人妖の商人の言葉をお聞き入れになるなど……」
「あの方は、絶対に手出ししてはならない御方だ。そして、この方々はあの方の御使い。人妖などと侮ってはならない」
枢機卿は取り押さえられた従者を冷たく見下ろした。