67. 商会前の急襲
小一時間ほど後。楓達は恭しく挨拶をして商会を去っていった。
日向家の守り手との邂逅。束の間の交流。呆気ない幕切れ。
寂しい気はするけれど、彼女にとっては、それが一番良いことなのだろうと、奏太はその背を見送った。
奏太を王城に連れて行くつもりで商会までやって来た玄もまた、一度威圧で黙らせたこともあってか、苛立ちの混じる顔で楓達を連れて再び王城に戻っていった。
(何事もなく送り届けてくれたらいいけど)
玄だけではどうしても不安で、念のため朱を呼び寄せたから、無事に鬼界の関所は通過できるはずだけど……
「さあ、奏太様。お部屋に戻りましょう」
玄関扉の向こうをしばらく見つめていると、燐鳳がそっと奏太の肩に手を置いた。
「……うん」
何事もなかったかのような笑みに促されるまま、奏太は自室に足を向ける。
しかし、部屋に入る直前。
王城まで姉の見送りに行かせていたはずの汐が慌てた様子で、蝶の姿のまま飛んできた。
「奏太様っ!!」
悲鳴めいた声に、周囲の空気が一気に張り詰める。
「汐、何かあった?」
「それが、商会を出てすぐに、複数の鬼に取り囲まれたのです! その中にハガネ大司教の姿もあり、楓様が!」
汐の言葉に、背筋がザワリと震えた。
「楓ちゃんが?」
ドクドクと、心臓が早鐘を打つ。
「ハガネに連れ去られたってことか? 晦朔、栞や他の武官は? 真尋君はどうした?」
胸を焼かれるような焦燥感が押し寄せてくる。
「弟君はご無事です。ただ――」
「ただ?」
口ごもる汐に、何だか嫌な予感がした。
「ハガネに姉を連れ去られそうになった弟君がそれを守ろうとしたところで、奏太様がお与えになった金の御力が反応したのです。その瞬間、玄が――」
全てを説明される前に、汐が続けようとした言葉が予想できてしまい、奏太は強く奥歯を噛んだ。
「真尋君に対して激昂したんだな?」
汐は何故わかったのかと言わんばかりの間を置いたあと、「はい」と小さく返す。
奏太はギリリと強く拳を握りしめた。
奏太の判断ミスだ。やっぱり、玄を一緒に行かせるべきではなかった。
「何故、玄が?」
亘が眉根を寄せる。
玄は、奏太が持つ神の力を人妖鬼に直接使うことを極端に嫌がる。奏太の体を保たせていることにも嫌悪を向けるのだ。聖なる力を矮小な存在になど使うなと。
奏太の威圧で苛立った状態で、見下している人妖の護衛をさせられ、その上、守り手でもない普通の人間が秩序の神の金の力を行使した。玄には耐えられない屈辱だったはずだ。
「説明は後だ。それで、それからどうした?」
「玄から弟君を救う為に朱が動き、ハガネから楓様を救うために晦達護衛が動いたのですが、襲ってきた鬼達に阻まれ、楓様を……」
少なくとも、朱がいれば守ってもらえると思っていた。それなのに、内輪揉めで手を取られることになるなんて。
「真尋君に怪我は?」
「軽症を。襲って来た鬼達は撤退しましたが、人界の護衛達が大きな怪我を負っています。死者はいません。襲撃場所が商会の近くだったこともあり、今頃は結界内に避難しているかと」
「朱と玄は?」
「二人も一緒です。それから――」
汐は言いにくそうにしながら、一度言葉を詰まらせた。
「去り際、ハガネが、『光耀教会でお待ちしています』と。奏太様に――」
そんなことだろうと思った。
前回、捕まった時の言葉を思い出せば、ハガネの狙いなんて考えなくとも想像がつく。
けれど、それならば、楓を取り返す光明も見える。
奏太を誘き出す為に、再び楓を捕まえたのだとすれば、奏太が行くまでは囮として生かしておくはずだ。この前と同様に。
「わかった」
「いけません。奏太様」
燐鳳が、いつも以上に厳しい声音を出した。
しかし、奏太はそれを無視して近くにいた巽に目を向ける。
「巽、今の光耀教会の状況はわかる? ハガネと同様、教会ごと闇の女神と繋がっている可能性は?」
「……先日の闇祓いの一件のあと、セキに連絡を取りましたが、以前白日教会から姿を消したあと、光耀教会にハガネが現れた形跡はなかったと。あちらの枢機卿も、闇祓いに困っている様子があり闇の女神と繋がっている様子は見られないとのことでしたが……」
「一応、セキを連れて行くか。俺が単独で行くより枢機卿の顔と権力で踏み込んだ方が早い。巽、セキを光耀教会に呼び出して。すぐに。それから、王城――白にも連絡を。その後、お前は商会で待機。絶対に光耀教会に近づくな」
巽を光耀教会に行かせるつもりはない。あの場所に行かせたせいで失いかけたのだから。
「奏太様!」
燐鳳が余裕を無くしたように珍しく声を荒げたが、奏太は今度は汐に目を向けた。
「汐。朱と玄も光耀教会につれていくから、声をかけてきて。その後は、人界の者達の手当を頼むよ」
「……玄も、ですか?」
「朱の手が必要だけど、玄をここに放置できない。拘束の為にどこかに送り届けてる余裕もない。後で俺が時間を作るって伝えて。そうすれば、暴れたり文句をいうこともなく着いてくるはずだよ」
玄が一番腹を立てているのは、真尋に金の力を与えた奏太自身。糾弾し罰を与える時間を、今か今かと待っているはずだから。
「奏太様、我らが行きます。貴方も商会に」
亘が重々しく口を開く。それに奏太はかぶりを振った。
「楓ちゃんを確実に取り返すには、俺がいかないと。それに、どちらにせよハガネを放置できない。闇の女神が聖教会の後ろにいるなら、避けて通れない道だ。これは、俺の役目だよ」
「しかし、貴方は――」
「あの子を――日向の子を失いたくないんだ。わかるだろ、お前らなら」
分かっているはずだ。だから、亘も、汐も、椿も、巽も、強くは否定しない。奏太が何の為に三百年を犠牲にしてきたのかを知っているから。故郷と、そこに住む家族や仲間を守りたかったということを……従兄姉達との繋がりを何より大事にしてきたということを、知っているから。
奏太が、亘、汐、椿、巽を順に見ると、四人は悔しそうに口を噤んだ。
「……正気ですか、貴方がたは?」
燐鳳が、信じられないとばかりに、軽蔑の色を込めて四人を睨んだ。
「あの小娘一人のために、主を危険に晒すと? この方を狙い捕らえようとする者のところに行かせようと? それでも、護衛ですか? これだから、貴方がたは――」
「やめろ、燐。俺の役目だって言ってるだろ」
奏太の言葉に、燐鳳は堪えきれない激情を宿した瞳で奏太を見据えた。
「お考え直しください。貴方に万が一のことがあればどうなさるのです? 貴方が、失われるようなことがあれば――」
「大丈夫だよ。これでも、俺は神だから」
「そうではありません!! 貴方が貴方で居られなければ、意味がないではありませんか!!」
燐鳳は、ガっと奏太の両腕をキツく掴んだ。
「御身体が次に修復不能なほどに傷ついたら? 意識が神の力に飲み込まれたら? 神の存在だけが残っても、何の意味もないのです! 貴方が消えれば、私は――」
「そうならない為の、護衛役だ」
奏太は亘と椿に目を向けた。二人とも、不安そうな顔でこちらを見返す。体は守れても、神の力に飲み込まれるのを止めるのは容易ではない。
燐鳳は憎悪でも籠ったような目で亘達をみやった。
「信用できかねます」
「俺は、信用してるよ」
「奏太様!!」
必死に引き止める強い瞳。自分を掴む強い力。
それに奏太は眉尻を下げて笑いかけた。
「いくら止められても、俺は行くよ。燐鳳。日向の子達は、俺が神になってでも守りたかったものの一つだから。自分のせいで失ったら、俺が人を捨てて、こうなった理由が消えちゃうだろ」
奏太の言葉に、燐鳳が悔しそうに奥歯を噛み締めたのがわかった。
「……ならば、私も参ります。奏太様」
「バカなこと言うなよ。文官は商会で大人しく――」
「セキ枢機卿は武官ではないでしょう?」
燐鳳は、いつもの余裕など微塵もなく、奏太の言葉を遮った。
「いや、そうだけど、セキには役割が……」
「では、私には、使い道がないと?」
燐鳳は冷たい目で奏太を見据える。
正直なところ、戦闘の現場ではその通りなのだが、そんな風に言われると、そうとは言いにくい。
「申し上げたはずです。貴方の眷属は信用なりません。私の目の届かぬところで貴方を失うのではと案じながらじっと待ち続けるのは耐えきれないと」
「けどさ……」
「私を連れて行けぬと仰るなら、貴方もこちらに残ってください」
冴え冴えとした燐鳳の瞳の中に、絶対に譲るつもりのない強い光が宿る。
「あのな、燐。闇も、それに操られてるハガネも、ホントに危険なんだ。雉里の現当主に何かあれば、璃耀さんに顔向けできない」
「叔父は関係ありません。それに、狙われている御身が誰よりも危険だという御自覚をお持ちください。私の命以上に、貴方の存在が何より大事だということがお分かりになりませんか?」
「だから、俺はこれが仕事なんだって」
「私の仕事は、陛下の側近くにお仕えすることです」
燐鳳は全く引く気配がない。
「四貴族家の当主が、聞き分けのないこと言うなよ」
「そう仰る貴方は、妖界の大君で在られます。お立場を
お考えください」
これでは、いつまでたっても平行線だ。
助けを求めて周囲を見回してみたが、誰も我関せずで、一切触れようとしてこない。それどころか、ことごとく目を逸らされた。
「……燐鳳」
折れてくれと願いを込めて呼びかけてみたが、凍りつくような視線が返ってきただけだった。
奏太は、重たい息を吐き出す。これ以上、燐鳳を説得し続ける時間も気力もない。連れて行くしか――
そう思ったところで、巽が意を決したように一歩前に出た。
「残りましょう、燐鳳殿。僕と汐ちゃんもそうですけど、同行する護衛にとって、守るべきものが分散するのは悪手です。何かがあった時、武官達は雉里の当主を放置はできません。朱さんが玄さんの対処に当たっている間に、楓様を奪われた二の舞だけはさけるべきです。それに――」
巽はそう言うと、仕方がなさそうな顔を奏太に向けた。
「奏太様自身が、守るべき者が多いと、見捨てられずに動いちゃうんです。誰よりも守られなければならないのに、御自身の安全なんて、全部無視して」
巽の言い分に心当たりがありすぎて、奏太はそっと壁に目を逸らす。
「燐鳳殿も、御経験があるはずです。随分昔。鬼が雪崩込む妖界のとある場所で、護衛も置き去りに真っ先に飛び出していった奏太様に救われていたでしょう? 奏太様にとって大事な者ならば尚の事、です。ね、奏太様」
「え?…………えぇっと…………その…………ご、ごめん」
散々、一人で飛び出していくなと言われ続けた身なのに、ここで同意を求められると困る。奏太はしどろもどろになった結果、自分を囲み仕方がなさそうな顔をする亘達に謝らざるを得なかった。
しかし燐鳳は、そんな奏太の様子も他所に、思ってもみなかった事を言われたとばかりに、口元だけで「……大事な……者……?」と小さく呟いた。
巽は、燐鳳の勢いが削がれたのを見て、ほっとした顔で頷いた。
「ええ。大事な者、ですよ。もう、奏太様にとって身内になっちゃってるんですから。……僕の犠牲の上に、ですけど……」
巽はボソッと恨みがましく奏太を見やる。
燐鳳は、答えを求めるように奏太に視線を向けた。まるで縋るような瞳。
いつ頃からだったか、燐鳳は時折、こういう表情を見せるようになった。奏太が鬼界や人界に帰り、燐鳳を妖界に置いていくときに、ほんの僅かな間だけ。しかし、いつもすぐに諦めたような顔に戻るのだ。
じっと逸らさず向けられる目に、奏太はハアと息を吐いた。
「大事な身内だよ。巽の言う通り。何を今更」
呆れ気味に言うと、燐鳳は目を見開く。それから、まるでその言葉を噛み締め反芻するかのように、グッと俯いて目を伏せた。
「ですから、僕らと一緒に残りましょう。ここでお帰りをお待ちして、お迎えするのも大事な仕事でしょう? 燐鳳殿が仰ったことじゃないですか。奏太様の大事な帰る場所を整えて守っていましょう」
巽の言葉に、燐鳳は再び顔を上げる。その瞳には、有無を言わせぬほどの強い光が宿っていた。それから、奏太の手をキツく握り締める。
「わかりました。私は、ここで待ちましょう。ですから、必ず、無事にお帰りください」
いつもと違う、熱く、強く、力の込められた手。燐鳳の必死の思いが伝わってくるようだった。
「うん。ちゃんと帰ってくるよ」
奏太は、燐鳳が残る決意をしてくれたことにほっとしつつ、そう微笑んだ。
「…………ああ、何で僕は、いつもこうやって自分の首を絞めるようなことを……」
巽がそう呟いたのが聞こえたが、聞こえなかったふりをしたほうが良さそうだ。




