66. 人界からの迎え
翌日昼すぎ。蜻蛉商会に来訪者があった。事前に王城に行っていた汐が、一足先にひらりと舞い降り、奏太の手の甲にピタリととまった。
「人界から、楓様のお迎えが」
「わかった。ありがとう、汐」
「玄が、王城から人界の者たちを案内してきています。そろそろ到着するでしょう」
汐の報告に、奏太は眉を顰めた。
「玄が?」
「ええ、大事な姫様の迎えだから、と。何か?」
「……いや」
しばらく見ていた汐が不審に思っていないのなら、何事もなく近くまで来てるのだろう。ただ、玄がわざわざ人界の者達の対応を買って出るとは思わなかった。
「奏太様も王城まで見送りにいらっしゃるだろうから、その護衛も兼ねて、と言っていました」
その言葉に、先日玄に『自分のところに来るのを待っている』と言われたのを思い出した。人界の者達の案内はあくまでついで。わざわざ奏太を迎えに来たのだ。逃すつもりはない、とばかりに。
「……そっか。それじゃあ、ひとまず、楓ちゃんを呼んで来てくれる?」
「はい」
ヒラリと再び飛んでいく汐を見送ると、奏太もスッと立ち上がる。
すると、燐鳳が厳しい声音を出した。
「王城へ、見送りに行かれるおつもりで?」
「うん」
「また、狙われでもしたらどうします。おやめください」
燐鳳の言うこともわかるが、玄から逃げ続けるわけにもいかない。
「闇を祓いに行くわけでもないんだ。大丈夫だよ。終わったら、マソホに白でも借りて帰ってくるから」
トンと燐鳳の肩を叩いて、軽くいなしながら、奏太は武官によって開けられた扉を抜けた。
玄に連れられて商会のエントランスに入って来て、奏太の前に跪いた面々の半分は顔見知りだった。
「あれ、晦と朔が護衛に? それに、栞まで」
「奏太様。この度は、楓様をお救いくださり、心より感謝申し上げます」
「いや、むしろ、こっちが巻き込んだようなものだから。君も、お姉さん、見つかって良かった」
奏太が視線を向けた先。膝をつき青白い顔を俯かせて、一人の人間の少年が小さく震えていた。
「これはこれは。あの時の日向の。よくもまあ、平然と奏太様の前に顔をだせたものですね」
燐鳳の空気を凍らせるような声が響く。すると、玄が興味を惹かれたように、少年を見下ろした。
「おや、この少年が、我が君に何か?」
「何でもないよ。燐鳳も、やめろ」
前回人界に帰った時に、燐鳳が当主に何かしたらしい事は知っていたが、この怯えた様子では、きっと少年にも何らかの制裁を加えたのだろう。
「……あ、あの……あの時は、本当に、申し訳ありませんでした……」
少年が、震える声で絞り出すように言う。
「ね、姉ちゃんを、見つけてくれて、ありがとうございます」
頭を低く、床に擦りつけるように。
短いけれど、深い、謝罪と感謝の言葉。
それだけで、少年の気持ちが、よく伝わってくるようだった。
「うん。大丈夫だから、君も、あんまり気にしないで」
奏太がそう答えると、エントランスの階段をタタタッと駆け下りてくる足音が聞こえた。
「真尋っ!」
楓が大きな声を上げて、少年――真尋に駆け寄り、肩を抱くようにして体を起こさせる。
「何で、守り手でもない貴方が……!? 大丈夫なの!? お母さんや兄さんは、一体何を考えて――」
「俺が迎えに行くって言ったんだ。姉ちゃんを。……それに、俺、この前、この方に酷いことを……だから、お詫びをしないと、って思って……」
真尋の言葉に、楓が恐れを覗かせるような目で奏太を見上げた。
「……奏太……君に?」
(……あぁ……そうか……)
自分の正体を最後まで隠したかったけど、やっぱり、そういうわけにもいかなかったらしい。
寂しい気持ちになりながら、奏太は二人に微笑みかけた。
「いいんだ、彼の気持ちもわかるし、こっちが事情を確認しないで押しかけたせいだから。ごめん、怖がらせて」
寄り添う日向の姉弟を見ていられなくて、奏太はふっと栞に目を向ける。
「妖界と鬼界の関所では問題なかった?」
「はい。滞りなく通過できるよう、ご手配いただき、ありがとうございます」
「せっかくだから、少しの間だけでも、汐と話したら? 栞が来たのは、姉妹の顔を見る為でもあるだろ?」
奏太が言えば、栞は顔を上げて表情を綻ばせた。
「恐れ入ります、奏太様」
「晦と朔は亘や巽と話をする?」
「我らは、主である当主と楓様のお兄様の代理で来ただけですので……」
朔が困ったように言うと、晦もそれに首肯した。
「亘にからかわれたり嫌味を言われるのも、巽に愚痴や自慢話を聞かされるのも、もう十分ですので」
「はは。俺は、それが見たいんだけどな」
あの頃の日常を、少しだけ覗き見したくなる。
晦と朔は、顔を見合わせあって眉尻を下げた。
「奏太様も、我らをからかうのはおやめください……」
そうは言いつつ、案内した広めの応接室。
栞と汐が姉妹の会話をし、亘と巽、晦と朔が苦笑と苛立ちの混じり合うやり取りを交わし、日向の姉弟が護衛に見守られながら互いを心配し合っている。
奏太は温かさと寂しさが交じり合う微妙な心持ちで、燐鳳の用意した御茶をすすりながらそれを眺めていた。
「奏太様、大丈夫ですか?」
「椿も、皆と話してきたらいいのに」
「私は、奏太様の御側に居ります」
椿も人界出身者だが、奏太の側を離れようとしない。人界勢と話をしている、亘、巽、汐の目も、時折心配そうに奏太に向けられていた。
「……逆に、気を遣わせちゃったかな」
「そのようなこと、奏太様はお気になさらなくて良いのですよ」
椿の言葉に、奏太はコクリと頷く。
「楓ちゃんの見送り、俺も王城まで行こうと思ったけど、皆に任せようかな」
「皆、とは?」
「椿、亘、巽、汐に、だよ」
姉弟に恐れられてる自分が行くよりも、人界の者達と対等に話せる彼らが見送る方が良いような気がした。
「奏太様がこちらに残られるのです。私もそうですが、誰も行きたがらないと思いますよ」
「けど、見送りがいた方がいいだろ?」
「ここで見送るだけで十分です。きちんと、人界の護衛がいるんですから」
椿が言うと、奏太の近くで無表情で室内の様子を見ていた玄が、不愉快そうに目を細めた。
「王城に来てくださるお約束では?」
「……それは、別の機会をつくるよ」
「おや、いつの間にそのようなお約束を? 奏太様は、この危険な鬼界では、不必要に屋敷を出られません。そのお約束は、諦めていただかねばなりませんね」
玄とは逆側で奏太の隣に控えていた燐鳳が、玄の方を見向きもせずに言い放つ。
「貴殿の出る幕ではないと、前回言わなかったかな?」
「何故私が、それを素直に聞く必要があるのでしょう? 奏太様の安全確保が最優先ですよ、玄殿」
挟まれた椿は、アワアワしながら両者を見ている。
「安全確保なら気にしなくて良い。俺がきちんとお護りすると言っただろう?」
「貴方こそ、私の話を聞いていなかったようですね。貴方の行いが、一番心配なのですよ」
「俺の? 笑わせないでくれよ。妖界の犬が何を嗅ぎつけたか知らないが、この方と俺の間を引き裂こうとしても無駄なんだよ」
「眷属を自称する毒蛇が無理にこの方に巻き付こうとするのなら、力尽くで引き剥がす必要がありそうですね」
「はっ、やってみろよ」
奏太を挟んだ周囲だけ、空気が氷点下まで冷えていく。
「やめろ、二人とも」
しかし、二人ともヒリヒリとした冷笑をやめる様子はない。奏太と一緒に挟まれた椿が、どうすべきかとオロオロし始めた。
「……椿、こっちはどうにかしておくから、あっちに混ざってきたら?」
仕方なしに奏太が言うと、椿はグッと何かを決意したように表情を引き締めたあと、後ろから、奏太の肩をギュッと抱きしめた。
「ダメです! 私が奏太様をお護りしないと!」
二人の鋭い視線が、一斉に椿に向いた。
「椿殿。今、すぐに、そこを離れていただけますか?」
「椿。お前も、俺の邪魔をするのか?」
肌を突き刺すような視線が、奏太を抱きしめたままの椿に向く。今にも刃を突き立てんばかりの殺気に、奏太はハアと息を吐いた。
「椿、苦しい。放して。それから、あっちで皆と話して来い」
「……けれど……」
「命令だよ。ここは、もういい」
奏太の言葉に、椿は悲しそうな表情を浮かべながら、そっとその腕を放した。
「……承知、しました……」
奏太は、トボトボと人界勢の方に向かう椿の背を見送りながら、自分を両側から挟む二人に意識を向けた。
僅かに威圧を込め、低い声を出す。
「わかってると思うけど、あいつらに手を出したら、容赦しない」
「容赦しない、とは?」
面白がるような玄の声。
「俺自身がどうなろうと関係ない。秩序の神の力を使ってでも、塔に封印する。永久に」
ピクリと玄の眉が動き、表情が消えた。
「燐鳳、お前は妖界に戻す。俺は以降、幻妖宮には戻らないから、そのつもりで」
「奏太様」
燐鳳の声が揺れる。
「俺は、本気だからな」
玄と燐鳳は互いに牽制し合いながら、そのまま口を閉じた。




