閑話.蜻蛉商会への滞在:side.楓
楓は、自分を案内してきた巽と共に奏太の部屋を出ると、ハアと小さく吐息を漏らした。
心優しく、どこか人間離れして見える青年。豪華な着物を着せられた美しい姿と、柔らかく撫でられた感触。
楓はそっと自分の頭に触れて、それを心の中で反芻した。
今はもう閉じられてしまった部屋の扉を振り返れば、その前には屈強そうな武官が二名控えている。
部屋の中には、更に厳しい表情の武官が五名も詰めていた。
この屋敷の主、日向奏太の背後には、柔和なのに、瞳の奥で鋭く楓を見定めようとする文官。昨夜、楓の世話をしてくれた青い髪の少女、汐もいて、お茶を淹れてくれたけれど、こちらも何だかピリピリしているような気がした。
窓には精巧な装飾が施された格子。奥には天蓋のついたベッド。どこかの王侯貴族が住まうような家財に調度品。少なくとも、ただの日向の一守り手に対するには過剰なほどに豪奢な部屋だった。
「……あの……差し出がましいようですけど、あれじゃあ、奏太君が、息苦しくないですか?」
人界にいては考えられないような、異様な光景。
固く守られている。そう見えなくも無いけれど、それ以上に、奏太自身が囚われているような感覚さえあった。
人界に帰らないのかと楓が問い、『日向の子』と言った途端に涙を流したのは、本人も、この状況の異常さから逃げ出し、人界への帰還を求めているからではないのだろうか。
すると、巽がチラッと奏太の部屋のドアを振り返ったあと、諦め混じりに首を横に振った。
「少し前までは、ああではなかったんです。ちょっと大きな事件が起きて、燐鳳殿が鬼界に来てから、この有様で……しかも、昨日の今日で、室内の武官が二名増やされてるし……」
「……奏太君が、あの火傷痕がある鬼に狙われているから、ですか?」
「それもありますけど……」
巽はそこまで言うと、楓をチラッと見たあと、深いため息を吐き出した。
「楓様は、どうかお気になさらず。それから、僕や椿、亘さん、汐ちゃんは、元々日向の里の出身なので守り手様への対応は弁えていますけど、他は妖界の、しかも燐鳳殿の息のかかった者ばかりなんで、お気をつけを」
「妖界の? けど、幻妖宮と日向は、協力関係にあるって聞いてます。それなのに、気をつけろって……」
楓の言葉に、巽は疲れたように天井を仰いだ。
「奏太様が絡まなければ、妖界にとっても、陽の気を扱う守り手様方の御力が必要ですから問題ないんですけど……燐鳳殿の、奏太様への執着が酷くて……零雨殿もですが……」
心底うんざりしたような声音だ。
「零雨って、柴川家の?」
「ああ、零雨殿はご存知で?」
「人界とのやり取りは、基本的に柴川家が対応してくれるので。とは言っても、妖界の対応は母や兄たちがしていたので、私は名前を聞いた事があるくらいですけど」
楓がそう言うと、巽は一つ頷いた。
「近付かないに越したことはありませんよ。特に、柴川と雉里は、先代の時から苛烈なんです。ホントに……深く関わったら、ひどい目みますよ」
実感が籠った声と、遠い目。今まで、ひどい目に遭わされてきたのだろうか。
そう思ったところで、楓はハタと足を止めた。
「雉里……燐鳳殿って、奏太君の後ろにいた?」
涙を零した奏太の頬を甲斐甲斐しく拭おうとした文官。周囲とは異なる豪華な着物に凛とした佇まい。その正体に思い至って、楓は血の気が引く思いがした。
巽は曖昧に微笑むだけ。
「しかも、雉里って、妖界の帝の身の回りの対応を司っていたはずじゃ――」
芋蔓式にその正体にまで行き当たって、楓は今度こそ青褪めた。
「楓様。奏太様は、貴方の前では、ただの日向奏太でいたいと仰ったんです。どうか、態度は変えないで差し上げてください。ただし、周囲にはお気をつけを。奏太様への不敬を絶対に許さない方が目を光らせているので」
雉里家当主。現帝へ絶対の忠誠を誓い、帝に近づき帝位を穢す者があれば徹底的に排除すると聞いた。
先程、奏太の背後から向けられていた視線を思い出して、ゾッとする。
「……わ、わかりました。……その、巽さんも大変ですね……」
楓をあの部屋に連れて行ってくれた当初、酷い嫌味を言われていた。きっと、雉里の圧力に苦しんでいる一人なのだろう。
すると、巽はクワッと目を見開いて、楓の両手をとりギュッと握った。
「わかってくださいますかっ!!」
突然、大きな声を上げた巽に、楓は唖然とその顔を見つめた。しかし、巽はお構いなしだ。
「奏太様の前では良い顔ばかりして、二面性が凄いんですから! それなのに、奏太様は天然すぎて、なんにもあの男の本性をわかってない! そもそも、奏太様にお仕えしている時間だって僕の方がずっと長いし、関係だって人界にいらっしゃった頃からもっとずっと深いんです。それを、四貴族家か何か知りませんけど、ぽっと出の妖界の文官が大きな顔で奏太様の隣を陣取って――……」
「あー! 商会長、燐鳳様の悪口言ってるぅー!」
不意に、背後から可愛らしい声が聞こえて、巽がビクゥッ! と肩を跳ねさせた。
ギギギとブリキ人形のように顔を動かした巽につられて振り返ると、桜色の髪の少女か少年――どちらとも取れる妖が、手を後ろに組んでいたずらっぽい顔をしていた。
「妖界の武官ばかりの御屋敷内の廊下で、よく燐鳳様の悪口なんて言えますね。お耳に入ったら、今度はどんな目に遭わされるんだろう〜?」
昨夜、楓の世話をしてくれた咲楽が、口元に指を当ててあざとく首を傾げる。
「さ……咲楽君……、今のは聞かなかったことに……」
ガタガタ震え出した巽に、咲楽は可愛い満面の笑顔を向けた。
「じゃあ、貸しにしておいてあげますね! その代わり、僕が困ったら助けてください」
「……それは、燐鳳殿関連でってことかな?」
「ふふふっ!」
咲楽の楽しそうな声に、巽は弱みを握られた絶望と共に顔を覆った。
巽の本音と刺客咲楽




