64. 商会の滞在客
翌日、目覚めたのは昼頃。
ここのところ、奏太の起床時間は少しずつ遅くなってきていた。起こされても、再び泥のような深い眠りに沈み込んでしまうことも多い。
(疲れが取れないんだよなぁ……)
ぼんやり考えていると、奏太の起床に気づいたのか、涼やかな汐の声が、ベッドを囲うカーテンの向こうから聞こえてきた。
「お目覚めですか、奏太様」
「うん。椿は?」
以前の朝の騒動以降、椿が奏太の様子を見ながら起こすのが日課になっていたが、今日は居ないようだ。代わりに、亘が護衛についている。
「いつもの時間にお起こししても、ぼんやりとした状態で再び眠ってしまわれたので、今日はそれ以上お声がけしないことになったのです。昨日のお疲れもあるでしょうから」
「そっか。楓ちゃんの様子はどう?」
楓は、昨日この商会に連れてきて以降、椿と汐に任せっぱなしだった。というか、自室でゆっくりしておけと燐鳳がうるさく、屋敷内すら自由に歩かせてもらえなかった、という方が正しい。
「……そのお話は、お支度を終えてからにしましょう」
心配だったから聞いただけなのに、汐の声が、涼やかではなく、冷ややかに変わった。
「え、楓ちゃんに何かあった? 問題ごと?」
「いいえ。日向家の守り手様らしく、きちんとされた方ですし、問題なくお過ごしです」
汐の言葉に、奏太はほっと胸を撫で下ろした。
「それなら、良かった。でも、汐は何で――」
「奏太様が、無闇にあの方へ接触なさるから、武官達の間で妙な噂が立っているのですよ。燐鳳殿が締め上げていましたが」
「……妙な噂って?」
きょとんと首を傾げると、汐はあからさまに嫌な顔をした。
「白月様との時と同様です。恋仲になるのでは、などという不届きな流言があるのですよ。それなのに、起床早々にあの方の名前を出されるなんて」
「……恋仲って……頭を撫でただけで? 椿だって、しれっとベッドの中に入ってくるのに、何を今更」
むしろ、過激さで言えば、椿の方が数段上だ。
ただ親族の子の頭を撫でたくらいで、大袈裟な。
そう思っていると、汐は奏太がわかっていない事を悟ったのか、苛立ちを顕にし始めた。
「三百年間同じことをし続けて関係性が一切変わらなかった椿と一緒にしないでください。そもそも、今まで、奏太様が年頃の女性を連れてこられることなど、一度もなかったではありませんか。唯一、白月様とお噂がたったくらいで」
「寿命がなくなった俺が、普通に恋愛できるわけないだろ。ハクの件だって、ずっと従姉弟だって言い続けてきたのに……今回だって、ただの保護。相手は親族だし」
「貴方はそう思っていても、周囲はそうは受け取らない、ということです。そろそろ、学ばれてください」
「……そんなこと言われたって……」
親戚の子相手の対応として、変な事はしてないはずなのに、と思いながら少しだけ口を尖らせると、見兼ねたような亘の声が壁際から響いた。
「ただの嫉妬です。聞き流した方が良いですよ」
「亘、貴方は黙ってて!」
そんな話をしていると、奏太が起きた事を見計らったように燐鳳と咲楽が現れた。護衛についていた武官の一人が一時的にドアの方へ行ったので、きっと知らせが飛んだのだろう。
「さあさ、奏太様。お支度をしましょうね!」
咲楽が相変わらず、元気よく言った。
緊張しながら待つ咲楽の横、燐鳳の厳しい身だしなみチェックを済ませると、奏太はようやく、ほっと息を吐いて汐のお茶を啜った。
「楓ちゃんを人界に送らないとならないから、護衛の人選をお願いしたいんだけど」
奏太が言うと、燐鳳はゆっくりと頭を振った。
「昨日の間に、妖界にいる阡を通して書簡を送りました。急ぐよう伝えたので、今頃、あちらは迎えの準備を整えているでしょう」
「関所を通って来るつもりってこと? 手続きに時間がかかりすぎるだろ」
「鬼界側の交渉は汐殿が国王陛下に直接。妖界側は私が阡を通して零雨様に直訴しました。明日には迎えに来られるでしょう」
妖界の関所も鬼界の関所も、通行許可が下りるのに、どんなに早くても、それぞれ一週間ずつはかかる。それを、妖界鬼界の行政トップに直接話を通して実質一日半に縮めさせた、ということだ。
「マソホは分かるにしても、よく、零を納得させたな」
「妖界にとっても大事な守り手様を、危険な鬼界から人界へ無事お帰しするという、陛下の御望みを実現させる為ですから」
「……そう、説得したってことだな」
事実、陽の気の使い手である守り手は、奏太の手がまわらない時に、たびたび人界から、妖界の陽の気が必要な場所に派遣されてくる。
三百年前に、人界の守り手を非人道的なやり方で妖に変えて妖界の帝に据える、という約定を破棄させる代わりに、そういう約定が新たに作られたのだ。妖界にとっても、守り手が大事な存在であることは間違いない。
もっともらしい理由とともに、事前の確認もなくちゃっかり奏太の権威を笠に着たということだ。
(まあいいけど)
「明日には迎えに来るなら、今日はゆっくりしててもらうか」
奏太はそう言いつつ、立ち上がりかける。しかし、すぐに両肩を燐鳳に押さえられて、再び座らされた。
「奏太様、どちらに?」
「楓ちゃんの様子を見に行くんだけど……手、退けてくんない?」
「必要ですか?」
「必要だろ」
燐鳳は柔らかな声で言っているはずなのに、何となく不穏さが混じっている気がするのは何故だろうか。
「昨日、ハガネとかいう溝鼠に尊い御身体を汚された挙句、連れ去られそうになったとか」
「ちょっと言い方、変えてもらえるかな? 闇の女神の力を取り込んだって」
「そのようなこと、どちらでも結構です。大事なのは、貴方が未だ、その穢らわしい鬼に狙われている、ということです。これ以上、何かがあればどうするのです」
肩に置かれた燐鳳の手に、ググッと力が入る。
「金の力が混じった結界に覆われて、更に妖界の武官が総出で守る屋敷内で、親族に会うだけなのに、か?」
「御身体もお疲れでしょう? お部屋から出るべきではありません」
燐鳳は、意地でも奏太を閉じ込めておくつもりだ。格子のせいで外も見にくくなった部屋の中で身動きも取れないのでは、息が詰まって仕方がない。
「巽に、買い出しの仕事でもないか聞いてみようかな。妖界の卸問屋に」
「妖界にお戻りになるならば、貴方がまっすぐに行くべきなのは幻妖宮ですよ」
「……それだと、結局、ここと同じだろ……」
少しで良いから、自由を持たせてもらえないだろうか。
そう思ったところで、トントン、とノックの音が響いた。
「奏太様、楓様が奏太様にお話をしたいことがあると、お見えなんですが……」
巽の話をしていたら、巽がやって来た。しかも、様子を確認したかった楓をつれて。
汐が額に手を当て、燐鳳がこれでもかというくらい、キレイな笑みを浮かべた。
「巽殿、奏太様は御気分が優れませんので、どうぞお引き取りを」
「そんなこと、一言も言ってないだろ。入っていいよ」
舌打ちせんばかりに、燐鳳は目を細めた。
鴨ネギ




