60. 闇の檻
小さな扉。それを咲楽が開けた途端、中からドス黒い靄が溢れ出す。それと共に、子どもの泣き声が先程よりもはっきりと聞こえてきた。
「……これは、どういう……?」
中を覗き込んだ咲楽から戸惑いの声があがる。
「咲楽、中の様子は?」
奏太の問いに、咲楽が眉根を寄せた。
「中は深い闇に覆われているのですが、何故か部屋の中央に明かりが見えます。恐らく日石かと。そこに、子どもが三名、大人の女性が一名います。……子どもは鬼ですが、女性には角がありません」
「……鬼じゃない?」
鬼界で人妖を見ることは少ない。蜻蛉商会が鬼界において特異に見られるのもそのためだ。
「他には誰かいる? 虚鬼は?」
「……暗くて見えにくいですが、他には何もいないようです」
何故、鬼でもない女性と子どもが、こんなところに取り残される事になったのかはわからないが、生存者がいたのは、不幸中の幸いと言えるだろう。
「わかった。じゃあ、とりあえず行ってみよう。妖鬼がいるなら、そのまま陽の気を放てないし」
「制約が煩わしいですね。妖鬼もろとも全て焼き払えばそれで済むのに」
玄が背後で鼻を鳴らす。
「……俺は、制約が無くても、無関係な者を陽の気で焼くつもりはない」
「我が君は、お優しいのですね」
慈愛の籠ったような声音。
しかし、奏太にはわかる。玄の発言の根底にあるのは、冷徹な嘲りだ。
玄にとって、神とその眷属以外は無価値な存在。そして、それを守ろうとする、人である奏太が心底気に入らないのだ。
奏太は玄の言葉に応じることなく、小さな扉に足を進める。
咲楽と朱が身を低くして中に入り、奏太もそれに続く。中は咲楽が言った通り、暗く閉ざされた闇の中、奇妙に白い光を放つ一角があった。まるでドームのようにその場所だけが明るく照らされ、小さな鬼の子が三名、中央で固まって泣いている。それを守るようにして、人間でいうところの十代後半くらいの、長い黒髪の女性が怯えた表情でこちらを見ていた。
「……人?」
奏太はポツリと呟いた。
妖界の者のような着物姿ではない、明らかに人界の者だと思われる、Tシャツにジーンズ姿。
「だ、誰なの? あの鬼の仲間?」
恐怖の中で気丈に自分を奮い立たせるように女性が言う。
「君は、人間?」
「……そう、だけど……貴方達は? 鬼じゃないの?」
「人妖だよ。安心していい。助けに来たんだ」
今、ここにいる者達の中に、角を持つものはいない。
奏太が言うと、女性は確かめるように奏太達の頭の上に視線を走らせたあと、ようやくほっと息を吐き出した。
「君は、何でこんなところに?」
「……連れて、来られたの……結界の綻びを通って、人界から……」
女性は、今にも泣き出しそうに喉を詰まらせながら言う。
「結界の綻び? 君、何でそんなことを?」
普通の人間は、この世界に人界、妖界、鬼界という三つの世界の存在すら知らない。知っているのは日向家に関わる者ばかり。
「わ、私、結界の綻びを塞ぐ仕事をしてるから……」
「……守り手、なの?」
女性が顔に疑問符を浮かべながらコクと頷くのを見て、奏太は言葉を失った。
「貴方は、何で守り手の事を知っているの? いったい何者なの?」
「……俺も、守り手……だったんだ」
「守り手、だった?」
女性はわけがわからないと言いたげに繰り返した。けれど、ここで詳しく説明するつもりはない。
「君、名前は?」
「日向、楓」
奏太が椿と亘を振り返ると、椿はこくりと頷いた。
「日向の当主の、亡くなったはずの娘が、確か楓という名だったかと」
人界へ帰った時に、奏太に罵声を浴びせた少年。その姉は、鬼界との綻びを塞ぎにいって死んだと聞いた。
「私、あっちで死んだ事になってるの……?」
女性は唖然としたように言う。
「……君と、その護衛役、案内役が殺されたって……」
「み、蜜と皐月が殺されて……一緒に行った武官も殺されて……だから……」
絶望したように、震える声で言う女性に、酷く胸が痛んだ。護衛役と案内役は、守り手にとって、何よりも大事な相棒だ。当時から、奏太にとって亘、汐、巽、椿がそうであったように。
その上、苦渋の決断であったとしても、家族から死んだのだと見限られていたのであれば尚の事。
恐らく、護衛役と案内役、同行した武官達が鬼に殺され、守り手であった楓の消息が不明になったことで、殺されたのだと結論づけられたのだろう。その状態で、鬼界に連れ去られたのであれば、無理もない。
「ひとまず、ここを出よう。朱、咲楽、子どもとその人を外に連れて行ってくれる? 子どもは軍に預けよう。その人は、商会に」
「承知しました」
朱と咲楽は子ども達と女性がいる場所に向かう。しかし、光のドームの手前で二人ともが足をピタリと止めた。
「どうかした?」
「周囲の闇に紛れて見えなかったのですが、濃い陰の気の結界が張られているのです。これ以上は先に進めません」
闇の中に、さらに陰の気の結界が張られているという不可解な状況に、奏太は眉を顰める。
「結界が? 俺の力で破れそう? 朱」
「強い力を注いでいただく必要がありそうです。もしかしたら、金の御力が必要かもしれません」
朱が言った途端、亘がパシッと奏太の腕を掴んだ。
「奏太様」
「日向の者をこのままにはしておけない」
同じ守り手として、自分を守り導いてくれた柊士や白月。次代の守り手が目の前にいるのなら、自分も彼らと同じように、次代の守り手を守り導く義務がある。
「守り手様だと仰るなら、あの方も陽の気を使えるはずです」
「金の力を使う必要があるなら、彼女の陽の気だけじゃどうにもならないだろ。いずれにせよ、触れて状態を確認してみるよ」
「しかし――」
「亘。俺が、やりたいんだ。柊ちゃんにもらった恩は、子孫にちゃんと返したい」
亘の言葉を遮って伝える。けれど、亘の手は先程よりも強く奏太の腕を掴む。
それに、奏太は小さく息を吐いた。
「なら、こうやって掴んでてよ。万が一のことがあったら、俺を引き戻して。この前みたいに」
「奏太様」
返ってきたのは納得の声ではない。
けれど、亘にいくら止められても、奏太は彼女らを救う方法を見つけたいのだ。
奏太は、亘の手の上に、そっと自分の手を重ねた。
「絶対に無理はしない。それに、お前なら、ちゃんと俺を引き止めてくれるって、信じてるよ」
微笑んで見せると、亘は悔しそうに奥歯を噛む。
「……貴方のわがままに付き合わされる、こちらの身にもなってください」
「今に始まった事じゃないだろ?」
茶化して言えば、亘はこれでもかというくらい、眉間にしわを寄せた。
「頼りにしてるよ」
ポンポンとその手を軽く叩けば、ほんの少しだけ、奏太を掴む力が緩められた。
それを許可と受け取り、奏太は陰の気の結界があるらしい、白のドームまで歩みを進める。
近くで女性の顔を見れば、確かに、人界で会った少年や当主によく似ているように思えた。
その近くには、闇の中で眩く光る日石。
「その日石に陽の気を注いだのは君?」
「私を連れてきた鬼が、これを置いていって……陽の気を注ぎ続ければ、濃い陰の気から身を守れるって言ったの。闇に飲まれれば命は無いって。そのすぐ後に、鬼が何か黒いガラス玉みたいなのを二つ割って、それからこの周りの黒い靄が広がっていって……」
ここでも、ガラス玉。きっと、闇の女神の力がこもったものだろう。
しかし、何故そもそも、彼女をわざわざここに連れてきて、闇の真ん中に置き去りにしたのかがわからない。しかも、日石まで置いて。
「ひとまず、ここから出すよ。そうしたら、もう少し詳しい話を聞かせて」
奏太はそう言いつつ、スッと陰の気の結界に手を伸ばした。
その時だった。ざわりと全身に寒気が走ると同時に、結界を構成している陰の気が、ずわりと奏太の体の中に無理やり侵入してくるような途轍もない不快感におそわれた。
さらに、それに共鳴するように、身体の奥底に閉じ込めてあった闇の女神の陰の気が自ら動き出すように奏太の体の中で騒ぎはじめ、金と白の力を押し退けて外側へ外側へと広がろうとする。
体の中の気の力を、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような感覚。酷く酔ったような強い吐き気と頭痛と目眩に立っていられなくなる。
体が揺れるのを、ガシッと支えられた。
「奏太様!」
亘の声が聞こえた。その瞬間――
「亘さん!! 虚鬼です!!」
椿の悲鳴めいた声が周囲に響き渡った。
霞む目を上げれば、いったいどこに潜んでいたのか、虚鬼が複数体、一斉に雪崩込んでくる。十以上はいるだろうか。
朱や咲楽、椿はもちろん、玄までその対応に追われ始めた。
「屑が」
玄がパッと手を振ると、今度は朱が声を張り上げる。
「やめないか、玄! 鬼も人も妖もいるこの場では、制約に触れる!」
朱の言葉に、玄は忌々しそうに舌打ちをし、自身の手の中で、黒にほんの僅かに金が光る剣を作り出してサッと振った。
「……亘……、守り手を……子ども達、を……」
奏太は、白と金の力を抑え体を支配しようとする、禍々しい闇を自分の中でどうにか相殺しながら、唯一自分の側に残った亘の袖を掴む。
奏太が触れ、闇がそのまま奏太の中に流れ込んで来たせいで、皮肉にも、強固だった陰の気の結界が解けて、女性や子ども達は日石の力だけの無防備な状態になってしまっているはずだ。
「陽の気で何とか対処されています。それより、貴方が……!」
「守り手の、陽の気には、限界がある……長くは続かない。わかるだろ……俺が、そう、だったんだから……」
吐き気を堪え絶え絶えに言いながら、亘の胸のあたりを押したが、亘は動かない。
しかし、すぐに虚鬼がこちらにも襲ってきたのだろう。亘はギリッと奥歯を噛みながら、奏太を背にかばうように即座に立ち上がり、鈍色の刀を抜き放った。
亘が虚鬼に振りかかり、奏太への注意がほんの一瞬、逸れた隙。
別の方向に、痛いくらいの力で奏太は腕を引かれて無理やり立たされた。さらに鳩尾の辺りに何者かの腕が食い込むほどに強く回され、吐き気が増す。
直後。背後で愉悦と狂気に満ちた男の声が響いた。
「ああ、我が神よ。ようやく貴方を、光耀教会にお迎えできそうだ」
聞き覚えのある厭らしい声。
奏太の陽の気で頬に大きな火傷痕を作った、銀の髪に赤い目を持つ、あの大司教の顔がニタリと笑った。




