6. 白日教会への滞在①
白日教会の門前に辿り着くと、門番に一度足止めをされる。奏太が祭服を着ているため、簡単な確認のみで済むのだが、面倒である事は間違いない。
闇を祓った事の報告として訪れた為、少し良い応接室に通された。
ガチャリと扉が開くと、柔和な表情を浮かべた壮年のの男が入ってくる。御付きの者が数名いたが、男はそれを制し、護衛一人だけを残して追い払った。
追い払われた従者達は、訝るような目を奏太に向けたが、男の命令に黙って従い、外に出ていった。嫉妬の混じる目も多かったような気がするが、それは置いておく。
この国に二名分しかない枢機卿という地位にいる、そのセキという名の男に取り入ろうとする者は多い。
そして、その枢機卿に幾度となく面会を許される、たかが一司祭の事が気に入らないのも仕方のないことだろう。
完全にパタリと扉が閉まると、枢機卿は、奏太に席を勧めたあと、向かいの席に座り丁寧な仕草で問いかけた。
「奏太様、闇はいかがでしたか?」
「闇自体はいつも通りだよ。問題なく祓ってきた」
奏太はそう言いつつ、姿勢を崩す。
表向きは、階級の低い司祭と高位の枢機卿。ただし、実際の立ち位置は完全に真逆だ。
奏太の立場を表沙汰にしていないため、この教会内でその関係性を知る者はこの室内に残る者だけ。
「ただ、軍の者が闇に飲まれて虚鬼に変わったせいで、何人か失った。国にも報告が入るはずだよ。あと、光耀教会の大司教に、俺の力を見られた。亘が誤魔化したけど……」
奏太が言葉を濁すと、後ろに立っていた亘が、眉根を寄せる。
「目をつけられたかもしれない。何もないとも言い切れないし、念の為、商会との繋がりがわからないよう、しばらくの間こちらに滞在させてもらいたい」
「それはもちろん構いませんし、迎えが必要ならば、商会との取引を名目に迎えを呼びましょう。ですが、この際、貴方の立場を明確にしたうえで、誰もが安易に手出し出来ぬようにしたほうがよろしいのでは?」
枢機卿は眉尻を下げて奏太を見る。しかし、奏太は首を横に振った。
「それだと、わざわざ市井に紛れ込んだ意味がなくなる。もうちょっと、いろいろ調べたいんだ。元凶は三百年も前に居なくなったはずなのに、急に闇が現れるようになったのは、やっぱり気持ち悪すぎるし」
「陰の御子や闇の女神が直接関係しているとお考えで?」
闇の女神と陰の御子は、どちらもこの地に伝わる神話に出てくる神。腹違いの兄弟である陽の御子との争いで大罪を犯し封印されていた陰の御子を、母親である闇の女神が封印から解き放ち、世界が闇に包まれて滅びかけたのは三百年ほど前のこと。
危機を収めたのは、世界を救うために人妖と共に降り立った日の女神と、秩序の神、つまり、奏太がもたらした力だった。
そしてそれは、五百年の寿命を持つ鬼達からすれば、それ程昔のことでもない。
枢機卿の言葉に、奏太は眉根を寄せる。
「時々どこかから感じる、闇の女神の気配がなぁ……」
「あの時、消滅を見届けたのでは?」
「まあ、そうなんだけど、なんか嫌な予感がするっていうか」
奏太は小さく肩を竦めた。すると、後ろにいた椿が困ったような声を出す。
「今までの経験上、奏太様の嫌な予感は、よく当たりますから、もしそうお感じになるになら、何かがあるのかもしれません……」
椿の呟きに、その場の全員が押し黙った。
「とにかく、探るなら下から潜り込んだ方が良いこともある。不安が払拭されれば素直に帰るから、それまで付き合ってよ」
「……承知しました」
枢機卿は、深く重い息を吐き出した。それから、気を取り直したように、柔らかく笑う。
「こちらに滞在なさるなら、お部屋をご用意せねばなりませんね。待遇はどのようにいたしましょう? 司祭のままでは、大したおもてなしもできませんが……」
「そんなのいいよ。むしろ、さっきも言った通り、しばらく大人しくしていたいんだ。迎えが来れば商会に戻るわけだし」
「……では、普通の司祭と同じお部屋に……?」
枢機卿は、眉を顰める。
「この二人もいるから個室だと助かるけど、それ以外は他の司祭に合わせてくれていいよ。ああ、その間、仕事をしないのもなんだから、『白日の廟』の掃除でも命じてよ。頻繁にできることでもないし、人の司祭にしかできない仕事だ。ちょうどいいだろ」
枢機卿は、気が進まなそうだ。けれど、奏太としては、あんまり大袈裟にはしたくないのだ。仕方がない。
「では、せめて護衛を増やしましょうか?」
「この二人がいれば十分だよ。司祭が護衛を連れて歩いてたら不自然だから、助祭の服でも用意してくれると助かるけど」
「しかし、それでは…………いえ、承知しました」
何かを言い淀んだように見えたが、一応、納得してくれたらしい。
「じゃ、頼むよ」
こうして、迎えが来るまでの間、教会で世話になることが確定した。
その日はそのまま、案内された部屋で一夜を過ごした。商会へは、枢機卿から手紙を出しておいてくれるらしい。
教会内では、朝夜の祈りの時間に顔を出す以外は、どこで何をしていても良いと言われた。
本来はそれぞれの仕事があるのだが、奏太の仕事は無理やり枢機卿からもぎ取ったもので、あってないようなものだからだ。
何なら祈りの時間すら「他の者達に紛れたいのならご自由にどうぞ」と言われただけだった。
翌朝、祈りの時間。言われたとおりに礼拝堂に顔を出す。奏太が神である事を知っている亘に、
「奏太様は、何に何を祈るのですか?」
と問われたが、奏太は別に何にも祈っていない。ぼうっと別のことを考えていただけだ。
取り繕うように、
「日の女神に、世界平和を、だよ」
と言ってみたが、胡散臭い顔をされただけだった。
「そういうお前はどうなんだよ?」
「日の女神に、主がもう少し危機感を持って行動してくださるように、でしょうか。秩序の神にいくら訴えても聞いてくださらぬようなので」
亘はニコリと笑って奏太をみる。当の主は微妙な顔をするしかない。
朝の祈りの後、多くの者達は食堂に向かって歩みを進めていく。白日教会の者たちは、一箇所に集まり一斉に食事を摂るらしい。
しかし、奏太も亘も椿も、普通の人妖とは異なるため、食事は不要だ。
皆がゾロゾロ移動する波に逆らって進んでいくと、無遠慮にチラチラとこちらを振り返る視線に晒された。
あんまり、感じの良い視線ではないし、コソコソと会話が交わされているのも見えている。……というか、バッチリ聞こえている。
「ほら、あれが」
「ああ、人の司祭ってやつだろ」
「従者を二人も連れて歩くなんて、何様のつもりだ?」
「人だからだろ。一人じゃ怖くて何もできないってことだろう。よくあんなので役目が務まるな」
「でも、直接、猊下との面会が許されたって話だぞ」
「それどころか、あの場所への立ち入りも許可されたらしい」
「は? なんであんなやつが? そんな力、ないだろ」
「素質も努力も地位もなくたって入れるんだよ。種族の違いってやつだけでさ」
「それにしたって、なんか、卑怯な手でも使ったんじゃないか?」
「ただのひ弱な食料風情に、何ができるって?」
「ハハ、確かに、喰えそうなトコ差し出すくらいしかできなさそうだ」
(……いや、人妖の保護が布告されてるのに、食料風情とか言うなよ)
別に本当に取って喰おうとしているわけではなく、ただの蔑視発言だろうが、口には気をつけた方が良いのではなかろうか。
隣で、ギリギリと拳を握り込む椿の雰囲気が怖い。
「……二度とあの様な口をきけぬようにしてきましょうか?」
「だめだよ、落ち着けって」
「そうだぞ、椿。やるなら、命を奪う寸前まで痛めつけて、二度と再起できないところまで追い込むべきだ」
「いや、違うって! 気にしてないから手出しすんなって言ってんのっ!」
慌てて声を上げてから、自分の声が大きすぎたことに気づいて、奏太はパッと口元を両手で覆う。
周囲の視線が一瞬集まり再びそれぞれが動き出すのを横目に、亘は眉を上げた。
「あのような連中に舐められても、良いことなどありませんよ」
「だからって、暴力で解決しても良いことなんてないんだよ」
「こちらの気持ちがスッキリしますが」
「罪悪感で俺の胃が死ぬからやめてくれ」
たかが陰口で、再起不能に追い込むのは幾らなんでもやり過ぎだ。
「その程度で胃を痛めるとは、ひ弱であることは間違いありませんね」
「ああ、そうだよ。ひ弱で悪かったな。神経図太すぎるお前と一緒にすんな」
半ば投げやり気味に言ったあと、奏太はハアと息を吐いた。
「俺はこの教会の者じゃないし、そんなに頻繁に来るわけじゃない。迎えがくればすぐに帰るわけだし、気にするだけ疲れるだけだ」
「しかし、仮にも聖教会ですよ?」
「人妖への差別意識を無くすよう枢機卿に頑張ってもらうくらいは言ってもいいけど、今のところ実害はないんだ。放っておけよ」
奏太が言うと、亘と椿は、何か言いたげに視線を交わしあう。でも、このまま不毛な言い合いをしても仕方がない。二人が何も言わないので、奏太は早々に会話を打ち切った。




