54. 屋敷の結界の修復
「とりあえず、屋敷の結界を強固にしておくか」
奏太はギッと椅子を鳴らし立ち上がる。
「朱、破壊された場所は、日石で応急処置をしたって前に報告を聞いたけど、状態は?」
「奏太様が繕うようにはいきませんから、あくまで一時しのぎですね」
朱の言葉に奏太はコクンと頷いた。
「巽、燐。朱と屋敷の結界の状態を見てくるから、休んでていいよ。情報共有、お疲れ」
「貴方様が動かれているのに、休んでいるわけには参りません。私も同行いたします」
いつの間にか立ち上がっていた燐鳳が、当然のように奏太の背後に控える。
「……お前まで来たら、護衛の数が足りなくなるだろ。結界があるとは言え、一度は破られた場所だし、警戒しないと」
「ならば、貴方の護衛も、朱殿御一人では足りません」
「朱は大丈夫だよ。先代の神から直接受けた力は伊達じゃないから」
奏太が言えば、燐鳳は一瞬不満げな顔をしてから、ニコリと笑った。
「いずれにせよ、護衛は多ければ多いほど良いでしょう」
燐鳳は、畳んだ扇をテーブルに、タン、タンッ! と二度叩きつける。すると、すぐにガチャリと扉が開き、縁の顔が覗いた。
「お呼びでしょうか」
「商会にいる者の中から、腕利きの者を上から五名ほど急ぎ用意せよ。主上が外にお出になる」
「承知いたしました。ただちに」
縁はそれだけ告げると、音もなく扉の向こうへ消えていった。
人界への帰還時から、燐鳳の後ろで所在なげにしているのは知っていたが……まさか、本当に小間使いのように扱われているのだろうか。
「……うわぁ~……縁さん、かわいそうに……」
巽も同じことを思ったのか、奏太の背後で怯えたような声を漏らした。それが燐鳳に聞こえたのか、鋭い視線が飛んでくる。巽はやっぱり、一言多い。
「にしても、五名も必要か?」
「私の護衛も必要だと仰ったのは奏太様ではありませんか」
「それはそうだけど……」
何というか、これまでの鬼界生活に比べて、明らかに締め付けが厳しくなった気がする。雁字搦めにされそうな予感に、奏太は密かにため息をついた。
武官たちが集まると、異変を察したのか、その中に亘も混じっていた。
「……休んでろって言ったのに」
「外に出る時には、私か椿を呼んでくださいと、常々お伝えしていたはずですが」
「朱もいるし、結界の内側だぞ」
「約束は約束です」
亘は、全く譲る気配はない。
結局、朱、亘、燐鳳、武官五名、ついでに巽と、燐鳳の小間使いとなった縁も連れて、ゾロゾロと結界が破壊された場所に向かうことになった。
そこは、以前に鬼の子が結界に触れてしまい、椿に手当てをさせた場所。
「その鬼の子が、奴隷商の偵察だったんです。どうか、御自分から鬼に関わるような真似はおやめください、奏太様」
巽に、眉尻を下げてそう懇願された。
結界の破壊された部分は、応急処置と聞いていたように、触れてみると周囲よりも気の力が弱く感じられる。
「ちょっと、強めに補強しておこうか」
「奏太様」
「大丈夫だよ、亘。使うのは、基本的に陽の気の方だから」
奏太は結界に触れながら、少しずつ、屋敷全体を包む陽の気に馴染ませるように自分の力を注いでいく。あの事件で失った力は、完全ではないにしろ、陽の神の助けを借りずとも扱える程度には回復していた。
(……とはいえ、闇の女神が関わってるなら、対抗できる力で、強固にここを覆っておいた方がいいんだよな)
『全てを壊す』。そう宣告した闇の女神にとって、この商会は最も狙いやすい場所。
闇の女神は、厳密には神ではない。上位の神々に力を奪われた元神だ。真なる神の力で守りさえすれば、いかなる闇の力をもってしても、そう容易くは破れないはずだ。
奏太は、白い陽の気に、金の力をほんの僅かに混ぜた。完璧に混ぜることはできない。それをすれば、いつ自分が自分でなくなるかわからないから。
手加減しながら、少しずつ、慎重に。
奏太は、確かに細心の注意を払っていたはずだった。
しかし、金の力を注ぐにつれ、周囲の音が遠のき、意識が自分の内側、そして掌から溢れ出す金の光へと吸い込まれていくような、奇妙な感覚に呑まれ始めた。
無に囚われていくような静寂。皮膚を撫でていた風の感触もなくなり、視界すら金に覆われる。頭の中に、奏太の知らない世界の風景が掠め――
不意に、肩を強く掴まれた。
その衝撃で、意識が急激に現実へと引き戻される。足元がふらつき、崩れ落ちそうになった身体を、強い力が支えた。
「――奏太様っ!!」
焦燥に満ちた亘の声が耳に響く。
「……あ……、え……?」
目の前にいる亘の瞳。そこに映る自分は金色の双眸をしている。それが、すうっと黒に戻っていくのが見えた。
「……俺、今……」
言いかけたところで、亘に思い切り引き寄せられて、そのままグッと痛いくらいに抱きしめられた。亘から、微かな震えが伝わってくる。
「……俺、どうなってた?」
亘の肩越しに周囲を見渡すと、巽が青ざめた顔で声を震わせた。
「結界に金が混じり始めて……わ、亘さんと燐鳳殿がすぐに止めに入ったんですけど、反応が……なくて……奏太様の瞳が金に染まっていって……御身体からも、金の……」
「あの方との同化が、始まりかけていた、ということです。我が君」
朱が冷静に、けれど憐れむような響きを込めて告げた。
『あの方』――つまり、先代秩序の神との同化……
奏太は、亘に支えられたまま、自分の手のひらを見下ろす。
事件の後遺症か、あるいは、玄に無理やり神の力を引き出された影響かはわからない。でも、朱に言われるまでもない。意識が、秩序の神という巨大な存在に呑み込まれかけていた。あのまま誰にも止められなければ、きっと自分は――
「……ごめん……亘。約束、ふいにするところだった……」
出来るだけ長く日向奏太でいる、という約束。奏太にとって、亘達の次に大事なもののはずなのに。
「奏太様、金の御力をお使いになるのは、金輪際、おやめください」
燐鳳の声は硬い。表情こそ冷静を装っているが、握りしめた拳が白くなるほど震えていた。
「……気をつける……ごめん……」
奏太は弱々しく答え、朱に視線を向けた。
「朱、今後の力の使い方について、部屋に戻って、ちょっと相談したい」
「ええ。承知しました」
見上げれば、白にキラキラとした金の粒子の混じる結界が、屋敷の周囲に一切の隙間なく張り巡らされていた。




