51. 蜻蛉商会の出迎え
人界との結界を越えると、奏太はそのまま、その辺りに鬼界との結界に穴を開けて帰ろうとした。
いちいち妖界、鬼界双方に通達を出し行政処理をして結界の通行許可を得るのが面倒だったから。
関所を越えてすぐに鬼界との間に穴を開け、奏太は燐鳳と別れを告げる為に振り返る。
しかし、燐鳳から不穏な笑みを向けられた。
「……え、何?」
「私も共に鬼界へ参ります」
奏太はぽかんと口を開けた。
「……いやいや、仕事は?」
「奏太様と共に人界へ行くと決めた時に、ある程度整理してきましたから、御心配なく。阡がうまくやるでしょう」
燐鳳の笑みが深まる。
「……うまくやるって……それに雉里の家は?」
「家など、それこそ私が居らずとも回ります。叔父もいますから」
生真面目な部下に仕事を丸投げし、老年の叔父に家を任せると平然と言い放っているが、大丈夫なわけがない。
「いや、幻妖宮に戻りなよ」
「陛下がお戻りになるのなら、戻りましょう」
「俺は、鬼界でやんなきゃならないことがあるから……」
奏太が言ったところで、燐鳳の表情がストンと抜け、突然、整った無表情の人形のような顔になった。今まであまり向けられたことのない、感情を一切感じさせない瞳。その温度のなさに、背筋が寒くなる。
「鬼界で、どのような目に遭ったか、もうお忘れで?」
「……り、燐……?」
「全身傷だらけで帰って来た貴方を目の当たりにし、目も手も届かぬところで、貴方を失いかけたと後から知らされた私の気持ちが、お分かりで?」
「え……ええと……それはその……悪かったと……」
いつもの調子で謝りかけると、
「奏太様」
と、鋭く肌を突き刺すような冷たい声音に遮られた。
「はい」
奏太の背がピッと伸びる。
その様子を見た燐鳳は、フーっと長い息を吐き出して、少しだけ目を伏せた。
「私は、謝っていただきたいわけではありません」
「……はい」
「本来ならば、鬼界になど、 二度とお戻りいただきたくないのです。けれど、お止めしたところで、貴方はすぐに戻ってしまうでしょう」
この前、妖界に来た時に、燐鳳から逃げ出して鬼界に帰ったばかりだ。奏太に反論できるわけがない。
僅かに視線を逸らすと、燐鳳の声に暗い響きが混じった。
「私は、貴方を失いたくありません。二度とお戻りにならないかもしれぬ貴方を、妖界で待ち続けるなど、これ以上、耐えられる気がしません」
「そ、そんな深刻にならなくても……ちゃんと戻って来るよ。……そのうち……」
「そのうち、とは? もしも万が一、その間に貴方に何かがあれば、私はどうすれば良いのでしょう?」
「……え、ええと……」
奏太の体の状態を知るせいか、燐鳳の焦りが以前よりも増している様な気がした。
言い淀む奏太に、燐鳳は更に表情を曇らせる。
「……私は、奏太様にとって、不要な存在なのでしょうか……?」
「え、えぇっ!?」
思わぬことを言われ、奏太は目を見開いた。
「ち、違うって! そういう意味じゃなくて……っ!」
「けれど、私を御側に置くことを、これ程お厭いに……」
「そ、そうじゃないよ、嫌とかじゃなくて……ただ、燐には燐のやることが……」
「やはり、私はお邪魔なのですね」
「だから、違うからっ!」
燐鳳をなだめるように、奏太はワタワタと否定する。けれど、燐鳳の表情は沈むばかり。今まで、こんな風に感情を露わにされたことがなかったせいで、どうすれば良いかがわからない。
「……ですが……」
「わ、わかった、わかったよ! 鬼界に一緒に来ればいいよ!」
「私も、貴方の御側にいさせていただけるのですか……?」
悲痛さの滲む声に、奏太はコクコクと頷く。
「も、もちろんだよっ!」
もはや、断る口実を見つけることなどできなかった。
こうして、燐鳳の鬼界同行がなし崩し的に決定したのだった。
「――ふむ、この方が、奏太様に意見を聞き入れていただきやすいのだな……」
サッと広げた扇子で口元を隠し、燐鳳は瞳の奥だけで冷徹に笑う。
ポツリと呟く燐鳳の声は、奏太はおろか、その本音を拾ってしまい驚愕の表情を浮かべた巽以外の耳には届かなかった。
――鬼界、蜻蛉商会。
屋敷に帰ってくると、今まで商会で仕事をしていた武官達と、妖界からの知らせを受けて駆けつけたらしい、朱、白、玄達、先代眷属の顔に出迎えられた。
「お元気そうで、何よりです、奏太様」
「うん。鬼界の方を、ありがとう」
微笑む朱と、そう言葉を交わす。
一方で、迎えてくれた武官達の視線は、奏太を通り越して、その後ろに縫い付けられていた。
何故か。
帰還した一行の中に、燐鳳が混じっているからだ。武官達は驚愕の表情で燐鳳を見て立ち尽くす。
「主上のお帰りに、何をぼうっと突っ立っている?」
周囲の温度を引き下げるような声音に、武官達は慌てたように膝をついた。
商会内では、奏太に対しても仰々しくする必要はないと言い聞かせて楽にさせて来たところへ、突然の四貴族家当主の来訪だ。
さすがに気の毒だったかもしれない。
「全員、今まで通りでいいよ。燐、ここにいる間は、仰々しくしなくていいって、俺が言ったんだ。ここではその通りにさせて。あと、巽、後で武官達に説明、よろしく」
「……郷に入っては郷に従え、と?」
「まあ、そういうこと」
奏太の言葉に、燐鳳は何も言わずに優雅に微笑んだ。
ただし、奏太が目を離した一瞬の隙。その目は『覚えておけよ』と武官たちを無言で威圧する。それに、巽は引き攣った笑みを浮かべた。
奏太は、共にやって来た者達を振り返る。
「せっかく白達が居るなら、護衛は大丈夫だから、亘達は休んで来なよ。いろいろあって、疲れただろ」
「……私は大丈夫です」
不満気な顔を浮かべる亘に、奏太は呆れた目を向けた。
「休むのも仕事のうちって言うだろ。どうせ、朱達が居なくなったら、余計に休んだりしないんだから、今のうちに休んで来いって」
「そうですよ、亘さん。怖い顔でずっと側にいられたら、奏太様も疲れちゃいますし、一回、外しましょう」
巽もコクコクと頷く。
先代の眷属達が奏太に引き継がれて来て以降、朱達が亘達の代わりに護衛につくことも少なくなかった。
どうしても亘達でなければならない用事がある時や、今回の時のように休息が必要な時など。三百年も共に眷属をやっていれば、信頼も生まれる。
亘はジロッと軽く巽を睨んだあと、渋々といった様子でハアと息を吐いた。
「……わかりました」
それから、奏太は巽に目を向ける。巽には武官達への説明以外にも、休憩前にやっておいてもらいたいことがある。
「悪いんだけど、巽は、朱と情報共有もよろしく。あと、武官を使っていいから、燐の部屋とか必要なものの手配も」
そう言えば、巽は唖然とした顔で奏太を見た。奏太はそれに、小さく笑う。
「汐も、巽のこと、手伝ってやって」
「……仕方がありませんね」
汐はハアと息を吐いた。
当の燐鳳はそれらを眺めながら、ニコリと笑う。
「私は、奏太様の御側に……」
「お前こそ、巽の手伝いだよ。あぁ、妖界の武官たちを虐めるのは禁止な」
奏太の言葉に、燐鳳は巽と、周囲の武官達をまとめて睨む。全員が揃いも揃って、サアっと青白い顔になった。
「……ごめん、前言撤回。亘と椿も、巽を手伝ってやって。代わりに巽は、燐の見張りも頼むよ」
巽は今度こそ、絶望した顔になった。
ある程度話が落ち着くと、玄が一歩前に進み出てきてニコリと笑む。
「我が君、後ほど、二人でお話する時間を賜りたく」
突き刺すような燐鳳の視線が玄に向いたが、玄本人はお構いなしだ。怯えるのは周囲の武官たちばかり。
やはり、燐鳳を鬼界に連れてきたのは間違いだったかもしれない。
奏太は深く息を吐き出した。




