50. 人界からの帰還:第一部エピローグ
眷属達との話が終わると、奏太はさっさと帰還を決めた。これ以上は、あまり人界に長居すべきじゃないと思ったからだ。
ひとまず土地神のところへ行き、頭を下げて前言撤回を申し出ると、土地神はフンと鼻を鳴らした。
「そんなことだろうと思ったわ。汝は相変わらず、見通しが甘い」
そう、苦言を呈された。怒っているというよりも、呆れに近い言い方だ。
「勝手に消えてくれるなよ、奏太」
土地神はそれだけ言い残すと、祭壇の向こうにすうっと消えていった。
土地神の一件が済むと、暇を告げに当主に挨拶に向かう。
当主には、頭を床に擦り付けんばかりの勢いで平伏された。土気色の顔で、目も合わせられないくらいに震えている。
「……何したんだよ……本当に……」
燐鳳を見ても微笑むだけだし、巽は胃を押さえてブルブルと首を横に振るばかりで何も言わない。
奏太はハアと息を吐き出した。
奏太のせいで酷い目に遭わされたであろう、この憐れな被害者に、救済の一つくらい、あっても良いだろう。
「ごめん、当主。当主にも守護を与えるから、今後、理不尽な目にあったら、それで自分の身を――」
そう言いながら、手を伸ばし、無造作に指先に金の力を集めようとした。その瞬間。
ガシッ!!!
左右から同時に思い切り、腕と手首を掴まれた。
「……奏太様」
地を這うような、亘の低く厳しい声音。
指には強い力が込められ、奏太の腕をギチギチと締め上げる。
手首の方は、燐鳳の長く細い指が絡みキツく握りしめられていた。一体、これほどの力がどこにあったのかと思うくらいに。
「……え、なに? 二人とも……」
「奏太様、今、何をなさろうと?」
燐鳳が、凍りつくような笑顔で問う。
「何って……」
戸惑いつつ、巽や椿、汐の方を見ると、三人ともが、小さく首を横に振った。その目が、『やめてくれ』と、懇願するように揺れている。
「貴方が御自分を削ることで、これ以上貴方に何かがあれば、私はこの者共を赦せないかもしれません」
燐鳳のその言葉に、当主はビクッと肩を震わせた。
「か、神の御力を賜るなど、恐れ多いことでございます……お、お気持ちだけで、十分ですから……どうか、これ以上は、ご勘弁を……」
哀れになるくらいの怯えっぷり。
それに、奏太は力なく手を下ろした。
(……本当に、何もせずにさっさと帰った方が良さそうだ)
左右から挟み込む、痛いほどの束縛。
けれど不思議と、その重みが不快ではなかった。
むしろ、まるで自分をこの世に繋ぎ止める、確かな熱のようにすら感じられた。
妖界との関所前。
「奏太様!」
「奏太様!」
タタタっと名を呼び追いかけてくる声があった。
見れば、晦と朔が、灰色の大型犬の姿でドシドシ駆け寄ってくる。
グルルッ……
と低く燐鳳を警戒しながら、遠回り気味に奏太の側までくると、二人は、ワフワフ言いながら、奏太の周りをくるくるまわった。
「奏太様、もう、帰ってしまわれるのですか?」
「里にお越しになるのを楽しみにしていたのですよ」
「もう少しゆっくりなさっては?」
「皆、お会いできるのを心待ちにしていましたよ」
仔犬だった頃と、何も変わらない、二人の様子。それに、なんだか、胸がじんわりと温かくなる。
二人を追いかけるように、黄色に輝く蝶もヒラヒラとやってきて、戯れるように汐の周囲を舞う。
「元気でね、汐」
「貴方もね、栞」
その様子は、もう見られないと思っていた、あの頃と同じ光景。
あの頃とは違う。けれど、あの頃の温かさは、形を変えて、まだ、確かにここに残っている。
奏太は晦と朔の前に膝をつくと、ふわふわの大きな体をギュッと抱きしめた。
「元気なお前達に会えて、良かったよ」
ただただ、愛おしくて、胸が締め付けられる。
「奏太様?」
「どうなさったのです?」
「また、亘や巽が何かしたのですか?」
「我らも強くなりましたし、制裁を加えましょうか?」
心配気に鼻を寄せる二人の毛並みに顔を埋め、奏太は小さく首を横に振った。
「大丈夫。また、会いに来るよ。必ず」
顔を上げると、亘が、巽が、汐が、椿が、そして燐鳳が、じっと自分を待っているのが見える。
――うん。帰ろう。
あいつらが待つ、あの場所へ。
「さあ、行こうか」
奏太は小さく、そう言った。
「…………あの、燐鳳殿……どうか、そんな目であの二人を見ないでやってください……」
どこか気の毒そうな響きを帯びた巽の声が聞こえたのは、それからすぐのことだった。




