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蜻蛉商会のヒトガミ様 ~あやかし商会の死にたがりな神様は、過保護な最強従者たちに溺愛され、今日も鳥籠の中から出ることを許されません~  作者: 御崎菟翔
第一部

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48. 柊士の護衛役

 気づけば日暮れ。日向本家に戻ると、パタパタと燐鳳が待ち侘びたとばかりに駆け寄ってきた。


「遅かったではありませんか」

「そんなに心配しなくても、大丈夫だよ」


 昔であれば、子どもが帰るチャイムが鳴るくらいの時間。小学生の親だって、こんな風に心配はしない。


 その後ろから、日向当主が頭を下げた。


「歓迎の宴の準備をしております。お部屋で御準備が整いましたら、お声がけください」


 そう言われ、奏太は昼間の少年の言葉を思い出した。


「いや、宴はいい。日向の者達だけで過ごして。食事は不要だから。ある程度片付いたら、眷属達を里に案内してくれたらいいから」

「……しかし……」

 

 当主がそう言いかけると、廊下の向こうに、先ほどの少年の姿が見えた。あちらも奏太達に気づいたようで、こちらに足を向けながら眉を顰めた。


「まだ居たんだ? そろそろ、帰ったら?」


 少年が言うと、当主は一気に青ざめる。更に、燐鳳や妖界の武官達との間の空気がピンと張り詰めた。


「な、何という不敬を!! 愚息が申し訳ございません!!」


 当主は少年に駆け寄ると、乱暴に少年の頭に手を当て、奏太に向かって深く下げさせる。


「何すんだよ!? 母さんだって、姉ちゃんの弔いに時間を使えたらって……」


 その言葉に、当主が息を呑んだのがわかった。


「も、申し訳ございません!!」


 その姿に、ズキッと胸が痛んだ。奏太は目元に手を当てる。


「……ごめん、当主。用を済ませたら、すぐに帰る」

「奏太様」


 燐鳳が気遣わしげな声を出す。それから、射殺さんばかりの視線を親子に向けた。

 

 奏太はその袖をグイッと引く。


「やめろ、燐。あっちの都合を考えなかったこっちが悪い」

「しかし、貴方の御心をこのように煩わせるなど」

「いいから」


 奏太は、燐鳳の袖を掴んだまま、自分を落ち着かせるように深く息を吐き出した。

 

「食事の後とか言ってられないな。栞と淕を呼んでもらえる? 話たいことがある。亘、汐、巽、椿は、このまま里へ……」


 そう言った時だった。わけも分からず頭を下げさせられた少年が、不満と疑念に満ちた声をあげた。

 

「は、淕? 一年も前に死んだけど、客人は、そんなことも知らないのか?」


 時が止まったような気がした。

 

「……は? 何を……言ってる……?」

「奏太様、場所を変えましょう。このようなところで……」


 汐が、奏太の顔を覗き込む。その顔に驚きはない。それは全てを知っていて、奏太をなだめようとするもの。


「……知って、たのか?」


 奏太が言うと、汐は口を噤む。周囲を見回せば、同じ顔をした、亘、巽、椿の顔が目に入った。


「……お前らも……?」


 足元が、揺れる。


「巽、栞を呼んで!」

「わ、わかった!」

 

 汐が鋭い声をあげ、巽が蜻蛉の姿に変わる。


 耳の中で、鼓動の音が大きく聞こえる。心臓が強く胸を打ちつける。


「……なんで……なんで、言わなかった……?」

「奏太様、どうか、落ち着いて聞いて下さい」


 亘が崩れそうになる奏太の身体を支える。汐が祈るような顔で奏太の手を握り、その目を覗きこんだ。


 そこへ、少年の冷たい嘲りが届く。

 

「淕が死んだことを一年も知らなかったくせに、今更なんだよ?」

「黙って!!」


 汐が余裕をなくした叫び声をあげた。


「奏太様、聞いてください。柊士様との繋がりが切れていくことで、貴方の御心に傷を負わせるやもしれぬと……自然と受け入れていただけるまで、お伝えするなと、淕の遺言があったのです」


 汐の小さな手は、必死に奏太の手を握りしめる。


「……はっ……遺言……?」


 『遺言』その言葉に、淕の死の現実味が増していく。

 

 淕は、その言葉の通り、遠い昔に亡くした従兄との細い繋がりだった。あの頃を知っていて、いつも無茶をする奏太を怒鳴る従兄の隣に常にいた、柊士の忠実な護衛役。

 

 時に柊士と同じ呆れた顔で見られ、時に『あの方の御心もお考えください』と諭された。常に柊士の側にいて、柊士と共に奏太を見ていたのが淕だった。


「淕は、貴方の御心を一番に考え、あのような遺言を残したのです」

「……俺を……思って? あの、淕が……?」


 柊士第一主義。柊士の意を汲み、どんな時も、柊士の為の影だった、あの淕が? だとしたら、その考えを抱かせたのは――


「貴方の御心を守り導くことが、柊士様のお望みであったから、と。ですから――」


 それ以上、汐の声は頭に入ってこなかった。

 

 三百年、ぎりぎりで繋ぎ止めていた糸が、音もなくプツリと切れた気がした。足元の地面が消失し、暗い底へ真っ逆さまに落ちていくような感覚がする。


 ポロッと涙が目から溢れ落ちた。


『忘れるな。誰が何と言おうと、ここはお前の故郷だ。必ず、お前を知っている者が、お前の帰りを待っていられるようにする。だから、自分からここを切り離すな。たとえ、どれ程の時間が経ったとしても、変わらずここは、お前の居場所であり続ける。そうなるように、ちゃんと、繋いでいくつもりだ。だから、いつでも、安心して帰ってこい』

 

 生前の、柊士の言葉が蘇る。

 

 喉が熱い。胸が、引き裂かれるように痛い。


 三百年間変わらない、柊士の代弁者。それが、淕だった。


 奏太は堪らず、爪が皮膚に食い込むほどに強く拳を握りしめて、俯いた。


(……もう、無理だ……)


 人であった日向奏太を繋ぐものが、またちぎれた。最初は太い綱のようだったそれは、もう、数本の細い細い紐しか残っていない。それも、この手で数えられるほどしか。


「……もう……無理だよ、柊ちゃん……」


 感情が擦り切れて、頭が働かない。ただ、押し寄せる痛みに耐えるだけ。


「…………俺は……何で、まだ、生きてる?」

「奏太様」


 咎めるでも、慰めるでもない、懇願するような汐の声。それに、応えてやる気にもならない。


「……俺は、神になんてなりたくなかった。俺は、ただ、日向奏太でいたかっただけなんだ。日向奏太として、生きて、死にたかっただけなんだ」

「奏太様!」


 汐が、小さな手で奏太の腕を強く掴む。


「日向奏太として……ただの人として。柊ちゃんや、ハクや、瑠里(るり)や、悠真(ゆうま)や、その子孫達みたいに……ただ、普通の人間として……」


 ただ、それだけのこと。

 それなのに、普通であるはずの……本来そうであったはずのものが、奏太の前から忽然と消え失せた。そして、秩序の神という、名前と力だけが残った。望んでなんて、いないのに。


「なくすのは……もう、嫌だ。置いていかれるのは、もう、嫌だ。俺が、俺である意味が……なくなっていくことに耐えられない。俺は、本当は、秩序の神なんかじゃない。ただ…………ただの…………人間……なのに……」


 足元が崩れる。立っていられない。

 

 抵抗するのも疲れた。

 自分は人間だと、必死に縋り付くのも疲れてしまった。


 手のひらから、サラサラと砂粒が落ちていくように、今まで大事にしていた全てが無意味に指の隙間をすり抜けていくような感覚がする。


 奏太の瞳の中に、金が揺れる。

 

「――奏太様……奏太様!」


 不意に、淕の声と共によく聞いていた声に呼びかけられて、奏太はフッと顔を上げた。


「……栞?」


 巽が呼んで来たのだろうか。近くに荒い息を吐く姿が見えた。

 

「奏太様、これを。きっと、柊士様が危惧され御準備なさったのは、この時の為でしょうから」


 栞から柊士の名を聞くと、胸がこれまで以上に締め付けられて痛む。視線を床に下げると、グイッと手首を掴まれ引かれた。


「もしも、貴方が、誰かを亡くし続けることに耐えきれず、心を壊すようなことがあれば、これをお渡しするようにと、柊士様が」


 差し出された両手の上にあったのは、円柱状のガラス。更にその中には、正多面体のガラスが二つ繋がった物が入っている。見たこともない、不思議な形の物。

 正多面体の中には更に、白い陽の気がキラキラと光り揺れている。


「中にあるのは、柊士様が込めた陽の気です。ここに貴方の陽の気を注げば、柊士様のお声が聞こえるそうです」

「……柊ちゃんの……?」


 栞は、真っ直ぐに奏太を見つめ、頷く。

 

 思いもしなかったことを言われ、戸惑いと共に、揺らめいていた冷たい金の光が、瞳にたまった涙に溶けるように温かみのある黒色へと戻っていく。


 まさか、そんな事があるのだろうか。

 ずっと聞きたかった従兄の声を、本当に聞けるのだろうか。


「柊士様が、貴方の為に作らせた呪物です」


 栞は悲痛に眉を震わせながら、奏太に微笑みを向ける。

 震える手で、奏太はその呪物に手をかざした。


 万が一にも壊さないようにゆっくり、少量ずつ、ガラスの中で揺れる柊士の陽の気と、同じ色の力を注いでいく。


 ザザっという無機質な雑音が響く。それが少しずつ消えていくと、ノイズの向こうから、澄んだ声――ずっと昔に聞いた、懐かしくて泣きたくなるほど温かい、そして、ずっと求め続けた声が聞こえてきた。

 

「――奏太、いつかお前がつまずいて、誰の手を借りても前に進めなくなった時のために、淕と栞に託した。けど、お前がこれを聞く日が来ないことを願ってるよ」


 口調も、声音も、柊士、そのもの。


「……あ……あぁ……」


 思わず、声が漏れた。


 ただ、『奏太』と。

 何者でもない自分に、そう、呼びかけられることを、どれ程、渇望していたか。


 まるで目の前に居るような、クリアな声。あの頃、奏太を諭すように、真っ直ぐに見つめられた、あの目を思い出す。


「俺たちがお前と共に生きた時間は、きっと、何百年、何千年と生きることになるお前にとっては、ほんの一瞬のことになっていくだろう」


 柊士の言う通り。たった三百年でも、それは嫌と言うほどに身に沁みた。


「けどな、そのたった一瞬であったとしても、お前の未来が幸せである事を願った者が居るという事実は残り続ける。お前が出会い、お前の今後を憂い、幸せを願い死んでいった者達は、どれほどいた? それほどの顔を思い出せる?」


 たくさん、あった。

 

『残していくのが不安だ』と、『何時までも希望を失うな』と、『どうか幸せであれ』と、皆が皆、奏太に言葉を残して逝った。


「お前のことだ。忘れたわけじゃないだろう? その願いと事実は、お前の側に残り続ける。お前の側に、その一つ一つは積み上がっていっているはずだ。多くの願いが、お前に託されてるんだよ。お前が、これから先の未来でも、どうか幸せに生き続けていけますように、と。俺と、白月も、だ」


 胸が酷く軋む。

 全部、覚えてる。両親も、友だちも、日向の者たちも、妖界の者たちも。皆……


 不意に、栞がもう一つ、何かを差し出した。

 手のひらの上にあったのは、奏太が持っている、従兄姉達の御守によく似た物。

 紺の布に、白の糸を手で縫い付けた、『御守』の文字。


「もう一つ。お守りを遺す。白月が作ったものに、俺が陽の気を込めた。前に渡したものは戒めだった。けど、これは純粋なお守りだ。お前と生きた者たちの願いが、いつまでも、これとともにあるように。お前と共に生きた多くの者の願いが、これに積み上がり生き続けるように。奏太、周りを見ろ。きっと、今も、お前の周りにいるはずだ。これを見て、思い出せ」


 奏太は、ようやく顔を上げ、不安そうな顔で自分を取り囲む者たちを見回した。


「奏太、どうか、幸せであれ。いつまでも。俺は、ずっと願ってるよ。たとえ俺が死んでも、だぞ」


 堪えることもできずに、ボロボロと涙が溢れ落ちる。


 心臓を鷲掴みされたような感覚。服の袖を目元に押し当てる。服が冷たくなり、漏れそうになる嗚咽を何とか堪え、声を殺し、それでも、涙は止まらなかった。


 気づけば、駆け寄ってきた、巽、椿も奏太のすぐ側にいて、いつもの四人が、奏太の肩を抱き、腕に手を置き、背をさすり、不安気に顔をのぞき込んでいた。


 あの頃、柊士がいた頃から変わらず、奏太を支えてきてくれた者たち。

 

 『幸せであれ』

 

 それを、奏太の側で、ずっと行動で示し、叱咤し、励ましてくれてきた者達。奏太にとって、何よりも大事な――


「……ごめ…………ごめん…………皆…………ごめん…………置き……去りにしようとして……ごめん…………一人で居なくなろうとして…………ごめん…………このまま……消え失せた方が……楽になれるかもって…………勝手に……諦……らめて……ごめ……」


 ただ、繰り返し、自分の中で必死に蓋をし続け、無理やり自分を立たせていた仮面を割って、弱さを吐き出し、奏太は崩折れたまま謝り続けた。



 柊士の声が込められた呪物と御守を大事に握りしめ、子どものような顔で眠る主に毛布をかけ直しながら、汐は自嘲気味に微笑む。

 

「……結局は、柊士様なのね。私達が何百回言葉を尽くすよりも」

 

 悔しさと、それ以上の安堵を滲ませて、汐は呟いた。

 亘もまた、深い息を吐く。


「まさか、200年以上経ってまで、柊士様に救われる日が来るとはな」


 奏太は今まで、柊士を何よりも大事にし、縋ってきた。その繋がりを、何よりも。そして、柊士の為にその身を犠牲にしてきたのも見てきた。それは柊士もそうだったのだが、それ以上に、主のあの方に向ける思いが大きすぎた。

 

 亘は、奏太が柊士の為に、そのうち消えるのではと気が気でなかった。そして、それが何より気に入らなかった。

 

 実際、柊士を失った時の崩れ方は見ていられないほどだった。そして、その護衛であった淕の喪失がとどめになった。


 縋る場所が違っていれば。自分達がその代わりになれていれば、そう思わずにはいられない。


「……もっと、強い支えであらねば」

 

 ぽつりと漏らした言葉は、誰に向けたものでもない。

 亘は眠る主の頬に残る涙の跡を指で拭った。

 

 二百年以上経っても、あの方には敵わない。だが、今この瞬間、主の涙を拭えるのは、過去の亡霊ではなく、生きてここにいる自分たちだけ。

 

 その事実だけを、今は噛み締めることにした。

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