45. 久々の帰郷
人界と妖界を繋ぐ関所がある建物内を進む間、巽がコソッと奏太に耳打ちをした。
「あの、奏太様、本当に燐鳳殿も一緒に……?」
「せっかく帰るんだし、お前らだって、里に帰りたいだろ? だから、武官を貸してくれって言ったら、自分も行くって聞かなくてさ……」
チラッと燐鳳を振り返ると、不機嫌そうな顔が瞬く間に綺麗な笑顔に変わり、あまりの変貌に背筋がゾッとした。
「っていうか、あいつ、ずっと機嫌が悪いんだけど……」
「聞かないでください。いろいろあったんです」
巽もまた燐鳳の方を振り返り、ブルっと背筋を震わせた。
「奏太様、何か、内密なお話でしょうか?」
冷たい声音が背筋を撫ぜる。
「い、いいえ……とんでもない」
奏太は、ハハっとから笑いをしながら視線をそらし、ドッと巽の脇腹を肘で突いた。
巽が脇腹を押さえるのを横目に苦笑していると、亘から低い声が聞こえてくる。
「私は里には帰りませんよ。貴方のお側にいるつもりです」
けれど、亘達を里に帰すのは奏太の中では決定事項だ。そうでないと困る。
「武官達を借りるために燐とやりあった意味が無くなるだろ。帰郷は主命令だよ。一日でいいから、里に帰って皆に顔を見せてこい」
「奏太様」
納得のいかなそうな亘にピタリと足を止め、奏太はトンと亘の胸のあたりを指で強く突く。
「命令だって言ってるだろ、亘」
もう一度、今度は厳しい声音で繰り返すと、亘はグッと奥歯を噛んだ。
「……承知、いたしました」
「では、交代で護衛を?」
亘と奏太の様子を気にしながら、椿が問う。それに奏太は首を横に振った。
「四人で帰ってきなよ。その方が、きっと皆喜ぶ」
「奏太様も、一緒に里へ行った方がいいのでは?」
巽は首を傾げたが、それも却下だ。大事な話をしたいのに、四人がいると都合が悪い。
「俺が行くと、仰々しくなるだろ。せっかくの帰郷なんだから、以前と同じように行ってくればいいよ。俺も、時間ができたら行くから」
奏太はあらかじめ用意していた言い訳を、さも当然のような顔で述べる。
「……奏太様、我らを里に追いやって、一体、何をなさるおつもりですか?」
少女の姿で着いてきた汐が眉根を寄せた。相変わらず、鋭い。
「何をって、俺も本家で羽根を伸ばすんだよ。ゴロゴロしてるから、こっちのことはあんまり気にしないで」
奏太はヘラっと笑ってみせる。しかし、汐は疑いの目を細めた。
「燐鳳殿がいるのに、ですか?」
奏太は、何でもない風を装って、肩を竦めた。
「こればっかりは、誤算だったんだよ。……今からでも帰らないか? 燐」
振り返ってそう言ってみたけど、燐鳳の笑みが深まっただけで、何の返答も戻って来なかった。
奏太は、疑惑の目を向けたままの汐と、命令に無理やり従わされて不満いっぱいの亘、一連のやり取りを受けて言いたいことを飲み込んだような顔の巽、ギスギスした雰囲気を気にした風な椿に背を向け、逃げるように踵を返して先に進んだ。
妖界と人界の間の関所は、三百年前に先帝白月によって、日向家本家の一室につながるように開かれた。奏太がまだ人だった頃の話だ。
小さな扉を通って妖界から人界に抜けると、懐かしい景色が広がる。木造りの柱や壁は、建て替えられ真新しかったあの頃とは違い、長い年月をかけて丁寧に手入れされ磨き上げられ、黒ずんではいるがツルツルとした艶がある。装飾部の朱色は塗り直したのか、あの頃と同じ鮮やかさがあって少し周囲から浮いて見えた。
奏太はそれをそっと撫でる。
「お待ちしておりました。奏太様」
跪き頭を垂れたのは、透き通るような黄色の髪を持つ、着物姿の美しい女性だった。
「久しぶり、栞」
「ご無沙汰しております」
頭を上げて微笑む顔は、汐にそっくりだ。
「当主との挨拶が終わったら汐を返すから、姉妹でゆっくり話したらいいよ」
「恐れ入ります」
栞は、汐の姉。奏太のせいで時の止まった汐と違い、立派な大人に成長した、柊士の、元案内役だ。
奏太の言葉に、栞はニコリと笑って汐を見た。
「久しぶり、汐。会いたかったわ」
「私もよ。少し、話したいことがあったの」
汐の声音は少し硬い。それに、栞は僅かに眉を顰めた。しかし、すぐに表情をもとに戻す。
「このようなところで立ち話をしているわけにはいきませんね。ご案内いたします『守り手様』」
『守り手様』そう呼ばれるのも久々だ。けれど、そう呼んでくれる者も、随分と減ってしまった。
案内された大広間。上座に奏太の座る場所が用意され、大勢が頭を下げて奏太のことを待ち構えていた。
昔は、あちら側に奏太もいた。白月が来る時は、当主であった柊士の少し後ろで、妖界勢が来るのを待った。未だに、自分がこうして迎え入れられるのには慣れない。故郷に帰ってきたのに、お客様扱いされるのだから。
(ハクも、こんな気持ちだったんだろうな)
寂しい気持ちと後悔が混ざり合う。
「ようこそ、おいでくださいました。陛下」
先頭で頭を下げるのは、現日向家の女性当主。四十代半ばくらいだろうか。数度顔を合わせたことがあるが、それだけ。その後ろにいる守り手たちも同様だ。顔は見たことがあるけれど、深く会話をしたことはない。それに、皆、以前見た時よりも年を重ねて雰囲気が変わっていた。
その左右には、よく見知った顔が少し。奏太が人界で暮らしていた頃に接していた若き武官達。それが立派に成長して、当主や守り手の護衛をしている。
「晦が、当主の護衛役を?」
「はい。お元気そうで何よりです、奏太様」
「朔も、守り手の護衛役か」
「はい、数年前に、大役を仰せつかりました」
晦と朔の兄弟は、以前はもっと、血気盛んな仔犬のようだった。しかし、今は随分と落ち着いた。亘にからかわれて噛みついて戯れていたのが嘘みたいだ。
「亘達を里に1日帰すから、時間を見つけて手合わせでもしたらいいよ」
奏太が言うと、晦と朔は亘に目を向けて揃って嫌そうに表情を歪める。亘に目を向けると、面倒そうな顔で二人を見ていた。
その顔が、あの頃の関係性に重なって、奏太は心の奥でほっと息を吐く。
「当主。眷属達を、今夜から1日、里に帰したい。手配を頼めるかな」
「かしこまりました。この後のご予定は、いかがいたしましょうか」
「墓参りにいくよ。燐、本家に残って二三日滞在できるように、本家の者たちと整えておいてもらえる?」
奏太が言うと、燐鳳は能面のような顔で、亘、巽、椿、汐に視線を向けたあと、同じ顔で人界の者たちを見やる。人界の者たちの間にピリッとした緊張が走り、一気にその顔色が悪くなった。
「陛下、私も共に」
「ここは鬼界でも妖界でもない。お前は、太陽の下に出られないだろ」
妖鬼は、陽の気に弱い。故に、人界では日中、外に出ることすらできない。人界の妖達もそれは同じで、生活が昼夜逆転しているくらいだ。日の下に出られるのは、奏太の力を受けた奏太の眷属ばかり。
「亘達と行ってくるから、こっちを頼むよ」
奏太が言えば、燐鳳は今度こそはっきり、凍るような視線で亘達を睨みつけた。




