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蜻蛉商会のヒトガミ様 ~あやかし商会の死にたがりな神様は、過保護な最強従者たちに溺愛され、今日も鳥籠の中から出ることを許されません~  作者: 御崎菟翔
第一部

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43. 妖界での療養

 微睡みから、遠く誰かの声が聞こえて、奏太はフッと目を覚ました。

 

 見えるのは、柔らかく白い光の透ける天井。独特の装飾、周囲に張り巡らされた帳。冷たい金の鳥籠はなくなっていて、硬い床もない。


 常に肌を刺していた冷気はなく、代わりに上質な絹の感触が頬を撫でる。空気に満ちるのは、鼻をつく鉄錆のような血の臭いではなく、心を鎮める柔らかな白檀の香りだ。

 

 温かい布団の中、あれほど辛かった体の痛みは、すっかり消え失せていた。 


「…………ここは……妖界か……?」


 ぼそっと呟くと、帳の向こう側でハッと息を呑む声が聞こえた。

 すぐに、バサリと乱暴に帳が向こう側から開けられる。


「奏太様、お目覚めに……!」

「……燐?」


 首だけをそちらに動かせば、スッと側にしゃがみ不安と心配で瞳を揺らしながら自分を覗き込む顔が見えた。


「御気分は如何ですか? 痛みなどは……」

「……痛みは、ないよ」


 でも、頭がぼんやりとする。まるで、全部が悪い夢だったような。いや、もしかしたら、こちらの方が夢なのかもしれない。


「俺、いつ帰ってきたの?」

「つい先程です」

「……そっか……目が覚めたら、俺、また鳥籠に戻るのかな?」


 痛みと共に無理やり起こされ、身動ぎもできず、助けを呼ぼうにも大して声が出ない。格子の外に手を伸ばすこともできず、全てが終わるまで、ただただ痛みに耐える日々。

 

 亘達が助けに来てくれたのも、夢の一部だったのだろうか。あの商会長に起こされる前に、時折見ていた夢のように。

 

「戻るの、いやだなぁ……」


 奏太がポツリと呟くと、燐鳳が、悲痛な表情を浮かべた。


「はは、夢の中だと、燐もそんな顔をするんだ?」

「夢ではありません、奏太様」

「またまた。期待したのに、目が覚めて地獄を見るのは嫌なんだ」


 せめて、覚悟くらいはしておかないと、心が持たなくなる。決して助けの来ない苦痛の中で、絶望に目の前が真っ暗に染まってしまうから。


 すると燐鳳は眉根を寄せたまま、すっと奏太の方に手を伸ばした。そして、力が入らないままの奏太の手を取り、ギュッと握る。


「夢では、ありません」


 燐鳳は、もう一度、ゆっくりと繰り返した。


「ここは鬼界ではなく、妖界です。貴方は帰ってきたのです。もう、貴方を脅かす者はいません」

「……燐? でも……」


 奏太が言いかけると、燐鳳の手に、痛いくらいに強く力が入った。


「もう、大丈夫ですから」


 燐鳳に握られた手から、熱が伝わってくる。夢の中では、決して伝わって来なかった温もり。

 

「……本当に……妖界なの……?」


 声が震える。


「本当に……終ったの……?」


 奏太の問いに、燐鳳の表情が、更に辛そうに歪んだ。


「はい。貴方が、戻ってきてくださって、本当に良かった……」


 燐鳳の絞り出すような声。


 思わず、ツウっと自分の頬に温かい水滴が伝った。冷たく枕が濡れる感覚がして、ようやく奏太は、そこが現実だと悟った。


「……そっ……か……」


 安堵が胸に広がる。

 あの地獄のような日々。永遠に終わらないような気がしていたそれから、ようやく解放されたのかと。


 燐鳳は奏太の手を握ったまま、奏太の頬を伝った涙に手を伸ばす。しかし、すぐにピタリと動きを止めてギュッと握りしめたあと、懐にあった絹の布を取り出してそっと拭った。


 鳥籠の中とは違う、優しい空気。奏太はただ、ようやく訪れたその穏やかな時間を噛み締めた。


「奏太様、他に、ご気分の優れぬところはございませんか? 何でも、気になることは仰ってください」


 燐鳳に言われ、奏太は、自分の身体に意識を向ける。


「……身体が、うまく動かないんだ。鬼界にいた時からずっとだけど……回復が、追いついてないんだと思う」

 

 先程から、何度か起き上がろうと試みているけれど、腕が重くて上がらない。足も曲がらず、寝返りすらできない。


「……まだ、回復が? 温泉の湯で、傷は内傷も含めてほぼ治ったと侍医は言っていたのですが……」


 先ほど燐鳳は、奏太がここに来たのはつい先ほどだと言っていた。あれほど消耗したのだ。そんなにすぐに回復するとは思えない。


「念の為、侍医を呼ばせます。少々、お待ち下さい」

「あ、待った、燐」


 奏太は、立ち上がりかけた燐鳳を呼び止める。


「まだ他に、御身体に何か?」

「…………いや、その……そうじゃなくて……」


 眉根を寄せる燐鳳の姿に、奏太はもごもごと口ごもる。


「……ええっと……、怒って、ないのかなって…………その……逃げたこと……」


 これが夢でなく現実ならば、燐鳳に会うのは、奏太が燐鳳に黙って鬼界に逃亡したあの日以来。

 けれど燐鳳は、奏太の身体を心配するばかりで何も言わない。

 

 気まずさに、奏太がようやくそう言うと、燐鳳は虚を突かれたような顔になった。しかし、すぐにその表情を呆れたようなものに変える。


「……正直なところ、心底、がっかりいたしました」

「………………ご……ごめん…………」


 奏太が視線を下げると、燐鳳の声が少しだけ柔らかくなる。


「けれど、お説教は、御身体が治ってからにいたしましょう。きちんと、お戻りになったのですから。ただし、回復の暁には、丸一日くらいは、お覚悟ください」

「……丸、一日……」


 奏太は顔を引きつらせた。

 

 それでも、あの逃亡が燐鳳を傷つける行為だったということくらい、奏太にも分かっている。それだけじゃなく、次の日以降も約束があっただろう公務も完全にすっ飛ばした。きっと、燐鳳には随分と負担がかかっただろう。


 奏太はそれ以上は何も言えず、素直にコクと頷いた。


「では、侍医を」

「あ、亘達も呼んでくれる? 見つけてくれた時の状況を聞いておきたいんだ」

 

 あの時、ぼんやりとした意識の中で亘と巽の声が聞こえた。姿も霞んで見えたけれど、今が現実なら、きっと、あれも現実だったのだろう。


 しかし、奏太が言った途端、さっきまであんなに優しく揺れていた燐鳳の瞳が、凍てついたように冷たく凪いだ。


「……あのような目に遭わされて尚、あの方々が必要ですか?」

「え?」


 思わぬことを言われて、間抜けな声が出た。


「あの方々がしっかりしていれば、このような事にはならなかったはずです」


 それに、奏太は眉を顰めた。


「燐、こうなったのは、亘達のせいじゃない。俺の油断が原因だ」

「けれど、あの方々は護衛でしょう。どんな理由があろうと、命を賭して貴方を御守りせねばならぬ立場のはず。職務怠慢には、相応の罰が必要では?」

「燐」


 奏太が声を低くすると、燐鳳はじっと奏太を見つめたあと、仕方がなさそうに深く息を吐き出した。


 それから、ゆっくりと首を横に振る。


「……あの方々には、汚れを落とし身を清めていただいています。奏太様がお目覚めになったと、呼びに行かせましょう」

「燐、まさかと思うけど、縁や桜、鬼界に行ってた武官達を処分してないよな?」

「投獄はしましたが、奏太様の意に染まぬと思い、処分はまだ」


 投獄、という言葉に、奏太の表情が強張る。


「すぐに解放を。俺は、そんなこと望んでない。地位も職務も、元の通りに戻して」

「奏太様」


 燐鳳は、厳しい声音で奏太に呼びかける。けれど、奏太は譲るつもりはない。奏太自身の不注意のせいで、武官達のこれからの生を変えるわけにはいかない。

 

「これは、命令だよ。燐鳳」


 奏太が冷たく言うと、燐鳳はグッと奥歯を噛んだ後、恭しく頭を下げた。


「承知いたしました。陛下」


 

 しばらくすると、先に侍医がやってきた。

 身体が動かないことを説明すると、燐鳳と同じように眉を顰める。


「……傷自体は、温泉の湯でかなり良くなっているので、御身体の修復に使われていた分の御力は戻っても良いはずなのですが……」


 普段であれば、そうなのだろう。

 けれど、自分で分かる。


 見える範囲の外傷は治っても、身体の中の血を無理やり取られすぎて、身体自体の損傷が思っていた以上に酷かった。そして、それを補うために力を使い過ぎた。更に、何度か死んでもおかしくないような損傷を繰り返したせいで、身体自体が修復に耐えられなくなってきている。まだ、自力で治せる。けれど……


「時間が経てば、もとに戻るよ」


 笑ってそう言ってはみたものの、ここから先、一体どこまで耐えられるだろうか。

 

 長く眠らず目が覚めたのは、きっと、これ以上は治しきれないと、身体と力が判断したから。


(……崩れ、かけてるんだ……)

 

 奏太は布団の中、ギュッと手をキツく握った。

 


 侍医の診察が終ったころ、バタバタと、騒々しい音が廊下から響いた。


 バン! と乱暴に戸が開けられる音が聞こえ、慌てた亘の顔が覗く。それと同時にヒラリと青い蝶が舞い、その後ろから、巽と椿が姿を現した。


 小さな蝶は、まるで口付けでもをするかのように、奏太の頬にピタリと止まる。


「奏太様、お目覚めになって、本当に良かった……」


 囁きほどに小さな、汐の安堵の声。


「……ごめん、心配かけて」


 頬の上で翅を震わす汐に、奏太もまた、小さくそう返す。


「奏太様」


 亘、巽、椿も奏太のすぐ側に座り、不安気に奏太を覗き込んでいた。


「ごめん、みんな」


 奏太が言うと、亘が辛そうに眉根を寄せる。それから、奏太の手を取りギュッときつく握りしめた。

 その手はそのまま、まるで縋りつき祈りを捧げるように亘の額につけられる。


 亘の手は熱く、そして、小さく震えていた。


「……申し訳、ございません……」


 らしくもない、掠れた声。


「…………申し訳……ございません……」 


 今にも泣き出しそうな弱々しい声に、どれ程の心配をかけ、どれほど不安にさせたかが、よく分かった。


 不意に、握られた手にポタリと温かい雫が落ち、ジワリと広がる。


 奏太は思わず、目を見張った。

 

「な、泣くなよ、亘」


 しかし、亘からは返事がない。ただ、握りしめられる手に、更に力が籠められただけ。まるで、もう二度と放さないとでもいうように。


 亘の涙を見るのなんて、この三百年間共にいても、たぶん、たった三度だけ。


 奏太は亘の涙を拭ってやりたくて、ピクリと手を動かす。けれど、それ以上は動かなかった。

 

「奏太様、僕らからも、謝罪を。申し訳、ございません」

 

 巽が、床に額を擦り付けるように深く頭を下げた。

 いつもなら飄々とした笑顔を崩さない巽の声が、今は酷く震えている。床についた拳は、爪が食い込むほどにきつく握りしめられていた。

  

「……申し訳、ございませんでした……奏太様。……あのように……お辛い目に遭わせてしまい……」

  

 椿もまた、堪えきれないように顔を覆い、糸が切れたように肩を震わせていた。


「やめろって、みんな」


 避けようがなかったこと。それなのに、全員が自分を責めているのがよく伝わってくる。


「俺は、大丈夫だよ。それより、お前らが無事で良かった」


 闇の女神のことがあったから、万が一の事でもあればと不安だった。元気な顔が見れた、それだけで、どれほど安堵したことか。


 しかし、汐は悲痛な声を上げる。

 

「よくなんて、ありません。無事なんかじゃ……ありません。……貴方にもしものことがあればと……ただ……怖くて……必死で……」


 皆のこの様子を見れば、きっとそれも、真実なのだろう。不安になって、不安にさせて、傷つけ、傷つけられ、気づけば自力で立てないくらいに、不安定に互いを支え合っている。

 

 目の前の者たちが自分の一部になっていて、少しでも欠けることに、耐えられない。奏太自身も、眷属達も。


(このままで、良い訳ないよな)


 奏太は、自分の身体の状態と、身体を巡る力に意識を向ける。きっと、いつまでも、このままではいられない。


「……あのさ、身体が動くようになったら、人界に行こう」


 胸が、痛む。けれど――


「人界、ですか?」


 巽が、訝るように奏太を見る。


「うん、里帰り。久々に。日向や里の者たちのお墓参りに行って、顔を見せに行こう。栞や淕に会って、晦や朔の懐かしい顔を見て、主様にも挨拶に行こう」


 奏太が言えば、巽と椿が不安気に顔を見合わせあった。


「……しかし、あれ程、人界へのお帰りを避けてらっしゃったのに……」


 恐る恐る言う椿に、奏太はニコリと笑って見せる。


「少し、用事を済ませたいんだ。鬼界と違って危険もない。きっと、大事な旅になるよ」


 奏太はそう言いつつ、亘に目を向けた。


「亘も、一緒に行くんだからな」


 けれど、亘は奏太の手を壊れ物でも扱うかのように大事そうに握りしめて俯いたまま。何の反応も戻って来なかった。

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