40. 妖界と鬼界の関所①:side.巽
「白さん、僕ら、王城に向かいます」
これ以上何者にも触れさせまいと奏太を抱える亘についてエントランスホールに戻り、巽は指示を飛ばす白に声を掛けた。
こちらに気づいた白は、亘の腕の中の奏太を見て、ギュッと眉根を寄せる。
「汐から聞いた。これを使え。そのままでは具合が悪かろう」
白は、自分の肩にかかっていたマントを外して寄越した。奏太に、ということだろう。
「ありがとうございます。それから、もう一つ、お願いがあるんですけど」
巽はそう言うと、白の耳元でそっと囁く。
「鳴響商会と聖教会の後ろに闇の女神が居ると、奏太様が。何かをご覧になった可能性があります。先代の眷属の皆さんで、調査いただけますか?」
自分達は、そのまま奏太についていくつもりだ。このままでは、何にしても手につく気がしない。それに、聖教会を調べるなら、国の内部に入り込んだ者たちの手を借りたほうがスムーズかもしれない。
「商会は?」
「妖界の武官を残します。彼らである程度は回っていくはずです。何かあれば、手を貸してあげてください。武官達の命を粗末にすれば主の怒りに触れますので、その辺りは御注意を。扱いは朱さんに任せるのがいいと思います」
先代の秩序の神に仕えていた者たちは、制約に触れるかどうかは気にするが、地上に生きる命そのものへの関心が薄く、扱いが軽い。何千年と生きたせいなのだろう。制約に触れなければ、使い捨てればいいとさえ思っている節がある。
朱も先代の眷属だが、人界で奏太と共に行動していた時期がある程度あった為か、その辺りの主の感度や機微を、他の先代の眷属達よりも理解している。
「わかった。そちらは朱に任せて、私は調査を優先させよう」
「ええ、お願いします。くれぐれもお気をつけて」
「そちらもな」
白とコソコソとしたやり取りを終えると、先を進んでいた亘と椿を追いかけた。
「商会長!」
途中、妖界の武官達に呼び止められた。どの顔も、不安そうに奏太を見ている。
巽はその顔ぶれを見回し、妖界の武官達の中で一番地位の高い者に目を留めた。
「王城の関所から妖界に戻るので、数名、護衛を頼めますか? あと、他は商会に戻って、あちらに残った方々に状況の説明をした上で商会の護りをお願いしたいです」
巽の依頼に、この屋敷の他の場所で調査を行なっている者たちも含めて、手早くその場で役割分担がされていく。妖界の武官達は上下関係がはっきりしている分、こういう時に迷いがない。
「私と咲楽、他二名で、妖界にお供します」
そう言いつつ、一名が進み出た。
亘は人の姿に翼を生やして奏太を抱えたまま飛ぶ。その周囲を、椿、咲楽、妖界の武官達が囲んで護衛をした。
巽は、今もまだ護衛役のつもりだが、自分が戦力となるには心許ない事を自覚している。
そのため、護衛の邪魔にならないよう、蜻蛉の姿で、抱えられた奏太の手元にとまり、主の状態を確認する役目に徹した。
王城につけば、そこから先は、蜻蛉商会の商会長としての出番がやってくる。
王城には、関所と呼ばれる、妖界と鬼界をつなぐ結界の穴がある。両側から陰の気の結界が張られ、鬼界側、妖界側、共に厳重に守られた場所だ。通行できるのは、両者の合意がある場合のみ。
界を隔てる結界に自由に穴を開けられるのは奏太だけの裏技で、手紙のやりとりや国としての取引などは、基本的にはこの関所を通じて行われている。
蜻蛉商会も、表向きはここを通ってやってきた事になっていた。
関所を開ける許可は、鬼界側は国王の承認が、妖界側は四貴族家の筆頭であり行政を司る柴川家当主の承認が必要だ。
ただ、あちら側は、奏太の顔を見れば開けざるを得ないだろう。いちいち柴川の承認を得る必要はない。
面倒なのは鬼界側。あくまで一商会の立場なので、最短ルートで許可を得ても、障害は多い。
汐が先に飛んでくれているので、通達がうまくいっていれば、すんなりと通れるはずではあるが……
王城の門前まで行くと、巽は人の姿に変わり、門兵に声をかけた。
「蜻蛉商会より、緊急の要件があり関所を開けていただきたく参りました。先に知らせをお送りしているはずですが、入城許可をいただけますか?」
蜻蛉商会の証も見せながらそう言ったが、門兵は胡散臭そうに、一行を見やる。
「そのような話は聞いていないが」
「では、通達がまだなのでしょう。一度、ご確認をお願いします」
巽が言うと、門兵はあからさまに面倒そうな顔をした。
「緊急というが、関所の開放など、すぐに許可が出るようなものではない。確認はしておくから、出直してこい」
どうやら、ハズレくじを引いてしまったようだ。門兵は確認する素振りも見せずに、パッパと手を振る。
国王の許可が必要なのだ。通常であれば、門兵へ通達が届くくらいの時間的余裕はあって然るべきだろう。けれど、今回ばかりは事情が異なる。
「ご覧の通り急病人が出て、至急、妖界に帰らなければならないのです。先ほども言いましたが、事前に知らせは飛んでいるはずなので……」
「だから、そんな話は聞いていないと言っているだろうが。たかが人妖が病になったくらいで、国王陛下が関所を開ける許可をお出しになるはずがない。帰った帰った!」
門兵がそう言った途端、巽にもはっきりわかるくらいの音を立てて、亘がギリっと奥歯を鳴らした。
「亘さん、今は、冷静に」
コソッと椿が窘める声が耳に届く。巽はチラと亘の腕の中の奏太に目を向け、息を吸って吐き出した。
主をすぐにでも安全な場所へと、気持ちが焦る。けれど、強引に進めては話が拗れて余計に時間がかかるだろう。
「我らを追い返したあとに、『来たらすぐに通せ』とお達しがあったら、貴方が困るのではありませんか?」
巽は努めてニコリと笑ってみせる。
「蜻蛉商会は、鬼の国の保護を受けてはいますが、妖界の商会です。ただ、あちらへ帰るだけ。既に申請は上げているのです。承認には、それ程時間はかからないはず。確認された方が、互いに面倒がないかと思いますよ。ここで追い返され、商会員に万が一があれば、妖界から責任を問う書簡をお送りせねばなりませんから」
門兵は、巽の言葉にグッと喉を詰まらせた。
実際問題、この足止めのせいで主にこれ以上何かがあれば、責任を問う書簡どころでは済まない。妖界勢も、眷属も、黙っていることなどできないだろう。
巽はチラと、王城の上層部にある大きな窓へ目を向ける。
汐が飛んだ以上、話は通っているはずなのだ。一直線に承認者のところへ。時間がかかっているのは、下にそれをおろすまで。
「もう一度言います。我らは、妖界の商会です。万が一があれば、国家間の責任問題。貴方の首一つでは足りません。今、ここで、確認されることをお勧めします」
巽が静かにそう言うと、門兵は意識を失いグッタリとした状態の奏太に目を向けた。それから、ゴクと唾を飲み込む。
「…………わ、わかった。確認をしてくるから、ここで待て」
脅した甲斐があったようだ。門兵は、たじろぐように、ようやくそう頷いた。
しかしすぐに、
「その必要はない」
という声が、城門の向こうから響いた。
「こ、国王陛下!!」
足早にこちらへやってくる集団の先頭に、重そうなマントを翻すこの国の頂点の姿があった。その黒髪、赤目の壮年の隣には、ヒラヒラと飛ぶ、青の蝶の姿。
巽はホッと息を吐いた。
(思ったより、すんなり関所を通れそうだ)
一方で、門兵は慌てた様子で頭を下げる。
巽もまた、自分の後ろにいた者たちを振り返ったあと、その場に膝をついた。
亘達も同様に、膝をついて頭を下げる。苛立ちを何とか我慢しているのが完全に表情に出ているのが気になるが、一応、礼節だけは守ってくれている。
(前に、爆弾を抱えてる気分だって奏太様が言ってたことがあったけど、本当にそんな感じだ)
このまま、我慢し続けてくれと祈りながら、巽は地面に視線を落とし、口を開いた。
「蜻蛉商会より、国王陛下へご挨拶申し上げます」
「挨拶は良い。急ぎの要件と聞いたのでな。関所を開ける。着いて来い」
「早急な御判断、感謝申し上げます」
巽の礼に頷いて国王が踵を返し、巽達が立ち上がろうとしたところで、王城の方からバタバタと駆けてくる影が見えた。
「へ、陛下! お待ち下さい!」
慌てて駆け寄ってきた男は、ハアハアと肩で息をしながら、王の前で呼吸を整えるように胸に手を当てた。
きちんとした身なりをしているところと、国王への態度を見れば、それなりの地位があるのだろう。
「陛下、御言葉ですが、いくら妖界から招いたとはいえ、一商会に陛下御自ら、このような特別な扱いをなさるのはおやめください。それに、関所を開けるのも、正当な手順を踏んでいただかねば困ります」
「妖界から来た者を妖界に帰すだけだ。なんの問題がある?」
「国家間のやりとりです。そのように簡単なことではありません。きちんと手続きを経て必要性を検討した上で、問題が起きないようにせねばなりません。特に、鬼界側で蜻蛉商会の者が害されたとなれば、あちらが何を言ってくるか分かりません。せめて、こちらの正当性を固めたあとでなければ……」
つまりは、保身。正当性を証明できる材料を集めるまで時間を稼げ、と言うことだ。そんなしょうもない事で、足止めされてはたまらない。
「陛下、今回の件は、妖界から責任を問うような事がないよう、私から上奏いたしましょう。ですから、今は一刻も早く妖界へ通して頂けますよう、お願い申し上げます」
正直なところ、少々苛烈なところがある柴川の当主を諌めるのは面倒ではあるが、主が目覚めれば、どうにでもなる問題だ。今は、当の主の身体が最優先。
「一介の商人の言葉を、信用しろとでも?」
巽が言うと、男はジロッと巽を睨む。
「やめないか。彼は、妖界の四貴族家、ひいては帝とも面識がある。商会の者が命を落とせば、それこそ責任問題だろう」
「鬼界で治療を受けさせればよろしいでしょう」
「妖界の薬はよく効く。この商会を招いた理由の一つだ。その者たちが、妖界へ帰る必要があると言っているのだぞ。何かがあった時に、お前が責任を取れるのか?」
国王の言葉に、男はグッと口を噤んだ。
「他の者も同様だ。これ以上、異議を唱えて足止めするならば、いざという時に、真っ先に責任を問わせてもらう」
その宣言に、それ以上、否定の声は上がらなかった。




