4. 貴族の館②
「奏太様も、念の為武器を」
屋敷内に入る直前、亘に言われて奏太は慣れた手順で自分の中にある力の一部を手の方に集中させていく。
白と金の光が手の内に現れ、それがスラリと細長い形状に伸びたかと思えば、純白の刃に金のきらめきを持つ美しい日本刀に変わった。
亘や椿の刀も、自分の中の力を具現化するようにして作られている。二人の刀は鈍色の刃。内在する力の色が武器にも表れているらしい。
奏太の主な剣術の師は亘だ。しかし、椿もそうだが、奏太に武術を教えたがった者が多かったこともあり、奏太の使う剣には、いろいろな流派が交じり合う結果となっている。別に腕が立つわけではなく、護身程度の実力だ。
奏太にとって一番馴染む持ち方で刀を握ると、亘はチラっと奏太の手元を見たあと眉を顰めた。
自分の教えとは違うやり方が奏太の中に染み込んでいくのが亘は気に入らなかったようで、ときどきこうして不満そうな顔をする。
「妖界の軍団大将殿のやり方が、随分お気に召したようで」
「そんなことで、いちいち嫉妬すんなよ。戦いやすいのが一番だろ」
「嫉妬ではありません。それでは、うまく力が伝わらないと言っているのです。あの方と違い、貴方はただでさえ非力なのですから――」
ムッとしたような亘の言葉を遮って、奏太はニコリ笑ってみせた。
「非力は余計だ。あと、そういうのは後にしてくれるかな、先生」
もっともらしい事を言っているが、八割方は、やっぱり、ただの嫉妬だ。最後まで聞いてやる必要はない。
「ま、まあまあ、今は目の前のことに集中しましょう。言い争っていて、何かがあっては困ります」
椿が間にはいると、亘はフンと鼻を鳴らした。
「……にしても、闇の発生地は相変わらず嫌な雰囲気だな」
屋敷に入った途端、グワッと声とも言えない声を上げながら襲って来た虚鬼を亘が斬り捨てるのを見ながら、奏太はボソッと言った。
薄暗い屋敷内。ところどころにある小さなランプを頼りに進む。
数日前までは、明るく照らされ屋敷の主や家族、使用人達が行き交っていただろうエントランスも、今や変わり果てたものになっている。
虚鬼に殺された鬼か、先に入った軍の者達に始末された虚鬼かはわからないが、鬼の遺体があちこちにあり、床や壁に血溜まりや染みを作っている。
倒れた鬼達の服装をみれば、この屋敷の使用人達だっただろうことは、奏太にも容易に想像がついた。
血みどろの状況にはある程度慣れてはいるが、見たいものでない。
「発生源はどこだろう?」
「三階の一番奥にある主人の部屋のようです。屋敷内に随分と闇が広がってしまったようで定かではありませんが、遠目からは、その辺りが黒くなっていたと報告があったようです」
事前に情報を得ていたらしい椿が言った。
闇の発生源は通常、濃すぎる闇のせいで、目視ですぐにわかる程に黒く塗りつぶされたように見える。それが主人の部屋のあたりにあったなら、間違いないのだろう。
おどろおどろしい雰囲気の満ちたエントランスを真っ直ぐに突っ切り、上階に伸びる階段を登っていくと、先に入った者達だろうが、ガチャガチャ、ガヤガヤとした声が徐々に近づいてきた。
(発生源が近いのかな?)
そう思った矢先だった。
突然、上階から
「「「う……うわぁぁぁっ!!!」」」
という複数人の悲鳴が上がり、更にそれに重なるように、
「退け、近づくな!! 取り込まれるぞ!!」
という怒鳴り声が聞こえてきた。それと共に、バタバタと走り抜けるような足音が複数聞こえてくる。
「……あぁ〜〜……」
思わず、声が漏れ出た。
「調子に乗って、闇に足を踏み入れたんでしょうね。これだから、ああいった手合いは」
「数が多くないと良いのですが……使用人が虚鬼になるのとはわけが違いますから」
亘が馬鹿にするような言い方をすると、椿は頷きつつも眉尻を下げた。
武力はそのままに、意思を無くして凶暴化するのだ。戦い慣れない者が虚鬼になるよりも、余程たちが悪い。
そうしている間にも、軍の者達がバタバタと足音を立てながら次々と階段に差し掛かり、奏太達を無視して一目散に駆け下りていく。
三階の廊下に上がれば、長い廊下の突き当たりが真っ黒に塗りつぶされ、そこから溢れた濃い闇によって、まるで黒い靄でもかかったように廊下の半分以上が覆われていた。
そこには、先ほど奏太に突っかかってきていた大男と五名ほどが、表情もなく闇の中を徘徊している。
「やっぱり、闇に捕らわれて虚鬼に変わっちゃったみたいだな」
軍の鎧を着た者が三名倒れているのは、闇に取り込まれ仲間内で殺し合った結果だろうか。
「指揮官を無くした結果、残った有象無象が闇になす術なく逃げ出した、というところでしょうか」
亘の言い方は辛辣だ。
「奏太様」
「わかってる。一気に焼く。残ったのがあれば任せるよ」
奏太は亘に頷いた。
それから、フッと手に持った刀を消し去る。せっかく出したのに出番がなかったのは残念だが、目の前には敵しかいないのだ。今はこれが一番早い。
話し声に気づいたのだろう。虚鬼に変わりはてた大男達は、ピクリとこちらに反応すると、ダダダッと足音を立てて我先にとこちらに駆け出してきた。奏太達を喰おうとしているのか、それとも闇に引きずり込むつもりか。
奏太はそれに向けて、両手をバッとかざした。意識を集中して自分の中に内在する力を両手に集めていく。
(屋敷内なら、加減が必要だな)
そう思いながら、力を押し出すようにすれば、奏太の両手からキラキラと眩く煌めく白の光が溢れ出した。
それは、鬼にとっては危険にも恵みにもなる、何よりも貴重な日の力。『陽の気』と呼ばれる、奏太の中で生み出されている力だ。そして、この鬼界には奏太と同じ力を宿す者は一人としていない。奏太だけの、特別な力。
奏太の手のひらから溢れる眩い光に、廊下全体がパァっと照らし出され、闇がどんどん打ち消されていく。
虚鬼達にその光が届くと、ギャッと声が上がり、こちらに駆け寄ろうとしていた足がピタリと止まった。
鬼の身体は陽の気に耐えられない。その身は赤く焼かれ、次第に黒く焦げていく。
その様は、正直、見られたものではない。
奏太が顔をしかめながら白の光を放っていると、すぐ横で、亘の仕方のなさそうな声が聞こえた。
「いつまで経っても、繊細すぎていけませんね。貴方は」
奏太がチラと声の方へ視線を向ければ、
「椿、奏太様を任せるぞ」
「はい」
というやり取りとともに、亘がそのまま光の中に突っ込んでいくのが目に入った。刀を振り上げ、未だ動いていた虚鬼を一刀両断にしていく。
亘は妖だ。普通であれば、鬼と同様、その身が陽の気に耐えることはない。陽の気に晒された瞬間、虚鬼達と同じように焼かれてしまっていただろう。
けれど、亘もまた、特別なのだ。陽の気の中に居ても、その身を焦がすことはない。椿や汐も、同様に。奏太を主と仰ぎ身命を賭すと誓った繋がり故に。
陽の気に晒され苦痛の中にいてもなお向かってこようとしていた虚鬼達を、亘はあっという間に始末していく。
すべてが倒れて動かなくなると、奏太はほっと息を吐いた。
たとえ虚鬼とはいえ、体を焼かれながら少しずつ確実に死に向かっていく苦痛を見ているのは、手を下している自分の方が辛くなる。
奏太が更に手のひらに力を込めれば、ついさっきまで黒い靄に覆われていた主人の部屋まで続く長い廊下は、きれいさっぱり闇が祓われ元の状態に戻っていった。
陽の気の放出を止めると、そこに残ったのは、亘に斬られ黒く焼け焦げた虚鬼達の遺体のみ。
「奏太様を侮ったことを後悔させたかったのですが、手遅れでしたね」
亘は、おそらく、あの大男だっただろう遺体を見おろしながら、そう言った。
「でも、これ、どうしましょうか? 虚鬼になったことは逃げていった軍の者達の証言があるでしょうから、この者達の処分を咎められることはないでしょうけれど、こんな風に焼け焦げてたら、何故こうなったのか、説明に窮しませんか? 奏太様のお力は隠し通すんですよね? 日石の力とするには強すぎますし……」
椿の懸念に、奏太と亘は顔を見合わせた。
「……さすがに、そこまで考えてなかったな。いっそのこと、灰になるまで焼いた方がいいかな? あんまり、死体に鞭打つような真似はしたくないけど」
奏太としては、屋敷まで燃えないように手加減したつもりだったのだが、それでも少しやり過ぎだったようだ。
「この廊下程度の闇でこれだとやり過ぎでしょうから、発生源に放り込んで、発生源の闇を祓った時に焼けたとでも言えば良いのでは? あの黒を祓うには、それくらいの力は必要ですし」
「……うーん……日石の力にしては、やっぱり焦げすぎな気もするけど……まあ、仕方ないか」
亘と二人、頭を捻りつつそう結論を出す。
「じゃあ、さっさと、発生源の闇も祓っちゃおう。誰かが戻ってきたりする前に終わらせたほうがいいから」
奏太はそう言いつつ、ひとまず焼け焦げた虚鬼達を通り過ぎ、主人の部屋に歩みを進めた。