34. 蜻蛉商会への侵入者②:side.巽
「お前はここにいろ、巽。汐もだ、単独では行動するな」
ここからの動きがようやく見え始めたところで水を差され、巽は眉根を寄せて亘を見た。
「…………ここに来て、まだ案内役扱いですか、亘さん?」
巽は堪らず、そう零した。
人界で、巽は武官だった。ただ、戦う力が弱かった。『守り手』だった奏太につけられたのも、亘たちと同じ『護衛役』ではなく、汐と同じ『案内役』と言われる文官としての役割を期待されたからだった。
『守り手』につけられる『案内役』は通常一名。事情があって汐の不在時に臨時でつけられたのが巽だった。
最初は、『守り手』様にお仕え出来るだけで光栄な事だと思っていた。けれど、奏太に仕えるうちに、それでは足りないと思うようになった。自分の力で、どこまでも危なっかしい主を守れるようになりたいと。
汐が戻ってきてからは、巽が望んだ通り護衛の役目を振られるようになった。けれど、周囲の扱いは『案内役』に近いもののまま。巽はそれが、堪らなく悔しかった。
汐がいる以上、巽に『案内役』の役割は不要。けれど、『護衛役』としての力は不足している。
まるで、自分は主にとって不要な存在だと言われているような気がした。
今でも仲間内では、巽は『案内役』のままだ。こうして文官仕事を当たり前のように押し付ける主もまた。
今は、以前よりはその状況を受け入れられるようになってきた。けれど、主の危機に動くのを禁じられるのは話が違う。
「あの方が汐ちゃんを真っ先に守りたがるのは、昔からですからわかりますけど、僕は違うでしょう」
「巽。それは、私に対する当てつけのつもり?」
巽の言葉に、汐が声を尖らせた。
汐もまた、昔から、案内役であるということが理由で置き去りにされることが多かった。亘と二人、奏太に付き従う者の中で最古参であるにも関わらず。
普段は感情をあまり表に出さないはずの汐が、奏太と亘が危険に向かう中で置き去りにされ、怒り、泣くのを見たことがある。
けれど、汐と巽ではやはり違う。少なくとも、巽はそう思っている。
「そういうわけじゃない。けど、僕は護衛役だ」
「ねえ、貴方、昔からそうだったけど、案内役の何が……」
汐が苛立ちもあらわに言いかけると、亘が汐の前に手を出して言葉を遮った。
「こんな時に、そんなどうでも良いことで喧嘩している場合か」
その言葉に、巽はムッと亘を睨む。
「水を向けたのは亘さんじゃないですか」
巽が言うと、亘は眉根を寄せた。
「私は、護衛役だ案内役だという話をしているんじゃない。問題は、あの方の今の精神状態だ。無事に取り戻せたとして、このうちの誰かが欠けたら、あの方はどうなる?」
光耀教会の一件が原因か、それともその前からか。先日見た主の精神状態は、極めて不安定なものだった。
「巽、お前は怪我人だろう。この部屋まで走ることもできなかったくせに、外に出て何ができる? お前を失いかけたあの方が力を暴走させたのは数日前だぞ」
意識を失っていた巽はその時の状況を知らない。ただ、自分が上手くやらなかったせいで、あの方に過ちを犯させるところだったと、あとから聞いた。
あの日、光耀教会の者たちは当初、巽を奏太と思い込んでいた。
聖遺物の一件は大きな問題にならなかった。
聖遺物の中に残る力はほんのわずか。あれなら、奏太の杞憂だったと判断してもいいくらいの量しか残っていなかった。
そして、ほとんど力の消えかけた呪物を、白日の廟に運び込んだところで日の力の補充などできるはずもない。力を込められるのは、奏太を含む、人界の『守り手』様方だけだから。
奏太が望む通り、破壊や盗みも考えたが危険が大きすぎると断念した。
そもそも、想定していたことだったが、光耀教会の狙いは、聖遺物ではなかった。強引にでも、奏太を光耀教会に引き込むこと。
聖遺物の一件が片付くと、すぐに枢機卿同士で話があるとセキを引き離され、巽は例のハガネという大司教の相手をさせられることになった。
そのまま茶会に招かれ席につくと、光耀教会に来いと脅しも交えて執拗に勧誘をかけられた。
それを断り続けると、護衛についてくれていた妖界の武官が突然倒れた。
護衛の面倒はこちらでみるからと連れて行かれ、表面上親切に聞こえる周りくどい言い方で、質がどうなってもいいのかと脅された。
どうにか護衛を取り戻そうとしたものの、今度は従者の振りをして幻影をかけてくれていた術者が標的になった。
そして、それと同時に、巽にかかっていた術も解けてしまった。そこからは、奏太の情報を引き出そうと酷い拷問が始まった。
こんな連中に、あの方のことを喋るわけにはいかないと必死に耐え、巽が意識を失うと、光耀教会はセキに責任を追及したらしい。巽はそのまま白日教会に運ばれ、奏太を引き出すための材料として使われたと聞いた。
そうして、あの事件が起こったのだ。
奏太は巽を責めることはない。ただ、酷く傷つき、巽が死にかけたのは自分のせいだと主自身を責めた。
自分の周りに誰かを置くことを恐れ、失うことを恐れ、巽達まで遠ざけようとした。まるで、触れたら壊れる硝子細工でも見ているようで、部屋に戻る主の背に、言葉をかけることもできなかった。
巽はグッと口を噤む。
「いずれにせよ、何処かに情報の集約が必要だ。お前はそういうのが得意だろう。あの方がお前を評価して期待してるのだって、武力ではなく、そういう部分のはずだ」
わかっている。けれど、悔しい。
いざという時に動けぬ我が身が。護衛役とは名ばかりで、役に立てぬ我が身が。……ただ徒に、主の心を傷つけた、我が身が。
巽はグッと目元に手を押しつけた。
「……あの方にお仕えして、この身と命を捧げた時から、僕はあの方の為だけに生きてるんです。それなのに、僕は、こんな時にも屋敷に閉じこもっていることしかできないんですか……?」
無力感に、思わず、弱音が漏れ出た。
「あの方は、僕らを失ったら生きていけないって言いましたけど、僕こそ、生きていけないんです。あの方の未来を支えていくことだけが僕の全てなのに、僕はあの方を酷く傷つけたままなんです。こんなところに閉じこもってる間に、万が一にでも、あの方に何かがあれば……僕は、どうしたら……」
言葉にし始めると止まらなくなる。俯いて奥歯を噛んでいると、グイッと亘に腕を掴まれた。
顔を上げれば、亘はじっと巽の目を覗き込んだ。
「しっかりしろ、巽。お前が揺れてどうする? 私は、お前に何もするなと言っている訳じゃない。お前に出来ることをしろと言っているんだ。情報を集約し、妖界の武官達に指示を出し、適切に動かして自分の手足として使え。あの方がお前に奴らの指揮権を与えたのは、そういう力を見込んでのことだ。お前は、体の代わりに頭を使えばいい。お前だけは、どんな時でも冷静に頭を動かし続けろ。あの方の役に立ちたいと思うなら、あの方の期待を裏切るな」
真剣な亘の目に、不意に、随分昔に主に言われた言葉が心を過った。あれは、主の命令を無視して飛び出していった亘を止めろと、無茶振りをされたあとだったか。
御側で役に立ちたかったと喚いた巽に、主はいつものようにニコリと笑い、まっすぐに巽を見ていた。
『頼りにしてるから頼んだんだよ。俺の手の届かないところを任せられるくらい、信頼してるんだ』
それは、今まで蓄積されてきた不満や妬み嫉み、無力感などで鬱屈していた気持ちがすうっと一気に引いていくような感覚だった。
心の中に温かさが広がり染み渡るくらいに、巽にとって貴重で大事な言葉だった。まるで、あの方の陽の気に守られている時のような。
(……あの方が、僕に任せてくれているところで御役に立てなきゃ、僕は本当に無価値だ)
巽はあの時、自分に向けられた主の笑顔を思い出し、すうと息を吸って、深く吐き出した。
「……すみませんでした。もう、大丈夫です、亘さん。汐ちゃんも、ごめん」
「言っておくけど、次はないから」
汐はそう言いながら、巽を睨む。けれど、この長い付き合い、同じようなやり取りは何度も繰り返されてきた。その度に、汐は巽を赦してくれている。きっと、心の奥で抱える悩みは同じだから。
「うん。ごめんなさい」
巽はもう一度、汐に頭を下げて謝った。




