24. 幻妖宮への滞在②
翌日、奏太は目を覚ましてハッと体を起こした。
今まで、朝になると時間だと叩き起こされてきたのに、今日は誰にも起こされていない。部屋にいるのは、鬼界から連れてきた者たちだけ。
「つ、椿、今何時!?」
「昼前ですよ」
そう言われた瞬間、背筋がゾワっと寒くなった。
「今日の予定は!? り、燐は……っ!?」
「何度起こしてもなかなか起きないので、奏太様にはもう付き合っていられないと」
亘に言われて、今度はぶわっと嫌な汗が吹き出す。
「そ、そんなっ! なんで叩いてでも起こしてくれないんだよ!?」
慌てて叫んだところで、亘は堪えきれなくなったように、クッと笑いをこぼした。
「……亘さん」
椿は呆れ顔だ。縁もまた、仕方がなさそうに亘を見てから、視線を奏太に向けた。
「昨夜、随分お疲れのようだったので、燐鳳様が本日の御予定を全て中止にされたそうです。燐鳳様は、代わりに処理すべきことがある為、奏太様を任せると仰って出て行かれました」
「……休み?」
奏太はボサボサの頭のまま、呆然とつぶやいた。
「本日はご自由にお過ごしください、と。今日はお好きな格好をなさっても大丈夫ですよ」
咲楽も軽やかにそう付け加えた。
奏太は、未だに笑いの収まらない亘をじろっと睨む。
「お前なぁ」
「ククッ、良かったではありませんか。寝て過ごすでも、買い物をするでも、温泉地に行くでも、ここは鬼界ではありませんから、ある程度、お好きに動かれても大丈夫でしょう。ようやく、自由の身です」
亘に言われて、ようやく状況を理解した。鬼界では鬼から身を護る為に外出が制限されてきた。外を歩くときは護衛が徹底して周囲を護り、行き先も限定される。妖界に来てからは仕事を詰め込まれていたために、常に時間に追われて動いていた。
それが、今になって突然、自由が舞い降りてきた状態だ。
「……そう言われると、この時間まで寝てたのが勿体なくなってくるな……」
「随分お疲れだったようですし、休息も重要なことですよ」
椿が柔らかく微笑んだ。
「今日はこれから、どうなさいますか?」
「え? えぇっと……」
突然時間ができても、何をしていいか思いつかない。ただ寝て過ごすのは勿体ない。今が昼前だとすれば、遠出もできないだろうし……
「……お墓参り、行こうかな」
「先帝陛下の、ですか?」
「うん。久々だし」
椿に頷いて返すと、亘が首を傾げる。
「どちらに行かれるのです? 宮中の石碑か、陽の山か、はたまた人界か」
先帝の墓は、いくつかの場所にある。
そもそも、先帝は奏太と同じく人界の出身者だった。代々、奏太と同じ血筋の者から選ばれ妖界の帝位に就く。だから、人界にも墓所が存在している。
妖界での正式な墓所は陽の気を発する『陽の山』と呼ばれる場所にあった。人界から帝位に就くためにやってきた者が最初に通るのが『陽の山』であるため、死後どちらにも行き来できるようにと、代々の帝の墓所がそこになっている。
ただ、幻妖宮から陽の山は遠く、妖達は自由に界を渡れないため人界にもいけない。そのため、宮中に追悼を捧げる為の場所が用意されていた。
「今からなら、宮中の、かな。榊と花も用意しなきゃいけないし」
「買いに行ってきましょうか?」
咲楽がパッと手を挙げたが、奏太は首を横に振った。
「花は自分で選ぶよ。好きだった色のやつ。亘、覚えてるだろ?」
「ええ、もちろんです」
亘は懐かしむような顔で言う。
亘はずっと昔、先帝が人界にいた頃の護衛役だった。奏太についたのはその後のこと。
亘は、奏太とよりも、先帝との関係の方が、ずっと深かった。少なくとも、奏太はずっと、そう思いこんでいた。今となれば、奏太と過ごした時間の方が、何十倍も長いのだけれど。
質素な着物に着替えて、京の街に出る前、燐鳳にも今日の行動予定を咲楽から伝えてもらった。
「今日一日、検非違使に警戒を強めておくよう、事前に通達を出してくださっていたようです。何事も無いとは思うけれど、お気をつけて、と」
タタタっと小走りで追ってきた咲楽が、燐鳳からの伝言を持ってきた。
「相変わらず、抜かり無いことで」
亘がボソッと言う。
「何か、お土産でも買って帰ろうかな。元の予定が中止になって皺寄せがいってるはずだろ?」
「そもそも、燐鳳殿が自分で入れた予定では?」
「はは、嫉妬すんなよ。お前にも、そのうち何か買ってやろうか?」
奏太が亘の顔を覗き込むようにして言えば、ものすごく嫌そうな顔が返ってきた。
下町をフラフラしながら歩いていくと、花売りに遭遇した。そこで、青と紫、白の花を買った。奏太が選んだものに亘が足していった形だ。榊は幻妖宮に戻ればあるらしいので、帰ってから入手する。
そのまま帰るのも、ということで町の賑わいにキョロキョロしつつ少し散歩をしていると、屋台型の露店に透き通った黒から青紫色に変わる綺麗なとんぼ玉が並んでいるのが目に入った。
フラリと立ち寄り眺めていると、椿がヒョコッと顔を出す。
「燐鳳殿に、ですか?」
「うーん……それっぽいかなと思って。こういうガラス玉とか水晶玉って、陽の気を込めやすいんだ。御守りの意味合いが強いから色はどうでも良いんだけど、なんとなく」
奏太はそう言いつつ、小銭を何枚か取り出して購入する。
手に握って内側に陽の気を注ぎ、再び手を開けば、とんぼ玉は内側から白い光で照らされ、鮮やかな色合いでキラキラと輝いていた。
露店商が唖然としたままそれを凝視しているのに軽く笑って、奏太は袂にある小さな物入れにしまいこむ。咲楽がそれを羨ましそうな顔で見ていた。
亘がなんだか少しだけ不機嫌になった気がして、奏太はポンと軽く背を叩く。
「今回は、金の力は入れてないだろ」
「…………まあ、そうですね」
そう口では言っているけど、他にも何か言いたげな視線だ。けれど、奏太には全くよくわからない。
「……なんだよ?」
「いいえ、何も」
亘はムスッとした顔で、そう答えた。
深入りしても喧嘩になるだけなので、不機嫌の理由を追求することなく幻妖宮に戻る。
帰還報告ついでに、せっかく買ったお土産を届けようと燐鳳のもとへ向かう。文官達が忙しなく出入りする部屋。燐鳳は書類仕事をしながら、視線も上げずに部下にテキパキと指示を飛ばしていた。
奏太に気づいた者達は、順に立ち止まり頭を下げ、気を使って外に出ていこうとする。それを片手で止めて、奏太は燐鳳の前まで行った。
「はい、お土産」
書類の上に、ポンととんぼ玉を置くと、突然目の前に現れた黒と青紫の玉に、燐鳳はピタリと動きを止めた。
「……奏太様? これは?」
「だから、お土産だって。仕事を調整してくれた分、大変だっただろ。ただのガラスだし日石と違って効果は薄いけど、陽の気も込めておいたから。御守りに」
奏太がそう言うと、燐鳳はようやくそれを拾い上げた。ただ、表情は無のままだ。
「あー……、ごめん、気に入らなかった……? もっと、仕事に使えるものの方が良かったよな?」
よくよく考えたら、燐鳳は高貴な家で生まれた貴族様だ。庶民の露店で売られていたとんぼ玉なんて、もらっても仕方がなかったかも……そう、頭を過る。
しかし燐鳳は、それをそのまま大事そうに自分の手のひらの上に乗せてまじまじと見たあと、不意に、あまり見せたことが無いくらいに柔らかく表情を綻ばせた。
「いいえ。ありがとうございます。奏太様。大事にいたします」
「え、あ……あぁ、うん」
まさか、そんなに喜んでもらえるとは思わず、お土産を渡した奏太の方が驚かされた気分だ。
実際、同じ部屋に残され外に出るに出られないでいた文官達が、驚愕の表情で燐鳳を見ている。燐鳳が普段、どれほど下にも上にも厳しいか、文官達のその表情だけでよく分かった。




