20. 商品仕入れのお仕事①
結局、周囲の圧力に耐えきれず、奏太の妖界への帰還は早々に確定した。
奏太が了承してからの動きは驚くほど早く、翌日には移動準備が完了するほど。意見を翻す前に送り出してしまおうという周囲の魂胆だ。
これほどまで、蜻蛉商会が一丸となったことが今まであっただろうか、というくらいに手際よく準備が進められ、あっという間に、あとは奏太自身が動くだけ、というところまで整ってしまった。
蜻蛉商会のエントランスで同行者と見送りの者たちを見回して、奏太は息を吐く。
いつもの商会の服ではなく、奏太も同行者も妖界に合わせて着物姿だ。見た目だけは万全である。
「……なあ、巽、もう少し、ゆっくり行った方が良いんじゃないか? あっちにも準備ってものが……」
「貴方がいつお帰りになっても良いように、常に準備なさっているようなので御心配なく、奏太様」
(……なるほど。全部整えて、ずっと待ち構えていた、と)
奏太は顔を引き攣らせたが、巽や見送りの者たち一同は肩の荷が下りたと言わんばかりの、晴れやかな笑顔だ。
唯一、汐だけが表情を曇らせる。
「奏太様、決してお側から護衛を離してはなりませんよ」
「いや、子どもじゃあるまいし……」
「目を離した隙に、いつも何事かに巻き込まれるのです。不安でなりません」
まるで幼い子どもを初めての買い物に送り出す母親のようだ。
「ところで奏太様、本当にここから直接あちらに行くのですか? どこに出るかわからないから迎えに行けぬと文句を言われたんですが……」
眉を下げる巽に、奏太は何でもない風を装って頷いて見せた。
「迷惑かけたみたいだから、先にいつもの卸問屋に顔を出してからにしようかなって。迎えが来たあとじゃ、身動き取りにくくなるだろ」
「それはそうかしれませんが……」
巽はそう言いつつ、じっと奏太の目を覗き込む。
「念の為の確認ですが、ちゃんと、帰りますよね? そのおつもりがあっての寄り道なんですよね?」
「あ、当たり前だろ。ちゃんと帰るよ」
(先に用事を済ませてから、面倒な奴に見つかる前に鬼界に戻ってくるつもりだけど)
要は、問題なく在庫発注を行い、一度帰ったという事実さえあればいいわけだ。長居するとも、大人しく叱られてくるとも、奏太自身はひと言も言っていない。
視線を逸らしながら奏太が言うと、巽は何か言いたげにこちらを見てから、ハア、と小さく息を吐いた。
「まあ、どうぞ、お好きになさってください。どうせ、思惑通りにはいきませんから」
「え、それってどういう……」
「いいえ、なんでも。それじゃあ、お気をつけて行ってらしてください!」
巽は、ニコリと笑って、トンと奏太の背を押す。
不穏な笑みが気になりつつも、奏太は、何もない宙に手をかざした。
鬼界と妖界を隔てる目に見えない結界。
それを構成する陰陽の要素を探り当て、穴をあけるようにその部分だけに集中すれば、そこに小さな灰色の靄の渦が生まれる。
更にそれを押し広げるようにしていくと、蜻蛉商会の屋敷のエントランスに、鬱蒼とした木々の生い茂る森が現れた。
ある程度、問題なく通れるくらいの穴があくと、奏太は同行者達を振り返る。
今回行くのは、亘、椿と、妖界から連れてきた護衛二名だけ。大勢で行っても仕方がないので、基本は居残りで商会運営や情報収集に動いてもらうことになっている。
「咲楽、縁、京の方角、わかるよな?」
「「はい、お任せください」」
穴の向こうを見ながら、同行者である護衛二名に声を掛けると、二名はコクと頷いた。
咲楽は、人で言えば十四、五才くらい。名前の通りの桜色の長い髪を持ち、高く一つに括っている。見た目は可愛い女の子だが、れっきとした男子だ。人懐っこく相手の懐にサラリと入っていけるので、何かと役に立つだろうと同行者に加えられた。
縁は、ふわりとしたベージュの髪が特徴の男性で、亘と同じくらいの年頃に見える。いい意味でクセがなく優しい性格をしているが、腕が立つ。
クセが強い者が護衛にいると悪い意味でクセのある亘と不協和音を奏でかねないが、縁のような者がいてくれると何となく上手くまとまるのだ。
奏太が妖界にいるときには、基本的に縁が護衛についてくれることが多いし、亘達の信頼もある。奏太と亘の関係がギスギスした時の仲裁役として丁度よいと選ばれた。
どちらも、巽の推薦である。
「じゃあ、行ってくるよ。すぐに帰ってくるから、あと、よろしく」
「はい。行ってらっしゃいませ。どうぞ、ごゆっくり」
奏太と真逆の事を言う巽に奏太は眉根を寄せたあと、小さく息を吐いて後ろ手に手を振った。
咲楽と縁に着いて灰色の渦をくぐり抜けると、森の中ならではの湿気に包まれた。原生林のようなその場所は、砂地が多く植物の育ちにくい鬼界とは大きく異なる。
鬼界から見た時に灰色だった渦は、妖界から見れば、黒色に変わって渦巻いていた。
商会のエントランスを見ながら奏太は渦に手をかざす。力を込めて、キラキラ光る陽の気注げば、黒の渦は次第に小さくなっていき、ついにその姿を完全に消し去った。
「それじゃ、京に行って、さっさと用を済ませて、さっさと帰ろう!」
奏太は、仕入れ組の面々を振り返る。
鬱蒼とした森を飛び越え、妖界の一番の都、幻妖京を目指すのだ。
――そうやって、さっさと帰ることを目標に意気揚々と出発してしばらく。幻妖京手前。
「……幻妖京の周り、結界があって門からしか入れないの、忘れてたなぁ……」
京の入り口を遠目に見ながら、奏太はボソっと呟く。
視線の先には、ガヤガヤと賑わいを見せる幻妖京の門があった。門の周りには出店が並び、門を通ろうとする者たちの列ができている。
首都である幻妖京は、一番北に御所があることもあり、外敵の侵入を防ぐ為に厳重に守られている。京の周囲に結界が張られ、出入りするには東西南にある門を必ず通らなければならない。そこには門番が常駐していて、京に入ろうとする者達を調べて行くのだ。
奏太が門を通ることはほとんど無いため、すっかり忘れていた。
「門から入らないのですか?」
不思議そうに首を傾げる椿に、奏太は眉根を寄せた。
「うん……まあ、そうなんだけど……こっそり入りたかったなって。あんまり目につかなそうなところで、結界に穴をあけて入ろうかな」
「往生際が悪すぎるのでは?」
奏太を亘が呆れた顔で見ると、縁が眉尻を下げた。
「誠に申し上げにくいのですが、結界が異常を感知すると、検非違使が飛んでくる仕組みになっておりまして……」
検非違使とは、いわば妖界における警察機構だ。これに捕まると、こっそり行ってさっさと帰ろう作戦が端から破綻することになる。
「何食わぬ顔で門を通るしかありませんね」
「まあ、そうなるよなぁ」
椿の言葉に、奏太は諦め気味に頷いた。
仕方なしに門を通るための列に並んでみたはいいが、自分を待ち構える者たちに気づかれずに用事を済ませてしまいたい、という気持ちが先立つせいで、どうにも周囲の目が気になってしまう。
並んでいる間に知り合いに見つかったら、とか、門番に足止めされたら、とか。
そうでなくとも、二、三人までの出入りが多い中で五人がゾロゾロと連れ立って京に入ろうとすると、周囲からやや浮く。
チラチラとこちらに向けられる門番の目や周囲の目を気にしながら順番を待ち、ようやく門前に着くと、門番は首をかしげながら、ひたと奏太を見据えた。
「先ほどから、何やら挙動不審にしているようだが?」
「……は、はい?」
思わず声が上擦った。
どうやら、周囲の目を気にするあまり、奏太自身の様子を不審に思われていたらしい。
そこへ、縁がすかさず奏太を隠すように前に滑り出た。それとともに、トンと咲楽に背をたたかれる。
「ほら、お兄ちゃん! そんなに緊張するから怪しまれちゃうんだよ! 妖が多いってだけで、怖いところじゃないって言ってるのに!」
可愛くいたずらっぽい笑みで咲楽が奏太の顔を覗き込む。縁はそれを気遣う素振りで振り返ったあと、門番に目を戻した。
「もうすぐ祭りがあるので、親戚を東から招いたのですが、京の妖の多さに戸惑っているようでして」
門番は、訝るように奏太と咲楽、縁、亘、椿へと視線を移していく。
「祭りは一月先だが?」
「それまで、いろいろ観光をするんだよ! お買い物をいっぱいするの!」
咲楽は奏太の腕を取り、縁の後ろから門番を覗き込むようにして、ウキウキした調子で明るく笑いかける。
門番は無表情のままそれを見たあと、再び縁に視線を向けた。
「滞在場所は?」
「我が家です。北のはずれにある、申岡の遠戚でして」
妖界では、柴川、雉里、申岡、狗山という、四つの貴族家が大きな力を持っている。行政を柴川が、宮中の警備を申岡が、都の治安維持を狗山が、帝の身の回りの世話を雉里が、それぞれ担っているのだ。
その申岡の家名が出た途端、門番の表情がピクリと動いた。
「申岡家の?」
「ええ。そうは言っても、だいぶ遠縁ですが。御疑いでしたら、具体的な家の場所もお伝えしましょうか? 訪ねて頂ければ、誰かが応対できるようにしますが」
門番は怪しいところがないか探るような目で縁を見るているが、縁の表情は穏やかなまま変わらない。
嘘をついているのに、これほど堂々としていられることに奏太が内心、感心していると、門番はようやくスッと一歩引いて道を作った。
「いや、家の場所までは不要だ。時間を取らせた。祭りを楽しめるといいな」
笑顔はないが、幾分和らいだ表情だ。
「ありがとうございます。お勤め、ご苦労様です」
縁は柔らかく笑って会釈をすると奏太達を手招きをする。それを合図に、咲楽に引きずられるようにして奏太達は門の間をくぐり抜けた。
「助かったよ、縁、咲楽」
門を抜け、小道を曲がったところで、奏太はホッと息を吐き出した。
「いえ、無事にくぐり抜けられて良かったです」
「にしても、目をつけられるほど、挙動不審になりますかね」
亘は小馬鹿にした様な目で奏太を見る。
「しょうがないだろ。ああいう妖が多いところは、誰が見てるか分かんないし……」
「それほど態度に出ていたわけではないと思いますが、どうやら目敏い門番だったようですね」
縁はフォローするように、苦笑した。
「縁は、本当に申岡と血縁が?」
「ええ、遠戚関係にあります。家の場所も、先ほど門番に伝えたのと同じあたりです。嘘には真実を織りまぜると良いと聞きますし、うまく騙せたようで何よりです」
助かったのは事実だが、平然と穏やかな顔でそういう事を言われると、少しだけ微妙な気持ちになる。
「……ところで、いつまで奏太様の腕にしがみついているつもりですか?」
椿は声を尖らせて、奏太の腕をとったままの咲楽に目を向けた。咲楽は奏太をみあげたあと、コテっと首をかしげる。
「奏太様が放せと仰るまで、でしょうか。僕は、ずっとこのままでも良いのですが」
無垢な目で見上げる咲楽に、椿の口元がヒクッと動いた。
「奏太様のお邪魔です。すぐに離れてください」
「僕は、奏太様の御命令以外、聞くつもりはありませんよ。そもそも、いつも眷属の方々ばかりが重用されるのが気になっていたんです。ずっとお慕いしていて、ようやく、お側でお役に立てるのに、この機を逃すつもりはありません」
咲楽は、奏太の腕にしがみつく手にぎゅっと力を込めた。
(いや、力、強すぎだろ……)
見た目に反した強さだ。咲楽の方に引っ張られて体がグラッと揺れる。足元がふらつきそうになったところで、反対側の腕をグイッっと亘に掴まれ支えられた。
「ごめん。ありがとう」
「咲楽、いくらなんでも、不敬だ」
縁が見下ろせば、咲楽は慌てたようにパッと奏太の腕を放す。
「も、申し訳ございませんっ!!」
「うわっ」
引っ張られていた力が急になくなり、再び体が揺れたところで、トッともう片側の肩を亘に押さえられた。
「……奏太様は、もう少し体幹を鍛えた方が良いのでは? 久々に稽古でもつけましょうか。気晴らしにもなりますし」
「………………一応聞くけど、それは、誰の気晴らしだ?」
奏太の質問に、亘はニコリと不穏な笑みを浮かべた。




