15. 闘技場の闇⑤
「奏太様、ありました」
周囲の確認をしていた椿が指し示した場所には、割れた透明のガラス玉があった。それを、椿はハンカチで丁寧に包んで奏太に差し出す。
「うーん……見た目はやっぱり、普通のガラスなんだよな……」
そう言いつつ、奏太は手を伸ばして破片に触れる。
瞬間、先ほど使った自分の中の闇の力がゾワッと反応したような気がして、奏太はさっとその手を引いた。
「奏太様?」
奏太の異変を感じ取ったらしい椿を横目に、亘が破片に手を伸ばす。
奏太はその手を咄嗟にパシッと掴んで止めた。
「やめろ、お前は触れるな」
「どういう意味です?」
不可解そうに、亘は眉根を寄せる。
「……さっきと同じだ。闇の女神の力。残ってるのはほんの微量だけど……でも、これは……」
ずっと昔。記憶の中にある、あの吸い込まれるような黒い瞳を持つ女。それが触れたときと同じ感覚が、この破片に触れた瞬間、確かにあった。
「闇の女神の、ですか?」
椿が不安そうに、ハンカチの上のガラス玉の破片を見下ろす。
三百年前、自分の子の封印を解くために、鬼界を飲み込み世界を滅ぼす勢いで闇を広げた張本人が、闇の女神だった。
闇によって無数の鬼を虚鬼に変え、憎悪や恐怖、悲しみといった負の感情を広げて闇の糧とし更に広げていくのだ。ちょうど、この闘技場で起こったことのように。
「……なんで、闇の女神の力がここにあるのかはわからない。けど、念の為、お前は闇の女神の力に近づかない方がいい。亘」
「先ほどもそうでしたが、闇の女神に取られるのではと、まだ御心配に? 二度と惑わされたりしないよう、貴方の力をお分けいただいたのです。たとえ、闇の女神の力が復活しようとも、あの時のようにはなりません」
「それでも、なるべく避けてくれ。頼むから」
闇の女神の広げる闇は、飲み込んだ者の心を奪い虚鬼に変える。しかし、意志の強い者は闇の中にあっても心を失うことはない。ただ、そういう強い心を持つ者も、心に闇が入ればいくらでも闇の女神に惑わされ支配される。
亘が闇の女神の力に支配された時には、奏太のことを見ても奏太と分からなくなっていた。
陽の気によって目の前にいるのが奏太だとようやく気づいたが、今度は奏太自身に強く執着した。守るためにと周囲の仲間達すら簡単に滅ぼしてしまおうとするほどに。
奏太の力で何とか祓ったけれど、その時、亘は死にかけたのだ。
「そんなに危険な物だなんて……これ、どうしましょう……?」
椿の言葉に、奏太は、うーん、と少しだけ考えを巡らせた。亘に昔起こったことを考えれば、闇の女神に関わるものの扱いは、多少心得のある者に任せたい。
「……朱に調べさせるか。闇の女神については、あいつのほうが詳しいし」
「しかし、今はマソホの補佐をしているはずでは?」
椿はそう言うが、離れたところで仕事をしている仲間達を思い浮かべて、奏太は緩く首を横に振った。
「マソホには代わりに別の者をつければいいよ。調べものは朱のほうが得意だ。商会に戻ったら、汐に飛び回ってもらわなきゃ」
今任せている仕事も大事ではあるが、こちらの方がよほど重要だ。
「椿、それ貸して。朱に引き渡すまで俺が管理するよ。堕ちても、元神の力だ。お前らに持たせるより、俺が持った方がよっぽど安全だから」
「祓われないのですか?」
眉根を寄せる椿に、奏太は首を横に振る。
「これ自体は祓うほどの量じゃないよ。けど、闇の発生現場に残されてるこれに毎回闇の女神の力があったとすれば、問題はそっちだな。大元を突き止めて祓う必要があるかも」
闇の女神も、陰の子も、消滅したとは言うが、その身がこの世の一部に還っただけ。神の力は、完全に消えることはない。
奏太は椿の手から、ハンカチごと破片を取り上げた。
「次、このガラス玉を見つけても、お前は触るなよ、亘。椿もだ」
「承知しました」
椿は素直に返事をしたけど、亘は不満そうだ。
「……なんだよ?」
「いえ。我が君は、私を信用してくださらないのだなと思っただけです」
「拗ねるな。念の為だって言ってるだろ」
「……………………仰せの通りに」
言いたいことを全部飲み込んだような間を開けたあと、ものすごく渋々、と言った様子で、亘はようやく了承の意を示した。




