12. 闘技場の闇②
建物内部は、外から見た時には想像できないくらいに広かった。
外見は複数軒の連なりだったのに、内側はその壁が取り払われ、劇場のエントランスのようになっている。
そしてその奥には、地下に向かう大きな階段が伸びていた。
ランプが短い間隔で配置されているため、建物内はオレンジ色に照らされ、かなり明るい。
闘技場と呼ばれる場所に足を踏み入れるのは初めてだ。キョロキョロしながら歩いていると、亘にトンと背を小突かれた。『しっかり警戒しろ』ということだろう。
「人妖の世に、闘技場は無いのかい?」
ハガネにもクスクスと笑われた。
そんなに落ち着きがなかっただろうか、と奏太は表情を引き締める。
「少なくとも、私は見た事がありません」
奏太は平和な時代の日本で、人として生まれ育った。
闘技場なんてものは大昔の遺跡か映画やアニメの世界のものだと思っていたし、妖界で生活しているときにも聞かなかった。これほど長く生きても、その感覚は今も変わらない。
(妖界にあったとしても、ハクや俺の耳に入る前に、取り潰されてそうだしなぁ)
妖界の面々の顔を思い浮かべてそう思う。
「ふうん。人妖の世界は、昔から豊かで平和なのだろうね」
ハガネの声音に、少しだけ苦いものが混じったような気がした。
今でこそ鬼界はある程度まで発展したけれど、奏太が初めて鬼界を見た三百年前はそうではなかった。闇に土地を侵されて酷い困窮に陥り、食うにも困る状態。治安も今以上に悪かった。そして、鬼界が今のように安定するまでには長い年月を要した。
鬼の寿命は凡そ五百年。闇に支配された時期を知るには少し若く見えるが、ハガネはもしかしたら、鬼界が苦しかった頃を知っているのかもしれない。
しばらくすると、かなり広々とした楕円の広場を見下ろす場所に到着した。
泥に血と汗が染み付いたような臭い。荒っぽく投げ出され、赤黒く染まったままの武器。
階段状に上下に伸びて広場を囲っている客席には、破り捨てられた紙くずがあちこちにある。
生臭い熱気と歓声に満ちていたであろう、重くきな臭い空気に満ちた場所。
まるで、繁栄した都の裏に未だ残る、鬼の世の色濃い陰の部分を具現化したように思えて、奏太は眉根を寄せた。
肌に纏わりつく闘技場の空気を不快に思いながら、客席から広場まで降り、軍の者に警備された闘士達の入場口に向かう。
「闇は、この下です」
軍の者は、完全にハガネだけを見て言った。
奏太には一瞬チラっと視線を向けただけ。どうやら、相手にするつもりはないらしい。
(……別にいいけど)
ハガネの後ろで聞いていたところによると、扉の奥には更に地下に続く階段があり、闇が立ち込めているのは闘士控え室らしい。
「さあ、君の出番だ、奏太君」
ハガネが朗らかに言いながら奏太を振り返ると、軍の者は、あからさまに『え、こいつが?』という顔をした。
(俺だって、できたらやりたくないんだよ)
奏太は心の中でそう呟く。
「椿、日石を」
奏太が手を出せば、片手を広げてようやく乗るくらいの大きさの、眩い程に白く輝く玉が丁寧に乗せられた。
「これは、随分と立派な日石だね。大きさも、白の染まり方も」
ハガネが感心したような声を出す。
その護衛や軍の者達も、目を大きく見開いて奏太の持つ日石に魅入っていた。
鬼界では、日の力が込められた日石は宝石と同じかそれ以上の価値がある。この大きさと光り方。普通であれば絶対にお目にかかれないほどの貴重品だ。
もともと、奏太がセキから借りたのは日の力のない真っ黒の空の日石だった。
奏太が頼めば、セキはそれなりに力のこもった日石を出しただろうが、白日教会の枢機卿であっても、それだけの力を得るには様々な手続きや許可がいる。
だから、空の日石だけ預かって、それに奏太が目一杯になるまで光を注いだのだ。奏太にしてみれば、大した手間も労力もかかっていない。
「これほどの日石を任せてもらえるとは、随分と猊下からの信頼が厚いようだね」
「今回は、闇の範囲が広いと聞いていましたから、それに合わせていただいただけですよ」
奏太はサラリと出任せを言いつつ、開けられた地下控え室に伸びる階段に踏み出した。
先ほどとは打って変わって、飾り気のない狭く暗い石階段を下っていく。
ある程度まで進むと、階段に引きずられたような血の跡を残して端に避けられた虚鬼の遺体が散見されるようになっていった。こういう光景は、いつ見ても気分が悪くなる。
それらを通り抜けて階段下に辿り着く。控え室には充満するように闇が立ち込めていた。
「それじゃあ、見せてもらおうか」
何処か機嫌の良さそうなハガネにチラっと目を向けたあと、奏太は躊躇うことなく、日石を持ったまま闇の中にズブズブと入って行く。
亘や椿はもちろん、ハガネ達一行もそれについてきた。
日石を扱う鬼は、日の力からその身を守れるように、身体の周囲に陰の気を纏わせる。
身体の中にある陰の気を上手く使えるか、更にそれを自身を守る結界とできるか、発せられる日の力に耐えうる強度を保てるか。それらが問われるのだ。
結果、日石を扱う聖教会には、その資質を持つ者が多く集まり、訓練を受けさせられるようになっている。上手く自身の周囲に結界を張れて、更にその力が強力であればあるほど出世するのだ。
種族の違いだけで白日の廟に入れた奏太が妬まれたのも、そういう理由からだった。
奏太は、日石をトンと石の地面に置く。
日石の使い方は二つ。そのまま放置し土地や空気に自然と吸わせる方法。もう一つは、気の力を込めて中の日の力を外に押し出すようにする方法。
奏太もまた、自身の力を送ろうと、日石に手を当てる。しかしそこで、奏太はピタリとその動きを止めた。
「あっ」
思わず、声が漏れる。
(っていうか、日石の中の力を外に追い出すって、どの力を使えばいいんだ……!?)
瞬間、ブワっと全身から嫌な汗が吹き出した。
恐る恐る振り返ると、護衛二人も気づいたのか、椿はオロオロとした表情を浮かべ、亘は額に手を当てている。
日石所持をただの偽装だと思って奏太を送り出した者達は、まさかハガネの前で日石を使うハメになるとは予想もしなかっただろう。
そして、この場にいる奏太と護衛二人は、肝心なことが完全に抜け落ちていた。
日石は普通に扱えても不思議ではない、そういう認識でいたが、本来はそうじゃない。
普通、鬼や妖は、資質と努力次第で日石を扱えるようになる。そして、人であった奏太の一族の者も、その資質によっては扱うことが可能だ。
それは、誰も彼も、陰の気や陽の気を身体の内から外へ出せるから。
奏太にとっても、護衛二人にとっても、それがごく普通のことだった。
けれど、普通の人間はそうではない。人は内にある力を外に出すことはできない。そして、人は陰の気なんて身体に持たない。
つまり、『人』であるはずの奏太は、本来、そもそも日石を扱えないか、陽の気を使って日石を扱うしかない、ということになる。
フフッと笑うハガネの声が聞こえた。
「『日石を使う人妖が珍しいのですか?』、君はそう言ったね? 人である君が、どうやって日石を扱うのか。見せてもらおうか」




