封印の旅『つるぎの里』 その1
元の世界では、月読と須佐之男が剣山の麓にその姿を見せていた。
剣山を見上げると、暗くどんよりとした空気が山頂付近を覆い隠している。
月読がそれを見上げ「こっちの世界まで、危ない雰囲気が漂っているわね」と須佐之男に話しかけた。
「ああ、飫炉血の気配に加えて、邪鬼の大軍が待ち構えているみたいだな。これは、登るだけでも苦労しそうだが…」
須佐之男が月読に応えた。
「そうね。厄災も必死になる頃でしょうし…何より、この地は島喰いの楔の地でもあるからね」
「今のままなら、封印は厳しいかもしれないが、小角のオッサンが優を連れて来た意味に気がつけば、もしかしたら上手くいくかもな」
「空様は、何となく本地垂迹 を感じ始めてるみたいだけどね」
「だが空が本地垂迹を掴んで、真の仏身一体に辿り着いても、ギリギリの戦いになるだろうな」と須佐之男が顔を歪め剣山を見た。
「この強大な負の気配…恐らくアレが復活している!」
「でも、神話の時代とは言え、須佐之男が一度は退治したじゃない?」
「あれは、櫛名田比売が協力して、騙し討ちにしただけだからな。まともにやり合えば、俺でも勝てるかどうか…」
「それでも…空様達には勝ってもらわないと……」
月読が剣山の山頂を見つめ、手を合わせた。
「そうだな。それにアレに出て来てもらわないと、天叢雲剣が手に入らないからな!」
須佐之男も月読の隣で手を合わせた。
ーーーー
空達が山道を分け入り、剣山を目指して歩いていると、突然現れた山のように大きな黒牛が、空達の行く手を遮るように道を塞いだ。
「何だ、このでっかい黒牛は?」
優がその巨大さに驚く。
「でも、このモーちゃん…凄く可愛いかも!」
海が、他に賛同者がいないであろう感想を呟く。
「今のお前さん達の徳じゃ、死にに行くだけだと、太郎が止めているんだよ」
空達の背後から声がした。
空がそちらを見ると、大歩危峡で仏頂尊勝陀羅尼の経本を授けてくれた修験者が、青牛を引き連れて空達を見つめていた。
「貴方は、あの時の…。百鬼夜行の時はありがとうございました」と空が修験者に礼を述べた。
「それで、今の俺たちでは剣山に登れないと言うことでしょうか?」
空が真摯に修験者に教えを請う。
「素直な坊やは良いねえ。長生き出来そうだ」とおちゃらけたように笑った。
その軽薄な態度に「何だよ、偉そうに!俺たちじゃ力不足と言いたいのか!!」と優が噛み付く。
「こう言うのが、早死にするヤツね!」
修験者が優を見て笑う。
「それでは、貴方様が助けてくれるのですか?」
海が前鬼と後鬼を抱き抱えて、修験者に尋ねる。
「残念だが、俺が直接手を出すことは出来ない。なので、お前さん達に少しだけ修行をつけてやる。ついて来な」と青牛を引き連れて、剣山の隣の山を登り始めた。
「この山は?」
「剣山の兄弟山で、次郎笈と言う。この次郎笈の頂上は剣山の山頂につながっているから、邪鬼避けにもなって丁度良いだろう」と、修験者が空達に笑いかけた。
「それで修行だが…」と、修験者が空の目を見据えた。
「今の坊やは、十牛図 で言う見牛の徳にある。これを牧牛の徳まで引き上げる」
「見牛、牧牛ですか?」
「まあ、意味は元の世界に帰ったら調べるんだな」
「それで、具体的には何をするのでしょうか?」
空が修験者に問う。
ニヤリとその修験者が笑い、「何、簡単な修行よ。頂上まで生きて辿り着けば良い。ただし、優と海、前鬼と後鬼が坊やの命を狙うがな」と優と海に視線を移す。
「優と海の修行は、空を頂上に辿り着かせないことだ。ただし殺すつもりでやらないと、お互いに修行にならないからな」と釘を刺す。
「空を殺す気で攻撃するなんて、出来るわけないだろ!」
優が修験者を睨む。
「ここで、お前さん達に殺されるようなら、どちらにせよ剣山で死ぬだけだ。お前さん達も、空一人を殺せないようなら、この先で何の役にも立たねえよ。世界の破滅を黙って見てるんだな!」と修験者が冷たく言い放つ。
「優、海…俺なら大丈夫だ。本気で…殺す気で来てくれ!」
空が決意した目で優と海を見る。
「わかったわ。空、死なないでね」
意外にも、真っ先に海が応えた。
「良い覚悟だ!」と修験者が海を見て、「前鬼と後鬼を俺に渡しな!!」と手を伸ばした。
海から前鬼と後鬼を預かると、「前鬼、後鬼!真の力を見せよ!!」と印を切った。
「我は前鬼!前鬼は戦鬼なり!!」
「妾は後鬼!後鬼は護鬼なり!!」
そこに姿を現したのは、身の丈が3メートルを超える大鬼だった。
「この姿になったからには、力加減はできないなり!」
「空よ!死んでも恨むでないなり!!」
前鬼と後鬼が、空を見下ろして告げた。
「其方らは空が寝た時を狙うのじゃ」
修験者が前鬼と後鬼に非情な指示を出した。
「そんなの無理だろ!!」
いまだに踏ん切りがつかない優が修験者に詰め寄る。
「寝ることすらまともに出来ないなんて!よし、空の代わりに俺がその修行を受ける。俺の徳を上げれば良いじゃないか!!」
そんな優を優しく見つめ、「人にはそれぞれの使命がある。これは空でなくてはならぬし、優よ、其方にも其方の使命があるのじゃ」と修験者が言い放った。
修験者が修行の開始を告げ、青牛と共にその場を立ち去る。
「空兄、死なないでね」
覚悟を決めた海が破魔の魔弓をつがえ、空に狙いを定めた。
「おい、海!!」
優が驚き声を上げた。
「兄貴、しっかりして!これは私達の修行でもあるのよ!!」
その言葉に優が頷く。
「わかったよ!空、死ぬなよ!!」
優がガイアの剣を取り出し、飛斬の斬撃を空に浴びせる。
空も智慧の利剣を取り出し、飛斬を防ぐ。
そこに、海の放った矢が襲いかかる。
身体を投げ出し、辛うじてその矢を避けるが、そこに前鬼の棍棒が振り下ろされる。
空が素早く起き上がり、前鬼に斬りかかるが、その剣は後鬼に弾かれた。
それは必死の攻防であり、寸毫も手加減など入る余地はなかった。
「得牛の徳には辛うじて到達しているか。その状態を自然に継続できれば牧牛に至るが…それでも、足りねえな」
物陰からその様子を見つめ、修験者がつぶやいた。
そこに…
『何やら騒がしいから見に来て見れば…』
と天から声が響いた。
『素直に地面に潜っておれば良いものを。後は吾が見ておくから、貴様は地の世界に戻るが良い』
それを聞いた修験者が、青牛を残して地の世界に潜っていった。
用語解説 基本的にはWikipediaを参考にしています
(1)本地垂迹
八百万の神々とは、実は様々な仏様が化身として日本の地に現れた権現 であるとする考え
(✴︎)権現:仏や菩薩が権(仮り)の姿で現れること
(2)十牛図
神聖な動物である牛を仏の象徴に見立て、悟りにいたる10の段階を表したもの
1.尋牛
牛を見つけようと決意したが、牛は見つからないという状況
2.見跡
経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない状態
3.見牛
行においてその牛をその身に感じる境地
4.得牛
牛をその身に感じるが、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます状態
5.牧牛
牛を放さぬように飼い慣らす状態。慣れてくれば牛は素直に従うようになる
6.騎牛帰家
心の平安により牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要がない状態
7.忘牛存人
牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も捉まえられていることを忘れている境地
8.人牛倶忘
牛がいる状態が自然であり、既に牛を求めた理由も忘れ、牛もそこにあることが当たり前となった状態。忘れるということもなくなる世界
9.返本還源
何もない清浄無垢の世界から、ありのままの世界が目に入る状態
10.入鄽垂手
悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益であり、再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要があると言う教え




