9 成績優秀で自慢の息子
我が子が医大に通っているというのは廉也にとって自慢だった。
双子の兄弟ふたりともがストレート合格。現役の医大生。
学校にいかせるのにやや金がかかるが、投資した分だけリターンは大きい。
平也は外科医、初斗が精神科医になれば、教育にかけた金の何倍もの金が返ってくる。
平也がこの目論見を聞けば、捕らぬ狸の皮算用だと鼻で笑ったことだろう。
仕事帰り、家のすぐそばで近所の婦人たちが井戸端会議をしていた。
秋が深まったこの時分でも外で長話ができることに、廉也内心で感心する。
婦人たちは廉也に気づくと会釈をした。
「あら、嘉神さん、お仕事帰りですか? 嘉神さんのところは息子さんが優秀で羨ましいわ。うちの子なんて弁護士になるっていいながらもう三浪しているの。いい加減諦めて会社員なりなんなりになってくれればいいんだけどねえ。どう育てたらそんなに頭のいい子になるのかしら」
「好きなことと得意なことが合致しているのでしょう。成績を落としたことがありませんし」
いいのは頭だけで性格は最悪だ。
我が強いし常に反抗的。廉也に、獲物を狩る狼のような目を向けてくる。
廉也にとって自慢の息子は、初斗だけだ。
だが、そんなことは間違っても口にしない。
まわりがいい子だと思っているなら訂正する必要はない。
軽く会釈を返して場を辞する。
郵便受けには真っ白な封筒が入っていて、差出人は初斗だった。
定期的に送られてくる手紙には近況報告が綴られている。
携帯電話を持っているからメールを送ることだってできるのに、初斗はいつも手紙を書いていた。
玄関を開けてすぐ、三和土に投げ出されたスニーカーが視界に入った。
母の育代が定期的に家事をしてくれているから、離婚直後のころに比べたらだいぶ片付いている。
掃除された玄関に雑に転がるスニーカーは、嫌でも目についた。
(初斗なら靴も丁寧に並べるのに、なんで平也にはそれができないんだ。本当に双子か?)
物腰やわらかく几帳面な初斗と正反対で、平也は大雑把で自分本位。
平也ではなく、初斗を引き取ればよかったと何度思ったことか。
その初斗は、「母さんは体が弱いのに、兄さんの世話をさせたら可哀想だろう」と言って初音についていった。
確かに初斗は普段から家事を手伝っていたから、一通りのことができる。
離婚する前も、初音が体調をくずしたときに家事を担っていたのは初斗だった。
台所のテーブルには食卓カバーがされた夕飯ができている。
味わうこともなく手早く食事を済ませ、食べ終わった食器を流しに置いた。
こうしておけば日中に母が来て洗っておいてくれる。
四年生になって実習が増えたこと、最近の初音の体調のことなどがとりとめなく綴られている。
最後には医大に通わせてくれてありがとう、卒業したら一度時間を取って会いたいと書かれていた。
寝ていたのか、平也があくびをしながら顔を出した。
「大学生なのにこんな時間に寝ていていいのか」
平也は一切返事をせず、冷蔵庫から500mLペットボトルのコーヒーを出して飲む。
同じ家で暮らして入るものの、親子の会話はない。
平也が廉也の言葉を無視するのは、何を言っても文句ばかりが返ってくるからだ。
初斗ならこうなのに、初斗はこうなのにと。
なにかにつけて初斗と平也を比べる、その言動が平也を苛立たせていることに、廉也は気づいていない。
テーブルの上にある初斗からの手紙に目を留め、あからさまに顔をしかめた。
舌打ちして自分の部屋に引っ込む。
廉也とふたり暮らしになって以来、一人で部屋にこもることの増えた平也だが、ここ一年はとくに顕著だ。
育代が掃除したいと言おうと、絶対部屋に立ち入らせない。
なぜ近寄らせないのか、廉也が答えを知るのは……息子たちが研修医期間を終える年のことだった。