5 縁は異なもの味なもの
平也とは違う大学だが、初斗もまた医学を学んでいた。
一日の授業が終わると、大学近くにある食事処でキッチンスタッフをしている。
アパートからも近いし、まかないも出る。休憩時間には図書室で借りた医学書を読むので、勉強時間が足りなくなるということもない。
ゴールデンウィークを翌週に控えた日曜日。
朝出勤すると、配膳中だった店長が申し訳なさそうに初斗を呼んだ。
「初田くん、すまないね。さっき木村さんから電話があって、熱を出したから休むそうなんだ。夜番の子が来るまで二時間延長で働いてくれない?」
「えええ……」
「まあまあ。三十分多く休憩とっていいし、今日の分の時給四〇円多く付けるから、ね? 頼むよ」
「……わかりました。ただ、友人にメールだけ入れさせてください。この後会う約束だったので」
「ああ」
この食堂は朝番・昼番・夜番の三交代制。昼番のスタッフが休む分を補うことになった。
仕事あがりに友人の歩と会う約束があったのだが、こればかりはどうしようもない。
初斗が定時で帰ればキッチンスタッフが足りなくなる。一番のかきいれどきに人手が足りなくなるのは、食堂として致命的だ。
歩に謝罪メールをして、キッチンに入った。
十一時頃、昼の客で忙しくなる前に休憩をもらい、カウンター席の隅っこでまかないの煮魚定食をいただく。
サバ味噌煮を箸でほぐしていると、青髪の若者が初斗の肩を軽く叩いた。
「初斗、調子はどう?」
「歩」
歩はドタキャンを怒ることなく、わざわざ店まで来てくれたらしい。
初斗の隣に座り日替わり定食を注文して、ひと抱えある布袋を出す。カウンターに置くときにコトンと硬質で高い音がした。開けてみると、陶製の置物だった。
服を着たシロウサギが、腕に時計を抱えている。不思議の国のアリスに出てくるウサギそのもの。それと紅茶のパック。
「イギリス土産よ。あんたこういうの好きでしょ」
「ありがとう歩。イギリスはどうだった?」
「建て物のデザインはあっちの方が洗練されているわね。すごくオシャレで、レドンホールはもう一回行きたいわ。あとは紅茶とスコーンが美味しい。初斗も大学の長期休みになったら行ってみたら?」
「長期休みはバイトだよ。二年以降は医学の講義と外科や内科の実習が多くなるから、一年のうちにお金に余裕を持っておきたいし」
話をしている間に定食が運ばれてきて、歩は味噌汁に口をつける。
「へえ。精神科医になるにしても実習が必要なんて知らなかったわ」
「そうなんだよ。基礎の医学を全部学んでからでないと精神科の専門科に進めないんだ。医学部卒業で二十六歳、研修医を終えるのが二十八から二十九歳頃。そこからやっと精神科医の研修に入れる」
「てことはあと十年は研修で勉強三昧なわけね。アタシには真似できないわ」
「ぼくは歩の方がすごいと思うけどね。だって各国でバイトして生活しているでしょう。イギリスの前はアメリカにいたんだよね。ぼく、外国語は受験に必要な範囲以外は全くわからないよ」
「なんとなくでどうにかなるわよ。必要に迫られれば自ずと覚えるもの。赤ちゃんだって誰に言われなくても日本語を喋れるようになるでしょ?」
受験に必要な英語力と、日常会話をするのに要する英語力は別物だ。
歩は高校一年で中退したあと各国を旅して、今では日本語以外に四カ国語ほど話せるようになっている。通訳を生業にしても生きていけそうだ。
早々に食べ終えた初斗は、教科書片手に歩の土産話をきく。そろそろ休憩時間が終わるところで、若い女性が初斗に話しかけてきた。
背筋がシャキッと伸びていて、自信ありげな表情は芯の強さを感じさせる。
「やあ、嘉神くんじゃないか。まさかここで会えるなんて。東京からわざわざこっちにきてバイトしているのかい?」
ロングストレートの黒髪を背中まで伸ばしていて、アンダーリムのメガネをかけている。女性の方は初斗を知っている風なのに、初斗の記憶にこのひとはいない。
幼い頃よく間違われていたので、もしかしたらと思い聞いてみる。
「もしかして兄と間違えてませんか。ぼくは初田初斗。嘉神平也は双子の兄です」
店のエプロンには名札がついているため、初斗は指で札を示す。
「……そうか、双子だったのか。それは失礼した。私は白兎凛。高校の時、きみのお兄さんにお世話になったんだ」
「そうですか。でもそれはぼくに関係ないですよね」
兄のことは今でも嫌いだ。
なので親しげに兄の話題を振られても、快く受け応えるなんてことはできない。初斗の冷たい返事を聞いて、白兎は笑い出した。
「なんで笑うんです」
「同じだなと思っただけだ。当時嘉神くんにお礼を言った時、同じように自分には関係ないというようなことを言われてね」
無自覚に兄と同じことをしていたらしい。初斗は目の前に兄がいたら殴り飛ばしていたかもしれない。
平也と顔以外の部分も似ていると言われることほど、初斗の神経を逆撫でするものはない。
「兄の話をしたくないです」
「初斗。その人あんたの学校の先輩だから、あんまり冷たく当たると後悔するわよ」
あからさまに不機嫌になった初斗を見て、歩は肩をすくめる。
「は? 先輩?」
訳がわからず聞き返す初斗に、歩は白兎が脇に抱えているノートを指す。
臨床医学論という表紙にネームペンで○○大医学部三年・白兎と書かれていた。
「ふふふ。そちらのご友人が言う通りみたいだね。初田くん。ここは一つ、優しい先輩がコーヒーでも奢ってあげようか」
「コーヒーは嫌いなんだ。それは自分で飲めばいいじゃないですか」
差し出された缶コーヒーを突き返したら、また白兎に笑われてしまった。





