4 同じ血を分けていても、別の存在
医大には浪人することなく入学できた。
父の廉也は銀行マンだからそれなりに稼ぎがある。これといって趣味もない。だから平也と初斗、二人分の医大学費を払うのはそんなに難しいことではなかった。
初斗は律儀なことに、月一回は父に手紙を書き近況報告をしている。
そのせいで平也へのとばっちりがきて非常に迷惑だった。
大学に入った四月のこと、起きて早々に苦言を呈された。
「初斗は一人暮らしをはじめたそうだ。しかも生活費はアルバイトをしてまかなっていると。お前はしないのか。それに初斗は、大学に入るまではずっと初音と分担して家事をやっていたと」
「いちいち比べるんじゃねえ。てめえだってなにもしねえのに、なんで俺にだけ家事を押しつけようとしてんだ。それに東京と神奈川の家賃相場を知った上で言ってんのかボケ」
初斗が通う大学周辺の家賃は三万円前後。平也が通う大学周辺は七万円前後。
家から通った方が余計な経費がかからず済むというものだ。
初斗が母の元を離れたのは、大学付近の安アパートのほうが通学が楽という理由だ。
毎日片道一時間半かけて通うのはデメリットがでかい。平也と双子なだけあって、合理的に考えて行動するやつなのだ。
あいにく廉也は合理主義の人間ではないので、“家事もしない大学生の息子が実家住まい”ということを疎ましく思っている。
離婚の時点でご近所からの視線が痛かったから、これ以上冷たい目を向けられたくはないということ。
平也は食べかけていたサンドイッチを一気におしこみ、缶コーヒーで流し込んだ。シンクは空き缶と惣菜のパックが山になっている。離婚して三年以上経っているのに、廉也も平也も、家事を覚えようという気は一切ない。
「はぁ……お前でなく初斗を引き取ればよかった」
「家事する人間が欲しいだけなら家政婦を雇え」
「父親に向かってなんだその言い草は!」
廉也の怒声を無視して家を出た。
初斗なら率先してゴミ山ができるまえに掃除するし、そもそも料理を作るから、半額シールが貼られた惣菜パックが貯まるなんてことにはならない。
平也はめんどうくさがりの極みなのでそんなことしない。
作る手間暇と買う代金を天秤にかけて、買う方を選ぶ。
双子であっても価値観が完全一致するというわけではない。
初斗のような善性を期待されても、持ち合わせていない。
そこのところを理解していないから、平也は廉也を心底嫌っていた。
大学構内に入り、授業までまだ時間があるため図書室に向かった。
さすが医科大学。医学書が棚を埋め尽くしている。公共図書館にもないこともないが、医者が読むような専門書はあまりない。
平也は解剖学の棚から人体構造の本を抜き取って、空いた席についた。
授業で口を酸っぱくして言われる、人のため命を救うために正しい知識を身につけようなんて、さらさら思っていない。
人を解体したいから医学部に入っただけ。
解剖実習は二年生になってからということなので、今から楽しみで仕方がない。
今のうちに構造を正確に理解し、どうすればより効率よく解体できるかの知識を得ておく。
「おやまた君か。朝から熱心だね。それはまだ一年じゃ習わない範囲だぞ」
図書室でよく見かける老いた教員が話しかけてきた。勉強熱心な医者のたまごだとでも勘違いしているらしいが、どうでもいいので間違いを訂正しないでおいた。
一年生では高校と変わらず、一般教養の授業が多い。もっと早くから外科知識や解剖学を学べると思っていたから期待外れもいいところだった。
「解剖学に興味があるのかい」
「今読んでおけば、きっと実践で役立つから」
「そうかい、そうかい。立派な外科医さんが生まれるのが楽しみだねえ」
嬉しそうな教員の顔を見て、平也は笑いをこらえるのに必死だった。
(おめでたいねえ。熱心に医学書を読んでいれば立派な医者志望に見えるんだから)
目の前にいるのは医者のたまごなどではなく、殺人鬼予備軍だ。
きっと何十年教職をしているだろうに、見分けがつかない。
腹の中で笑いながら、平也は教員と別れ、教室に向かう。
高校と違って私服なので、同年代の人間とすれ違っても誰が同級生で先輩なのかはわからない。
もしかしたら平也と同じような狂人がひとりくらいは混じっているかもしれない。
いったいこの学校にいる中の何人が、平也のもつ狂気に気づくだろう。
きっと一人もいない。
平也はきっと卒業まで隠し通すし、目標を成し遂げる。
解剖学で人を解体する方法を学んだら、一番先にバラしてみたい相手は父、廉也。
上から目線で初斗を見習えというあの顔が恐怖で凍る姿を想像するだけでも、とても楽しかった。