2 弱者をいたぶるのが楽しいから、平常
平也が入学した高校は、良くも悪くも普通のところだ。底辺というわけではなく、進学校というわけでもない。
その気になれば最難関の高校に余裕で行ける学力があるので、中学の時担任からとても残念がられたものだ。
選んだ理由はただ一つ。家の徒歩圏内だから。
そんなわけで、入学して最初、一学期の中間テストでは楽々全教科一位、総合一位をたたき出した。
昼休み、張り出された順位表を見て一喜一憂する同級生たちの横を素通りすると、同じ中学だった男子生徒が数名、平也を追ってきて学ランの肩を叩く。
「嘉神、さすがだな。中学でもずっと弟と一位争いしていたもんな」
「あいつの話題は出すな」
ひとことだけ返して再び歩き出す。校庭の日当たりが良い場所にでも行って寝ていようと考えていた。
「んだよ、感じ悪いな」
「ほんと。俺たちのこと見下してんじゃね。あいつ大学付属の推薦も行けるって中学の担任に言われたのに蹴ったって話だし。わざわざこんな普通なとこくるなんてさ」
「弟の方はまだ親しみやすかったのにな。なんであいつの方がこの高校に来たんだよ」
鼻にかけていると思われるし、初斗と比べられるのは面倒なことこの上ない。
聞こえよがしに言われても、全て無視した。
他にやることもないから授業は出席するし、教師に指されたら答える。
教科書を読み教師の話を聞いていればほぼ満点を取れるのは当然だった。
五月の終わり、昼休みに寝る場所を探して三階への階段を上っていると、数名の話し声が聞こえてきた。ひとけのない、屋上に続く階段の踊り場に集まっている。
三つ編みおさげでメガネの女生徒が、五人ばかりに取り囲まれてなにか言われていた。
「ほら、さっさと財布出せよ。おれら腹減ってるからよ。奢ってくれよ」
「もう、出せるお金、ないです」
「全員に殴られるか、金出すか、お前に選べるのは二択だけだ」
囲まれたお下げ女子は、震えて泣いている。それを見て笑い転げる五人。
ドラマでしかないと思っていたような光景が繰り広げられていて、あまりの馬鹿さに平也は笑ってしまった。
一人にたかっている五人は、男子三人女子二人。よく見れば授業をサボって教師に迷惑をかけていることで名の知れた生徒たちだ。髪は脱色して汚い金色。
両耳にピアスが複数。制服を着崩して、見苦しい。
平也自身、普通から外れた生き物であるという自覚はあるが、この五人は“群れなきゃなにもできない蠅”に属する人間。いたって普通の馬鹿だ。
普通の人間ならこういうときどういう選択肢を選ぶのだろう。
きっと教師を呼んでくるか、見て見ぬふりをして引き返すか。そんなところなのだろう。
平也は階段を上がり、カツアゲ現場を横切った。
扉には屋上立ち入り禁止の札が下がっていて、鍵もかかっている。
他にいくか、これを掃除するか。振り返って集団を見下ろすと、五人のうち背の高い男子が階段を上がってきた。芥川という名札をつけている。
「お前、見たとこ一年だな。ちょうどよかった。金貸してくれよ」
「俺が一年だとテメエに金を貸すことになるっていう理屈が理解できないんだが。どこの教科書に載っているんだ?」
「ああ!? ざけんな」
芥川は平也の左胸についた名札を見て口をゆがませる。
「嘉神……学年一位だったってやつか」
「へえ。意味わからん理屈をこねる馬鹿でも、人の名前を覚えるくらいの頭はあるんだな」
言い終えるか否かというタイミングで拳が飛んできた。軽々避けて階段を降りる。
「あ、あの、あぶないです、さからったら、あなたも」
震えて泣いていた女子が、平也にそんなことを言う。
「なんだ。普通のやつならここで大人しく金を差し出すのか。普通の人間って大変なんだな」
踊り場に降りた平也に、他の二人の男子が掴みかかってきた。
「普通だの馬鹿だの、さっきから聞いてりゃなめやがって! お前ら、見張っとけ。コイツしめなきゃ気が済まねえ!」
「おっけ。おい白兎あんたセンコーにチクったらどうなるかわかってるよね」
金髪ピアスの女子が、黒髪お下げの女子の髪を掴んで笑う。三年の名札をつけた、白兎と呼ばれた女子は震えてなにもいえなくなっている。
平也は胸ぐらを掴まれたまま芥川、そしてその子分であろう粕田と乾をみやる。
「なあ。俺、普通が分からないから聞くんだけど、これって楽しいのか? そこのチビいたぶるみたいなの」
「楽しいからやってんだよ。いいとこの娘だから金たんまり持っているしな」
いいとこの娘にたかる時間をバイトに充てればかなり金がもらえるのにな、と平也は思っても口にしない。平也が経営者なら、こんな人間雇わない。
「チクるなっつったのはテメエらだからな。ここで俺がなにしようが黙ってろよ」
足を軽く持ち上げ、平也の首元を掴んでいる粕田の足の甲にかかとを落とす。
「ぎゃ!」
人体の急所の一つ、足の甲。他の部位よりも圧倒的な痛みを伴う。
悲鳴を上げ膝をついた粕田の膝頭に、さらに蹴り込む。
「よくも粕田を」
芥川がポケットから折りたたみナイフを出した。百円ショップで売っていそうな安物。
刃に汚れがなく傷ひとつついていないところを見ると、脅し道具に持っているだけで一度も使ったことがない。
「白兎だったか。ちゃんと証言しろよな。ナイフを持ちだしたのはこいつらだって」
「えっ、は、はい」
呆然としている白兎が、なんとかうなずく。
返事を聞いてから、平也は芥川の手からナイフを奪い取ってふるう。
平也の身長は一八〇。高校に入ってからも伸びているため、高校生にしては上背がある。
そして、生き物を殺し慣れた平也は、ナイフの扱いにも慣れていた。
「一度でいいから人間も切ってみたかったんだ。そこらのネズミくらいじゃ手応えなくてさ。一応俺も普通を学んだ訳よ。蝶やバッタは殺したら怒鳴られるけど、ゴキブリみたいな害虫は殺しても問題ない」
平也には理解不能だが、世間一般には害虫は殺してもいい虫で、それ以外は殺してはいけないものなのだ。
女子たちにもてはやされるとびっきりの笑顔で、芥川の袖を切り裂き、その背後にあった壁にナイフの傷がつく。血が飛び、平也の頬を濡らした。
「俺の目にはお前が害虫に見えるから、殺しても問題ないよな」
芥川は切られた腕を押さえ、硬直した。
品行方正な生徒の一人にしか見えない嘉神平也が、人を切りつけて笑顔を浮かべている。
脅しでも何でもなく、娯楽の感覚で。粕田と乾は、一番やばい類いの人間に近づいてしまったことを悟り、つんのめりながら逃げ出した。
仲間だった女子も危険だと察知して走り去る。
「あー、他の虫が逃げちゃった。まあいいか。一匹残っているから」
芥川を切ったことに後悔も怯えも見せず、まだやろうとしている。
「か、嘉神、おれが悪かった、もうしない。そいつからも手を引く。だから、な、やめにしないか。こんなの、普通じゃない」
「え、なんで? 弱いものをいたぶるのは楽しい。それは普通のことなんだろ。だから俺は平常。普通。お前を切るのはすごく楽しい」
芥川の頬に、赤い筋が走る。
そのとき予鈴がなり、平也はナイフをたたんで芥川に投げた。
「あーあ、昼休みが終わっちまった。遊びの時間はここまでか」
ナイフを拾い、はじかれたように、芥川は走り去った。
後に残されたのは平也と、白兎だけ。
「あ、の、ありがとう……」
おずおずと、白兎は平也にお礼を言う。平也は予鈴を聞きながら歩き出す。
白兎にたかっていた五人は平也に襲われたと教師に訴えたが、だれひとり取り合わなかった。普段から素行が悪く、授業をサボり窓ガラスを割るような五人だ。
白兎も「嘉神君はなにもしていません」と証言した。
真面目に授業を受けて成績トップの平也がそんなことをするなんて、信じる教師はいなかった。