偽装婚約
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馬車は王城へと到着した。
ラリックは何事も無かったように馬車から降り、シャルーナに手を差し出す。
シャルーナもその手を取り馬車から降りたが、あろうことかラリックはまたシャルーナを横抱きにしてさっさと歩き始める。
「殿下、降りますから、歩けますから」
「うん。シャルーナは歩けるよね。しかも他の令嬢と違い素早い。昨日も戻ったら既に居なかった」
「昨日は父と一緒でしたし」
「そうだ。公爵も行動が早い。昨日はうっかり忘れていたよ。説明しようと戻ったのに居なくなってた。今日、学園で話そうと思ったら休みだし。不安に思っていたら侍従のザイムから知らせが来て、公爵が婚約解消の手続きをしに城に来たって聞いてね。慌てて公爵邸へ行ってみたら領地に行くって?」
「あの、歩きますから」
「今はだめ。それで?領地で何をするつもりだったの?」
「心を落ち着けて、今後のことを考えようかと」
「今後の何を?」
「······」
「シャルーナ?」
シャルーナは、すれ違う使用人達が頭を下げつつもチラリと見てくる視線が気になり、とにかく開放してほしくてあまり話を聞いていなかった。
それに気がついたラリックだったが、ここで降ろしてはまた逃げられると思い、とにかく目的地へと急いだ。
ラリックのすぐ後ろからは三人の護衛も同じ速度でついてくる。
城の中を素早く移動する一団を、周りはただ不思議に思いながら見送るだけだった。
到着したのはラリックの私室。
しかし部屋へ入る直前の二人に、可愛らしい声が聞こえた。
「だっこしてる」
ラリックはシャルーナを横抱きしていたため、死角にいたリイリンの存在に気がつかなかった。
「シャルーナ・ノーベント公爵令嬢ですよ。私の婚約者です」
「リックのこんやくしゃ?リイといっしょ?」
「シャルーナは結婚する婚約者です。リイリン王女とは違いますよ」
「そうなのね」
シャルーナは二人のおかしな会話に疑問を持ちつつも、やっと立ち止まったラリックの腕から降りようと、『降ろしてください』と囁いた。
ラリックは少し考え込んだが、ふうと息を吐いて優しくシャルーナを降ろした。
シャルーナはドレスの裾を手で軽く直し、リイリンに向かってカーテシーをした。
「シャルーナ・ノーベントでございます」
「リイリン・カドジュールです。ルーナ、こんやくしゃどおし、なかよくしてね」
婚約は解消に向けて父が動いています、ということをわかりやすく言うにはどうしたら良いか、とシャルーナは瞬時に考えたが、その答えが出る前にラリックにより部屋へと押し込まれてしまった。
「リイリン王女、また後で」
「はあい」
ラリックが部屋へ入ると、バタンと扉が閉められた。
部屋の中ではメイドが数人いて、お茶の用意をしている。
「こっち」
ラリックが腰に手を回し、シャルーナをソファへと誘導した。
シャルーナは今の状況と先程のラリックとリイリンの会話が気になり、まずは話を聞こうと素直に座った。
シャルーナの隣に座ったラリックは、シャルーナの手をしっかりと握って、『まず話を聞いて欲しい』と焦りをにじませる口調で話し始めた。
お茶を用意していたメイド達は、存在を消しながらも素早く二人の前にお茶や菓子を用意し、ラリックが話し始める前に退室して行った。
婚約してから初めて部屋に二人きり。しかも扉もしっかり閉められた状況に、かなり重要な話がされるのか、とシャルーナは背筋を伸ばす。
そんなシャルーナをしっかりと見つめながら、ラリックは心を落ち着けるようにゆっくりと話し始めた。
「シャルーナとは婚約解消なんてしない。卒業後、予定通り結婚する。リイリン王女とは今だけ、しかも一部にしか公表されない婚約だ。もちろん結婚なんてしない」
シャルーナの知っている婚約というものは、結婚する約束だという意味合いだった。
しかし、ラリックは結婚しない婚約だと言う。
しかも、一部にしか公表されないとはどういうことか。
シャルーナがなんとか理解しようと考えても、どうしても意味がわからない。
「ええと、結婚しないけど婚約なさったのですか?」
「カドジュールの一部の貴族は普通の婚約だと思っているはずだ」
「一部にしか公表されない婚約とは?」
「カドジュールの一部の貴族にだけ知らせてる」
「なぜ大々的に公表されないのです?」
「それについて説明するが、シャルーナはそれに伴い暫くこの城で生活してもらうことになる」
「なぜ?」
「危険回避だ」
「私が何か危険なことに巻き込まれるのですか?」
「可能性はある。それについても昨日話をしようと思っていた。それなのに逃げられてしまって」
深くため息をついたラリックを、シャルーナは未だに理解できずに見つめていた。
「まず、これは絶対誰にも知られてはいけないことだと伝えておくよ。この話を知っているのは、カドジュール国王夫妻、私の父上と母上、たぶん父上から聞いているであろうノーベント公爵、そしてこれから話すシャルーナだ」
「宰相は?知らないんですか?」
「場合によっては教えるが、今は少数だけに留めている」
宰相も知らないということは、余程のことなのだろう。それを自分に教えても良いのだろうか。シャルーナは聞かないほうが良いのかもしれないと考えたが、どうやらそれは表情に表れていたようでラリックから即座に、『教えないと、婚約解消されそうだから』と、ギュッと手を握られた。
もう既に巻き込まれた感があるシャルーナは、黙って最後まで聞くことにした。
「実はカドジュール国内でカドジュール国王暗殺の動きがある。中心人物は現国王の叔父であるベイライト・シバーグ公爵。この人物は前国王の弟だ。前国王崩御による後継争いは表面上はなかったようだけど、水面下ではシバーグ公爵は随分と動いていたそうだ。前国王は病死だったが、様態が急変したことにより即位が早まったため、シバーグ公爵は出遅れたと地団駄を踏んだとあちらの国で噂されている。そしてそれは事実らしい。つい先日、ゴードン新国王を暗殺する計画が進んでいるということを、カドジュール国王へ内偵の者が伝えたそうだ」
シャルーナはいきなりの思いがけない話に、息を止めて聞き入った。
呼吸をしただけで、秘密の話がどこかへ漏れ伝わってしまう、そんな錯覚に陥ってしまうほど、頭の中は混乱していたのかもしれない。
真顔で聞いているシャルーナの目を見て、ラリックは少し声を落として顔を近づけて話を続けた。
「ゴードン陛下がね、幼い姫を城に留めるのは危険だと考えて、シバーグ公爵の片がつくまで預かってほしいと仰ってね。しかし一国の王女をただ連れてくるわけにいかないから、今回あちらのシバーグ公爵の周りには私との婚約のためにハイノへ入国したと伝えたんだ」
内緒話のように顔を近づけて話すラリックの息がシャルーナの耳にあたる。
初めてこんなに顔を近づけているにも関わらず、シャルーナは話の内容が内容だけにそこまで気が回らない。
ラリックがもう少し顔の位置を変えたらキスしてしまいそうな状況なのに、それに気が付かないほどシャルーナには今の話が衝撃だった。
カドジュール国王が狙われているとの話から、幼いリイリン王女も避難を余儀なくされるというのは、カドジュールの城は非常に危険な状況下にあるということだろう。
今すぐ事が起きることはなくとも、その状況からせめて王女だけでも逃そうとする気持ちを思うと、シャルーナは胸にこみ上げるものがあった。
「リイリン王女、お寂しいでしょうね」
「うん、そうだね。だからここにいる間は甘えてもらおうと思っているよ。シャルーナも仲良くしてあげて。素直な良い子だよ」
「そうですね。私もたくさんお話して仲良くなりたっ、んっ!」
ラリックに顔を向けてそう話すと、驚くほど近くにあるラリックの顔に驚いて、シャルーナは思わず仰け反った。
あと少し、というところでキスを逃したラリックは、『残念』と苦笑いをしたが、すぐに姿勢を正したところからあまり狙ってはいなかったのかもしれない。
「ラリック!」
「ふふっ、大声では言えないことだからね」
先程までの焦った雰囲気はどこへ行ったのか、ラリックは余裕綽々でシャルーナに笑顔を見せた。
「さて、シャルーナにはこれから暫く城暮らしをしてもらうから、部屋に案内しようか」
「あ、そうですわ。なぜ私に危険がおよぶのでしょう」
「あ、それか。昨日シャルーナが思ったように、私がリイリン王女と婚約したら王女が正妃になると考えるのが普通だろ?そうするとさすがに公女を側妃とは据えられないから婚約解消になると一般的には考えるだろう。しかし、シャルーナは王太子妃教育で、ハイノ国のかなり深部まで知っている状態だ。もしシャルーナを他国が手に入れたらその国はハイノ国の秘密を手に入れたも同然になる。それは非常に困る。だからね、この長期休暇は王妃が王太子妃教育をするという建前で、シャルーナにはここで守られてもらおうということだよ。まあ、それすら建前なんだけど」
確かにシャルーナは王太子妃教育で、城の抜け道や影の者との接触方法など誰にも知られてはいけないことを知っている。
ハイノ国内の貴族に嫁ぐならあまり心配ないかもしれないが、他国となると話は違う。
なるほど、とそこまでは理解できたが、最後の『それすら建前』という部分についてはよくわからなかった。
しかし、そこを聞こうとすると、『さあ、部屋に行こうか』と話をはぐらかされてしまった。
次話はすぐに投稿します




